>>30
そもそもロシア革命が興ったのは、資本主義の発達していない農業国家の帝政ロシア。
同様に、中国などの東アジア諸国、東欧諸国、キューバ等々、資本主義がほとんどないか、
全く成立してないところ。つまり、ブルジョアジーもプロレタリアートも興隆していない地域。
これらの地域で起きた革命はマルクス主義史観からすれば、イデオロギー水準での「自称」
はどうあれ、社会主義革命として認識される事件では断じてなかった。
マルクスの言葉からあえて探し当てるとするならそれはナショナリズム革命(右翼革命)だった。

レーニンやトロツキーらボルシェビキは、マルクスやエンゲルスの史観の教条主義から離れ、
多くの雑多な思想をとりこみ、ブランキ主義的な手段+前衛党主義によって革命を実現した。
レーニンは、自分たちが行った革命は、社会主義革命でなかったとはっきり言明している。
かといってブルジョア革命でもないという立場をとったが。
そしてレーニンは、ソ連を社会主義以前の段階にある国家とし、ソ連が社会主義国になるのは
まだまだ何代も先のことになるだろうとし、その実現はたいへんな困難を伴う仕事になるとした。

ソ連=社会主義国としたのはスターリンがでっちあげたことであるとされている。あるいは、
スターリンでさえ、またソ連の公式見解においても、ソ連は社会主義にまだまだ到達しておらず、
その過渡段階、つまり発展途上にある国家としていた。この点はどっちかはっきりしないが。

はっきりしているのは、レーニンが最期までソ連を社会主義国とせぬままこの世を去ったこと。
レーニンの史観でいえば、社会主義→共産主義になるのだから、彼らがソ連を共産主義の
前段階である社会主義の段階にすら達していない国家と考えていたことだけはたしか。