両川派は小林氏が早くから広松研究で関係があったが
日向派は広松を敵対勢力の一人としか見れず
日向自身の後の文章にも「広松理論の摂取が決定的に立ち遅れていた」と書いてた
しかしながら両川派の現場の諸君がどれほど広松に拘りがあったかはいささか疑問で
日向派の諸君の摂取のスピードのほうが速く見えたな