>>101
政治優先ねえ。そちらが思う経済決定史観だと革命はどのように進むわけ?
生産手段が労働者の十全な権限のもとに移譲するのはどのような純粋経済的プロセスをたどるの?

マルクスが生きていたころの19世紀型資本主義は社会主義以前にとっくに崩壊している。
その意味では先進資本主義諸国は少なかれレーニンのいう社会主義の段階に前足をかけていたと思う。

経済決定史観をとるならば、まだその段階でプロレタリアートの代表が議会で多数派になるのは
時期早々でしょう。
なぜなら、経済システムにおいてはプロレタリアートの権限もまだごく限られているのですから。

マルクスは、ゴータ綱領批判などを読む限り、資本主義から共産主義への移行が即座にできるとは
考えていなかったようで、その過渡期を想定している。
その過渡期をどれほどのスパンやどこに置くかでマルクス主義の間で論争があるのは知っている。

しかし資本主義と共産主義との混合段階があるということを認めるのならば、
現在の経済システムはサミュエルソンが認めたようにその混合経済の段階にはあることになる。
まだまだ、資本主義9割共産主義1割という混合かもしれない。

その比率が徐々に共産主義側に移っていく下部構造の流れをマルクスが想定していたことは
明らかじゃないかと思う。要するに下部構造は長いスパンで共産社会へと移行していかざるをえない。

そうそう、ここでの問題は上部構造の解釈をめぐるものだったね。

マルクスがゴータ綱領批判でプロレタリア政権与党による資本主義と共産主義との混合経済を
想定していたとするならば、プロレタリア政権も資本主義を採用していることを意味する。
つまり、プロレタリアート独裁の段階にも資本主義の母斑は残るわけだ。
しかしマルクスの理想よりもそれはゆっくりだった。そういうことなんじゃないかと思う。

とはいえ、困窮化仮説が消えてなくなったわけじゃないね。