アネ★妹みたいな姉と姉みたいな妹でダブル妹の話★モネ
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しかし姉であっても、JKでないと困る。
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アネ★妹と理科準備室に閉じ込められて両想いの話★モネ
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/intro/1561420648/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:: EXT was configured 『忘失について』
H氏賞を受賞した本。しかも第1詩集らしい。
本屋さんで見かけて購入。
最近はほとんど「現代詩手帖」も読んでないけど、
どうもそこで活動してる若い詩人らしい。
正直なところ、この詩集がどうしてH氏賞を受賞したのかわからない。
ディレッタントで、しかし言葉そのものの語感をそこそこ無視し、しかし恣意的に扱い、
つまりはスタイリッシュで、若書きで、言葉が発酵してる感じがしない。
あまりに浅漬けにすぎる。
弓張りの霊光は
明かり取りに絡めとられた形で
きざはしにかけた左足と
手摺をたのんだ左手の力を緩めてゆく内に
雲に遮られたのか
かいなをひいてゆき
半ば影絵となった
物腰の硬い立ち姿が
踊り場の手前で往生し
夜陰にうっすらと
影だけが見えると話にきかされた
顔鳥の一頻り啼くのを縁にして
きざはしを上がり
ふたたびの光が肩にかかって
間近の一声のあと
暗闇は翡翠の尾を垂れ
逃げていった さて、この詩の「弓張りの霊光」ってなんだろうか。
どこかから室内に弓のような形で差し込む光のことか。
あるいは「弓張月」という言葉を連想させているとするなら月光なのだろうか。
なぜそれが霊光なのか。
しかしこの詩自体は、あっけないほどごく小さな「事件」を捉えたものにすぎないらしい。
夜に、おそらく屋外に「顔鳥」が鳴いた、それだけのことだ。
詩人になにかしら「顔鳥」が霊性を感じさせているわけでもない。
なぜなら霊性を感じているのは光であるからだ。
この「事件」はただの事件であって、スタイリッシュな言葉の連打のための
ただのきっかけであるにとどまっているように思える。
詩集後半になると、ややこなれてくるけど、
それでも遊戯性に焦点がおかれて、ひたすら言葉遊びが続く。
もちろん「言葉遊び」は詩の特質だけれど、しかし「言葉遊び」そのものが詩ではない。
なんていうか、まったくこのひと自体が見えない。
このままではこの詩人は、単語のつまった籠であり続けるんじゃなかろうか。
こんなものを評価するほうがどうかしてる。
詩集に挟まってたパンフの、岸田将幸による書評が、
読み方によっては微妙にdisってるようで、さもありなんと思ったりした。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています