【BUND】共産主義者同盟総合スレ【ブント】 [転載禁止]©2ch.net
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労脅威党内闘争史
'75年9月に天皇訪米阻止闘争の一環として行った「九・一五自衛隊攻撃闘争」
では東京北区の自衛隊十条支処付近で時限式鉄パイプ爆弾を誤って車中で爆発
させてしまい、死者、逮捕者を各1名出した。この誤爆事件を契機に警察の取締りが強まり、
当時の労共委中央は指導責任等を巡って混乱に陥った。 A老脅威党内闘争史
混乱の中で「プロレタリア革命戦争路線」と
全党地下化による戦争体制の即時採用を要求して
「臨時中央委員会」を名乗った成島忠夫を
中心とするグループ(臨中派)がクーデターに出た。
当時の中央委員会はこの臨中派に接近したが、
主流派の批判を浴び、主流派は独自に
第5回中央委員会総会を開催して結束を図り、
中央委派を形成。臨中派は労共委から分裂した。 A老脅威党内闘争史
分裂した臨中派は関西方面に活動拠点を置き、大阪で「釜ヶ崎働く仲間の会」を結成し、以後釜ヶ崎の寄せ場を中心に活動を行った。
この間、関東学院大学グループを中心とする神奈川県委員会による田野井利明ら少数派は、中央委派と臨中派との対立による分裂の回避を主張したが、中央委派からは敵視され分裂、中央委派によれば臨中派に接近した。機関誌として『プロレタリア革命』を発行。 C老脅威党内闘争史
中央委派が行った第5回中央委員会総会は、
党の中央集権的指導体制を確立、爆弾闘争に
端を発する取締りへの反撃体制を堅持し、
九・一五闘争とそれ以降の党内闘争を総括し、
新たな革命理論、組織・専横体制の構築を
完成させることを任務としていたが、未だなお抽象的であり、
臨中派との闘争においても十分な指導を行うことが出来なかったという。 D老脅威党内闘争史
このまとまりきらない状況下で中央委派は
労共委第7回大会を開催。大会では新たな
中央指導部が選出され、従来の活動の否定的総括と
当面の政治的目標を掲げて、且つその当面の活動方向を明確化した。 E老脅威党内闘争史
しかしながらこの過程で旧中央委員望○や
旧東京都委・旧中央委員候補白○、野○らを
中心とするグループ(東京都委員会派)は
第7回大会決議を否定し、労働者共産主義委員会
再建中央委員会を名乗って'77年7月分裂した。機関紙『労働新報』。 F老脅威党内闘争史
その後中央委派は'79年9月に労共委を解散、
日本共産党(マルクス・レーニン主義)全国委員会に合流した。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています