生産手段の最終的な共有は、生産様式の発展による普遍的ベーシックインカム
を実現することが究極目標であって、それによって唯物論的な個人の生活の自由
を保障するためのものだよ。
従来のブルジョア的リベラリズムは上部構造という法的理念での個人の自由しか
保障せずに、経済的、つまり唯物論的な人権保障を無視ないし軽視してきたため、
賃労働という形での個人の自由の拘束が実際的に行われ、自由は疎外されてきた。

従来のブルジョワ自由主義がもっていたそこの限界を修正しようとするのが共産主義。
ゆえに共産主義の目的は他律的に労働を強いられる階級的宿命からの個人の解放にある。
だから労働党にするというのは共産主義の理念からすれば一歩後退なんだよ。
むしろ反共産主義的でさえある。将来的には「反労働党」に改名すべき。