>>105
> 生産手段が労働者の十全な権限のもとに移譲するのはどのような純粋経済的プロセスをたどるの?

懐かしい質問だな。この板ではもうそんなことを疑問に思う人はいない。
昔はちょくちょく出てきた。「ビジョンを示せ」みたいなレスが。
俺は「じゃ自民党がそんな遠い未来の社会を的確に描いたことがあったのか?
なんで左翼だけがそんなことを強制されるんだ?」って思っていた。
その質問に最も遠いところにいる左翼が何故と。
だからその質問の答えはこうだ。
「占い師にでも聞いてくれ。その人はきっと支払う料金に見合うほどあなたを納得させるプロセスを提示するだろう」と。

> 経済決定史観をとるならば、まだその段階でプロレタリアートの代表が議会で多数派になるのは
> 時期早々でしょう。
> なぜなら、経済システムにおいてはプロレタリアートの権限もまだごく限られているのですから。

で、経済決定史観を取らないから「プロレタリアート独裁=普通選挙制」という認識なんだと。
それに対して「逆立ちしている」という俺の意見は間違ってはいないはずだ。
弁証法的唯物史観は過去の歴史を説明するだけじゃない。
現在の状況をも明らかにする。
たとえばそれは普通選挙制度のもとでも有権者が裏切られ続けることすら明らかにする。

俺は今現在のことを言っているんだ。
今現在二十才以上の人に投票券があるから(あと被選挙権は何歳だっけ?)プロレタリアが独裁していることになるのかって。
何ら行使もできない、それどころか議会で多数派にすらなれないで「独裁」と言えるのかと。
普通選挙制度のもとでも労働者はわずかな影響力しか社会にもたらすことができないならそれを「独裁」と呼べるのかって言っているんだ。

未来の経済的プロセスなんてどうでもいい。過去の歴史の説明もどうでもいい。
労働者は今現在の資本主義の矛盾の中で生きていてその中で生きるすべを見出そうとしている。
それが「プロレタリアート独裁=普通選挙制」なら議会政治にどんな期待ができるんだ?