筆坂秀世氏と日本共産党の体質
前略。筆坂氏は39年の党歴があり、党の中枢から社会や党内を見てきたと思いますが、
「中枢にいて見えなかったものが見えるようになった」という告白には共感を覚えます。
筆坂氏は何が見えたか・・我々に教えて欲しい。
彼が週刊誌に党と決別した理由を発表した途端、間髪入れず「裏切り者」とネットで流した同僚がいます。
「昨日の同志が今日は敵」か!
早くも「金に困ってマスコミに魂を売った」とか「本来のスケベ者であった」とか、
彼の人格を冒涜する真しやかな作り話が流れています。
彼を陥れる筋道が着々整えられているのではないでしょうか。
私は1966年、「党の決定を守らなかった。役に立たない奴は殺してやる」
と党幹部から鉄パイプで頭部を撲られて生命危篤の瀕死の重傷を負いました。
支部長が立会人。他に党員が二人いました。
この殺人未遂事件の背景には50年問題の残滓で党員間に反目、中傷、怨念が存在。
どのグループにも属さなかった私が見せしめ的に狙われたもの。
党は「本人が鉄パイプで撲りかかり逆に撲られた」「党に反抗する者」などと黒を白とする作為の通達を流しました。
これを謀略と言わなくてどう言えば良いのでしょうか?危うく死人に口なしになるところでした。
党は私が支部会議に出ることを拒否。中央委員会と県委員会に提出した意見書は行方不明になりました(握りつぶされていた)。
指導者は「党の統一と団結のため」という名目で私に「堪え=我慢せよ」と命令してきました。そして全党的に箝口令をしきました。
党の統一と団結」のためには「箝口令」「隠蔽」「会議に出さない」「意見書を指導者が握りつぶす」・・「謀略」すら許される体質。
実行者の指導者は批判されることなくむしろ「党組織を防衛した」と功労者(名誉顧問)扱いされています。
誰一人として指導者の責任が問われることがありません。
勿論のこと謝罪することもありません。
日本共産党の体質は何も変わっていません。略。
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