廣松氏は、最晩年の戦前アジア主義肯定ともうけとれる論考がまず衝撃的だった。
さらに西田、日向という水と油の両派が、ともに機関紙上でその死を追悼していたのが驚き。
加えて、どっちの記事か忘れたけど、葬儀後にその骨を骨壺にひろったのが塩見・荒の両氏だったとか。
誤りは誤り(アジア主義的主張には、釈明が必要だったのでは?)としつつ、ブントならでは?の人物のス
ケールの大きさには学ぶべきところが大きいと思いますね