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アネ★妹みたいな姉と姉みたいな妹でダブル妹の話★モネ
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0781アネモネ ◆5ZGBKpd/KQG3 (ワッチョイ ff2f-7pxn)
垢版 |
2019/07/15(月) 00:28:09.05ID:HCulpEtG0
『忘失について』


H氏賞を受賞した本。しかも第1詩集らしい。
本屋さんで見かけて購入。
最近はほとんど「現代詩手帖」も読んでないけど、
どうもそこで活動してる若い詩人らしい。

正直なところ、この詩集がどうしてH氏賞を受賞したのかわからない。
ディレッタントで、しかし言葉そのものの語感をそこそこ無視し、しかし恣意的に扱い、
つまりはスタイリッシュで、若書きで、言葉が発酵してる感じがしない。
あまりに浅漬けにすぎる。

 弓張りの霊光は
 明かり取りに絡めとられた形で
 きざはしにかけた左足と
 手摺をたのんだ左手の力を緩めてゆく内に
 雲に遮られたのか
 かいなをひいてゆき
 半ば影絵となった
 物腰の硬い立ち姿が
 踊り場の手前で往生し
 夜陰にうっすらと
 影だけが見えると話にきかされた
 顔鳥の一頻り啼くのを縁にして
 きざはしを上がり
 ふたたびの光が肩にかかって
 間近の一声のあと
 暗闇は翡翠の尾を垂れ
 逃げていった
0782アネモネ ◆5ZGBKpd/KQG3 (ワッチョイ ff2f-7pxn)
垢版 |
2019/07/15(月) 00:28:24.24ID:HCulpEtG0
さて、この詩の「弓張りの霊光」ってなんだろうか。
どこかから室内に弓のような形で差し込む光のことか。
あるいは「弓張月」という言葉を連想させているとするなら月光なのだろうか。
なぜそれが霊光なのか。
しかしこの詩自体は、あっけないほどごく小さな「事件」を捉えたものにすぎないらしい。
夜に、おそらく屋外に「顔鳥」が鳴いた、それだけのことだ。
詩人になにかしら「顔鳥」が霊性を感じさせているわけでもない。
なぜなら霊性を感じているのは光であるからだ。
この「事件」はただの事件であって、スタイリッシュな言葉の連打のための
ただのきっかけであるにとどまっているように思える。

詩集後半になると、ややこなれてくるけど、
それでも遊戯性に焦点がおかれて、ひたすら言葉遊びが続く。
もちろん「言葉遊び」は詩の特質だけれど、しかし「言葉遊び」そのものが詩ではない。

なんていうか、まったくこのひと自体が見えない。
このままではこの詩人は、単語のつまった籠であり続けるんじゃなかろうか。
こんなものを評価するほうがどうかしてる。

詩集に挟まってたパンフの、岸田将幸による書評が、
読み方によっては微妙にdisってるようで、さもありなんと思ったりした。
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