>>878
じゃ、踏み込んでやろう

実在にとって形式が本質的であることは、当の実在が自分自身にとって本質的であるのと同様だ言う。
だからこそ、実在が把捉され表現されるためには単に実在として、すなわち単に直接的な実体として
あるいは神的なものの純粋な自己直観としてばかりでなく、同時に、形式として、
しかも、その豊かな展開の全体において把捉され表現されるものでなければならない。
そのことによってはじめて実在は、現実的なものとして把捉された表現されることになるのである


はい!論破!!!