ムーミン・シリーズ 3
トーベ・ヤンソン作、ムーミンシリーズについて。 対象作品: 小さなトロールと大きな洪水 ムーミン谷の彗星 たのしいムーミン一家 ムーミンパパの思い出 ムーミン谷の夏まつり ムーミン谷の冬 ムーミンパパ海へ行く ムーミン谷の十一月 前スレ【楽しいムーミン一家〜ムーミンスレ2】 http://love6.2ch.net/test/read.cgi/juvenile/1175583938/ 前前スレ【やい、ムーミン、こっちむくな 】 http://book4.2ch.net/test/read.cgi/juvenile/1068271756/ 関連スレ【楽しいムーミン一家 part8】 http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/ranimeh/1285677485/ >>172 の真ん中と、173、きれいだねえ。 これ背景の色塗ったの本人じゃないよね。元の絵白黒だから。 こう言っちゃなんだが、日本でこうやって元は白黒の絵にちょっと色を足したりすると、 見るも無惨になるものだけど、ムーミン関係のそれは美しく決めてくる。 お国柄なのか塗った人がたまたま上手いのか。 もっとも、見るも無惨だからこそ、本人のじゃないと分かるのだから、 それはそれでいいのだけど。 「小さいトロールと大洪水」のイラストの 少女ヌードにエロスを感じる漏れは変態かな? 「さびしがりやのクニット」山室訳も借りてきた。 渡辺訳と原書と三冊ならべるといろいろ言いたいところがあるのだが、一番笑っちゃうところを。 まずこれ。 http://wibo.m78.com/clip/img/183880.jpg 昭和46年の山室訳の「さびしがりやのクニット」より。 次にこれ。渡辺版の2005年第5刷。 http://wibo.m78.com/clip/img/183881.jpg ヘムレン、お前30年の間に顔に何があったし。 最後にこれは原書。2001年より後のもの。 http://wibo.m78.com/clip/img/183883.jpg ちゃんと顔が元に戻ってる。 ていうか、これって版画か何かだったの? ヘムレンの顔の中身の灰色部分と、後ろに見えてる別のヘムレンの頭の部分の灰色、 どっちもdでんじゃん。後ろの2匹のヘムレンは、山室版が一番分かりやすい。 スウェ原語版、わの閉じのところになっちゃって、右のへムルの顔が分からない。 >>177 同じ時期に自分と似たことしてる人がいてワロタ。 訳の違いばっかり見てたから白抜きヘムレンさんには気が付いてなかったよw 絵本らしく子供に親しみ易い訳に改変したんだろうけど、やっぱり山室訳の方が好きだわ。 >>177 クニットのおしまいって結婚したわけ? 最終ページの1つ前のイラストって、結婚式に見えるんだけど 日本語訳には「結婚」て言葉はなかったみたいに記憶しているので。 スウェ語原著でもそうなっているの? >>178 ほんと、ずっと気づかなかったよ。 ここで山室訳があることを教えてもらって本当によかった。 >>179 ナカーマ。 山室訳の方が、情景とかが自然と浮かんでくる。 ていうか、これまでこの絵本を読んでも情景とか空気みたいなのが伝わってこないのって ヤンソンさんが老いたせいかと思ってた。 違った。訳のせいだった。 (なんて言ってごめん。渡辺氏よ。 何かのことで「日本新版が一番いいな」と思ったのもあった。) >>180 ほんとだ!そう言われてみると結婚式っぽい。 全然気づかなかった。ありがと〜。 でこのページの文章のうち「結婚」に近い単語が出てきそうなのは、 最後の「おいわいの火」の辺りぐらいかと思ってこの一文の文字読み取ってみると、 nu gungar gla:djelampor oaver havet var man ser, nu tro:star vi varandra och a:r aldrig ra:dda mer! これを英訳させると「gla:djelampor」が訳せない。 そこで「gla:djelampor」を単に検索すると、「gla:dje」と「lampor」という二つの単語らしきことが分かるので、 ここにスペースを入れてから翻訳ボタン押すと、 Now sways joy lights over the sea where you can see, now we comforted each other and are never afraid more! ということで「結婚」に当たる単語はなかった。 ただ万一だけど「gla:djelampor」をくっつけて書いたときは 熟語?みたいな感じで「結婚祝いの火」とかの意味で使われるとかなんとか、 そういう習慣があったとしても私には分からないや。 スウェーデン語詳しい人に聞いたら分かるかも。 山室氏も渡辺氏もその辺調べて書いたのだろうから、多分ないんじゃないかと。 (1ページ全部読みたいところだけど、手書きの筆記体で超読み取りづらいので、一文だけにて失礼。) >>182 180です、詳しいレスをありがとう!! 勉強になりました。 この結婚式ぽいイラストと、献辞の「Tootiに捧ぐ」だけ見て、 「この絵本、トーヴェさんから、トゥーティさんへの結婚祝のプレゼントかな?」 なんて、勝手に脳内で話を作っていたんで。 (当時はトゥーティさんがどんな間柄の人か知らなかった) たまにテレビでトーベ・ヤンソンの話があると、生涯を独身で過ごした、とか言ってるけどどういう配慮なんだろうな 本のあとがきでも「島で一人で暮らしている」と書いてたような・・・? ムーミンとスナフキンの切ない関係とか、トーベのセクシャリティが大いに作品に反映されてる(と思う)のになんだかなあ 大切な存在を「無かったこと」にするのはどうなんだろう 関わっている大人が勝手に、子どもには理解できない(混乱する)と思い込んでるんだろうね。 ムーミンとスナフキンには少年同士の友情以外のものを感じない。 第一、作家のプライベートを作品内に持ち込んで読み解こうとするなんて、下衆だよ。 下衆なんて言ってごめん。でも私は本当に誠実に、その読み方は下衆だと思う。 >>177 亀だけど この板見て気になって、 手持ちのクニット絵本を調べたわ スウェ本(1984年フィンランド印刷)は、ヘムル3人ちゃんと入っていたが フィン本(1960年 同じくフィンランド印刷)で、真ん中の黒タキシード(?)ヘムル、 黒目が飛んで、白眼だけになっていたよ ((;?u? ))ガクガクブルブル >>190 みんな原語版持ってるんだねぇ。ここ見てから密林見たら、画集とか欲しい物がありすぎてドツボだわw クニットのパーティーの場面で、トゥティッキに寄り添うミムラがヤンソンさんの自画像だって言ってる人がいたんだけど、どう思う? >>190 面白いねえ。どうして一部分だけ飛ぶんだろう。 黒タキシードのへムルって、顔だけ右ページで、体は左ページじゃん? 顔のある方のページ、同じ黒色が飛んでない? 話し飛ぶがスナフキンの出てくるページ比較。 渡辺版…右下の青い花は根元まで見える 山室版…左下の青い花は先っぽだけが見える(左右反転してる) スウェ語版…右下の青い花のさらに右下に入っているToveまで見える まあ瑣末なことだけどさ。古い日本の版は割りと大胆にトリミングしてるね。 あと色合いがそれぞれに違くて、けっこう印象が変わる。 このページ、Snusmumrikenという固有名詞は出てこない。 en mumrik spelar pa: sin flo:jt i so:mnig sommarvik, となってる。「en mumrik」のenは英語でいうとaにあたる。だからやっぱりムムリクは種族名なんだと思う。 私の直訳では、「一匹のムムリクが、ねむたい夏の入り江で、彼のフルートを演奏しています。」 山室訳は「うっとりするような夏のいりえで、スナフキンがふえをふいています。」 渡辺訳は「あれは、スナフキン。のどかないりえで、ふえをふいているのです。」 渡辺訳に「スナフキン」を既知条件として扱うかどうかの逡巡が見える気がする。 ついでに、一番「なんでやねん」と思ったところ。 山室版…24ページに便箋がはさまってる。その横には(ここにびんせんがあります。…)の注記。 渡辺版…24ページに便箋はついてない。その横には(どんな紙でもいいのです。…)の注記。 スウェ版…同じ箇所に便箋ついてない。その横に(ha:r har du brevpapper.…)の注記。 意味は「ここにびんせんがあります」! いや、ここにびんせんはないです! 本来ここにはさんであったはずのびんせんはどこへ…。(´Д`;) フィン語版は、ここどう? びんせんをはさんでおいて、読者がクニットの代わりに手紙を書いてあげて完成するっていう趣向、 トーベらしいような気がするけど。なぜ原書の出版社ははさまないのか。 この板で、薄いクニット本(おまけにホチキス止めじゃん、サビ出ちまったよ…)の濃ゆさ、思い知ったわ つーか、印刷に高度な技術を要する本なの? >>193 ご指摘ありがとー。見開きページの、ちょうどヘムルの黒目側に相対する部分が黒タキシードになっているので、ここに飛んだのかもね。 ヘムルの顔がドクロ状態で、正視したくない >>194 フィン本、買った時に既に発刊から10年経った本だったから、どっかで便箋なくなったとオモタ 注釈はやはり、ここに便箋があります、切手は要りません、薔薇の茂みに置いとけば…みたいにある。 私見だけど、山室本って、子供が自分でこの本を読むって設定でない? で、クニットの代筆をする。 便箋のない版は、おかーさんが子供に絵本を読み聞かせて、このページを読んだら「ほーら」とかって 適当な紙を出してあげる…そんなイメージだけど 拡大解釈かな? とすると、スウェ本・フィン本には「どんな紙でもいいです」まで書いてないから、 渡辺訳は、自読用・読聞せ用、両方に対応してるのかも 長文スマヌ >>189 作品を楽しむだけじゃなくて、分析したり批評したりってとこまで踏み込むのだったら作者のパーソナリティは無視できないでしょ スウェーデン系フィンランド人ってことも、両親が芸術家ってとこも、どういう人を愛したのかっても、 1971年までフィンランドで同性愛は「犯罪」で81年まで「病気」だったことも作品に無関係といえるのかな? まあ同性愛そのものに嫌悪感があって、そこに触れるのが下衆っていうならもうこの話はしないよ 失礼しました こういうことを語り出すと何もかもが同性愛になるんだよな この作家は同性愛者だったから、これは同性愛、あれも同性愛 クニットは一人ぼっちで寂しがってたけど、 結局自分を一番なぐさめるのは、寂しい誰かを慰めることなんだよね。 「スクルットをなぐさめなくちゃならないなんて、なんてすばらしいことだろう。」 って、なんて良い科白だろう。 ――てなことが 物語についてわやわや話し合うときの、一番の中枢のような気がするが、 そういう話はあまり出ないね。 ・ど真ん中過ぎて恥ずかしい。 ・スナフキンが言っていた通り、言葉にしちゃうとしたところばかりに気がいっちゃうからそれを避けている。 などなどが考えられるので、不思議なことじゃないけれど。 >>196 真っ当に返事くれてありがとう。 人種や家族や性嗜好が作品に無関係か?と言ったら無関係じゃないと思うよ。 でも私が言ったのは、関係あるかないかじゃなくて、 読者が作品の中にまで、それを持ち込んで読むべきなのかどうか、ということ。 例えばもしドラえもんの作者二人がケンカ別れしたというのが本当だったとして、 「この巻のドラえもんとのび太のケンカのせりふには、 この頃の二人の既に緊迫した状況の現出が見て取れる」とかなんとか言い出す奴がいたら、 「下衆」と思う。 もし物語を考えてる人が「僕、小学校のころ成績が悪かったんで」とインタビューで言ったら、 「のび太という人物の造詣には、学校の成績の低い者に対する言い知れぬ哀惜が…」、 もし実際には良かった成績表が発見されたら、 「のび太の人物造詣には、成績優秀な人間から見た客観的でドライなアイロニーが…」 そんな人がいたら声を大にして言いたい、 「お前、のび太の人物解釈は、 作 品 そ れ の み か ら し ろ よ」と。 人物の解釈も、人物と人物の関係性の解釈も、私は作品それのみからすべきだと思う。 「作者の人生における、この作品の意味」とか「フィンランド文学史における立ち居地」とかを考えるなら、別だろうけど。 >同性愛そのもに嫌悪 私は、同性愛が嫌いなのではない。同性愛を"おいしくいただいちゃってる"連中が嫌いなのだ。 失礼じゃないか!他人の性嗜好をネタにしておいしくいただいちゃってる連中というのは。 >>197 そそ。 どうもこういうことは、センセーショナリズムに走るきらいがあるよね。 センセーショナルなことを聞いて、「えーっ、そうなのー?」なんつって、 その側面からばかり作品を見るのは、どうにも残念なことだ。 >私は、同性愛が嫌いなのではない。同性愛を"おいしくいただいちゃってる"連中が嫌いなのだ。 >失礼じゃないか!他人の性嗜好をネタにしておいしくいただいちゃってる連中というのは。 まさに藤子不二雄の解散について安藤健二という作家が調べたことがあって 『オバQ』最終回で人間界を旅立つQちゃんと見送る正ちゃんを「解散を惜しむ二人」になぞらえた文章を書いていた (『オバQ』は二人の最後の合作作品) それはぶっちゃけちょっと強引な解釈ではあったけれど、なかなかいい文章だった ある意味それもまた二人のプライベートを"おいしくいただいちゃってる"ことになるけど 「別にいいじゃん」と思う ただお二人の意見を聞いてると何となく「同性愛者の理解者合戦」になってるフシがあって それも何か違うよなあとも思う 要するに、何でも腐や萌目線で見る大人が嫌いなんでそ。 ムーミンにはスノークのお嬢さんという公式な恋人がいるし、仮に作者がスナフキンにそんな思いを託したとしても、別に知りたくはないな。 だね 自分は同性愛者ではないし、普段特に興味を持っているわけではないが、現実の同性愛、同性愛者自体のことは嫌悪なんてしてないし、むしろ好意を持ってるし、その権利などについて強く支持する気持ちがある しかし、何でも腐や萌目線で見る大人(なぜか女性が多い)、自分が同性愛者でもないのに同性愛のことにやたら執着し、 一種異様な興味を持つ人たちははっきりと、嫌いだ >>201 > 「作者の人生における、この作品の意味」とか「フィンランド文学史における立ち居地」とかを考えるなら、別だろうけど。 そういう角度からトーベの性向を考えるなら、海外文献を調べては? フェミニズム研究家等の資料が出てますよ 日本で「ずっと独身」「一人の孤島ライフ」扱いだったのは、作為的だからかどうか判らないけど、 入って来る情報が限られていたからと思いますがー わざわざそういう性向から考える必要を感じないしねえ フェミニズム研究してる人は個人的に考えればいいんじゃないの 誰か「ムーミン絵本完全版」のDVD買った人いる? ヤンソンさんの朗読が副音声で入ってるらしいから見てみたいけど、レンタルでは見かけないし、迷ってるんだ。 >>206 >そういう角度からトーベの性向を考えるなら、海外文献を調べては? ちゃう、ちゃう。私はそういう角度からは考えない。 「作品とつき合うのに、人種や性嗜好情報はいらないのではないか」というのが私の主張。 が、文学史的な位置とか何とかの研究をする人がもしいるなら、 その人は作品それのみ以外を集めることもあるかもね、という譲歩なの。 >>203 >「同性愛者の理解者合戦」になってるフシがあって 真面目に読んでくれて、なんかd。 どっちかつーと、解釈、鑑賞、批評のそれぞれの段階で必要なものは何だろう?? とかをすごく考えたよ。 長文失敬。 (あれ?>>206 って>>196 なのかな?もしそうだとしたら、 >>196 の「分析・批評をするなら作者情報は必要ではないでしょうか」という論旨にのっとって話したというのに、 言い負かされたら(?)「論旨をズラ」して「転ばせるw」方向に走った――のなら お前マジふざけるな!エビフライぶつけんぞ!!) >>210 > (あれ?>>206 って>>196 なのかな? 別モノだよ もうそろそろこの話題はいいんじゃね?と思って違う話題を振ったのに、蒸し返すなよw 個人としての作家を考えるのなら、たとえば私人としての人種だの性嗜好だの考える必要があるけど、 一般に提出された作品というものを考えるのなら、それは作品そのものの内部で考えるべきものだよね 作家本人と作品はいっしょくたにすることは禁物、区別して考えなければならない もしそれをいっしょくたにしてしまったら、作品というものは常に限定された、普遍性のないものにになってしまう 読者が何かを読み取っても、「いや、これは作者の住んでいた湖水地方の風土に特有の物で〜」「いや、これは作者執筆当時の第一大戦間の経済状況が分からないと理解しえないもので〜」 「「いや、これは作者の生涯を通じたデュオニソス願望をストレートに反映したものでそれ以外の解釈をするのは無理がある〜」 作者がそれを完成させ、他人の目に触れた瞬間にそれは、作者の手から離れ、それ自体で完結したものになる その瞬間に作品=作者ではなくなる 今気づいたけど、>>201 のレスが自分のレスとほぼ同じ趣旨だったですね 失礼 >個人としての作家を考えるのなら、たとえば私人としての人種だの性嗜好だの考える必要があるけど、 >一般に提出された作品というものを考えるのなら、それは作品そのものの内部で考えるべきものだよね >作家本人と作品はいっしょくたにすることは禁物、区別して考えなければならない 別にそういうアプローチ法があってもいいけど 作家のバックボーンを作品に見て取る評論法は一般的なもんだし 「べきでない」なんて言うモンじゃないだろ 作家と作品は親と子みたいなもの 遺伝はあるし似ているけれど、別のもんだ >>208 TSU○AYAで「それからどうなるの」とクニットが入っているDVD借りたが(前者に、スウェ語のトーベの朗読付き)アニメだったよ そのまま絵本の絵が動く 「ムーミン谷へのふしぎな旅」も収録されたDVDがあるのかー あの作品もアニメ化されているのかな? 漏れも知りたい >>218 ありがとう。 静止画じゃなくて、アニメになってるのか。 ますます見てみたいけど、同じレンタル屋で検索したら、その昔のやつのデータは出てくるけど、完全版は出てこない。 まあ、ヤンソン画の絵本なんて、一般のお母さんには人気がないのかもしれんね。 ちょっと前にレスがあった「ムーミンのたからもの」みたいな無難な雰囲気の方が、アニメを見てた世代が買うのかもな。 >>213 何回蒸し返したら気がすむんだよw 他人のふりしてまで自己擁護とか、恥ずかしくないのか >>220 私は213じゃない。句点つけますし。 正直210のあと「ヤッチマッタ...ツギノワダイタノム」と思った。 213は私の言ったことをなぞりながら、「禁物」とかより過激に、偏って見えるよううまく加工した文みたい。 藁人形戦法でもかましてるのか、こういう人が実際にいて同意してくれてるのかは知らない。後者ならd。 >>216 それだ! 絵本の作品が2本入ってるDVD、ムーミンが牛乳缶はをこぶさびしげな雰囲気がよかった。 >>221 スルー耐性無さ過ぎ。いい加減ほっとけよ。 ちなみに>>212 =>>220 じゃないぞ。なりすましで荒らしてるヤツがいるんじゃないかってのは同意だ。 「蒸し返す」って言われると、どうしてもほこほこした肉まんが浮かぶんだ。 ムーミン顔の肉まんがあったらかわいいだろうなぁ。 >>221 自分は>>213 =>>216 です。別になりすましとか文章加工とかじゃなく、あなたと同意見なだけの読者 では、この話題はこれで終了、と 生まれて初めて原作ムーミン読みました 彗星 怖かった・・・・けど面白かった スノークのお嬢さんの女らしさに惚れたw スニフとか、あんまり好きじゃなかったキャラを好きになった スニフのかわいさは異常 まず「げろが出ちゃうよ」にやられるw スニフは最初読んだ子供の時は気弱なのに威張り屋であんまり好きじゃないなぁと思ってたけど 大人になると何か愛おしい。 あとフィリフヨンカが屋根から落ちそうになる所や海で絨毯洗ってるところの詳細な文章が なんか好きだ >>225 彗星はスニフと子猫の話が好きだったから、初版では出てこないと知ってショックだったな。 改訂前のシルクモンキーが出てくる話も邦訳して欲しい。 アニメが、改定前の彗星をベースにしてたら、さわやかコヤスキンは窃盗犯+脱獄囚の捨て子になっちゃう。 ちょっと子供には見せられない内容だしょ。 まあ、なつまつりの看板を引っこ抜くのもやらなかったしね。 いまムーミン画集を読み返してるのだけど、ヤンソンさんのコメントが面白い。 「実はスナフキンは自己中で甘やかされてるのでは?人混みを離れて一人でいるのは難しくない」とか、 「ムーミンパパは男性のどうしようもない面の人格化」とか、結構辛口でワロタ。 >>231 おーオモチロそう。図書館にあったから、早速借りに行くわ。 「人混みの中で孤独でいる」って、 「仲間たち」の「しずかなのが好きなヘムレンさん」を連想したよ。 子供時代は、読んでもピンと来なかった話だけど、 成人して会社人間になってから読み返したら、身につまされた〜。 誰か私にも、廃園一個おくれ… スニフとセドリックの話は物に執着してる人にぜひ読ませたいね >>234 あの話好きだ。 セドリック、あんな扱いをされて、でもスニフは怒らないんだよね。 237だが、スマヌ、動画リンクが上手くいかなんだ。 冬、ポルヴォー(あの辺で一番大きい街)の海辺からスケートで氷上を渡って、 クルーヴハルまで行ける動画もようつべにあったんで張ろうとしたのだが (冬のヘムレンを産んだ風土だな〜) 平ムー放映の1〜2年前、「ムーミン谷へのふしぎな旅」が品切で手に入らず、 たまたまフィンランドに行ったらスウェ語版が本屋にあったので、高いと思ったがGET。 当時のフィンランドでは、日本のようなムーミン・グッズは出回っていなかった。 (カセット・ブックや評伝は、ちょっと見かけた) 帰国して数年待てば、絵本が復刊するとは思わんかったわ。チェッ。 以上、ロートル・パパの愚痴。 平ムー放映前は、日本でもグッズなんてあまりなかった。 今でもよく覚えてるんだけど、ファンシーショップとか文房具屋で ムーミンのやつないかな、と思って探すと、不思議なほどなかったんだ。 でも今出回ってるムーミングッズってあんまり可愛くない・・・ 色とかデザインとか色んなとこが惜しいんだよね 食器とかフィギュアとか欲しいけど気に入る物が見つからない ぬいぐるみはあの絵を立体にするのは流石に無理あるから仕方ないけど フィギュア系はもっと頑張ってくれと思う 美少女フィギュア作ってる人が出してくれたらなあ アニメから本当に抜け出してきたようなのが欲しい それまで8冊だったシリーズが、9冊に増えたときは ぴょんと飛び上がって喜んだなあ。 >>243 自分もムーミンショップのイベントがあって行っても すぐ欲しい!ってほど心惹かれるアイテムが無かったなぁ…。 むしろかなり前に出たムーミンのビン入りマヨネーズとか、 クッキーとか何かのおまけみたいなものの方が気に入ってる。 でも手帳のデザインは毎年好きだな 画集を出してほしいな。 ムーミンのイラストのボツ原とかラフとか集成したやつ あるいは ムーミン以外のトーベの画業、みたいなやつ マニアックかも知れんが。 >>245 マヨネーズ、自分も心惹かれたけど、使い切る自信がなくて諦めた。今はアラビアのヘルシンキ・ワールドデザインキャピタル限定マグが気になってる。 >>246 ちょっと前のレスにあったムーミン画集(ふたつの家族)に、少しだけラフ画載ってたよ。 「不思議の国のアリス」は? トーベの画業としては書き流してるような気もするけど 紙質も印刷もきれいなハードカバーなのに、アマゾンで激安よ。 246です、さんくす。 PJの「ホビットの冒険」が公開されるんで、 それに合わせて、トーベ画のホビット邦訳が出ないかと、 甘いユメを見ています。 アラビアの限定マグ、クニット本のイラストがベースだけど、 トリミングが面白いですね。 モランまでグッズ化されるとは想定外だったわ。 現在の色々なキャラクターって、「カワイイ」を意識して創られるジャン ヤンソンのイラストって、その手のアザトさが感じられないんで好きや。 元々が、自分の弟を「できるだけ醜く」描いたのがムーミントロールだっつーし >>249 アラビアは、ムーミン一家以外の挿し絵を図案化してるのがあるから、見てて楽しい。 ムーミンは魅力ある脇役が多いもんね。 藤岡弘、が探検隊再結成に意欲!「トロールを見つけに行きたい」 ttp://eiga.com/news/20120320/6/ ムーミン大ピンチっっ!! 原作者一家の写真(アトス・ヴィルタネンのも)がいっぱいあるので、 http://moomi-troll.ru/ というロシア・ムーミンのサイト、見ています。 ロシア語は判んないけど。 ロシアのムーミン、イラストとかアニメとか、色んな意味で自由です 日本でも、初期出版されたムーミン本に、原作者以外の人がイラスト描いているけど、 イラストの方の版権が取れなかったってこと? パフィン・ブックスの英訳ムーミン本も、十何年か前は、 ヤンソン画じゃない微妙なムーミンを表紙絵にしていた。 いつからか、みんな"公式ムーミン"になったが。 1年ぶりくらいに「ムーミン谷の夏まつり」を読み返した。 スノークお嬢、ミムラ、ミーサのガールズ・トークに噴いたwww なんかリアルで。 児童書板復活以来数年ぶりにスレ除いてみたら 相変わらず荒れてんなここは。 あの内容だからこそあえての「ガールズ・トーク」呼びなんだと思うけど。 あれは「井戸端会議」ではない。 今週のブルータスにて 大友克洋の蔵書の中に、ムーミン谷の十一月と彫刻家の娘を発見。 地味に嬉しい。 青い鳥の後書き読んで見たけど 「ムーミンばかりが評価されるから、怒ってた」に該当するような発言なし。 考えてみれば児童向けの本で、 ムーミンシリーズそれ自体の後書きで、そんなこと書く訳がない。 文庫の後書きにもなし。 悪質だ。 ほほう じゃあ向こうの原書とか日本版じゃなかったのかもね >>262 改訂前の青い鳥文庫全部見た?訳者の方が初対面の時、ムーミンの話を切り出すと「またムーミンの話か(うんざり)」的なことを言われたと書いていたと思うが…。古い記憶だから細かいニュアンスが違ったらスマソ。 自分も図書館ででも確認してみるよ。悪質云々は心外だからね。 >>265 亀の164ですが、自分も似たような文章を見た記憶があります。 うろ覚えですが、1970年代のポスト・ムーミン期〜平成までのヤンソンについての記事で。 何で読んだか…が、忘却の彼方なんだけど。 >>266 自分も古い記憶で自信なかったからありがとう。 ってか>>262 って>>164 さんじゃなかったんだw またも164ですが、トーベの記事は意地で探すよ、時間かかっても。 青い鳥文庫ムーミンも重版多くて、初版探し難いけど、 Skurken i Muminhuset英訳だって、意地で見つけたし。 なんで他のスレ過疎ってんのにここだけ不必要に賑わってんのかね。 しかも悪い意味で。 read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる