解放委がL研をたぶらかして抱き込みに成功したら8.25共闘を一方的に解散しようとした。
これが烽火とマル青との対立の一番の原因じゃなかったっけ?
マル青結成時は一応解放委とL研の対等合併となっていたが、のちに一方的な併合だったって
自分たちで認めたんだが、具体的な経緯は俺みたいな部外者はわからない。
ただし、マル青結成の時点で佐野さんがやけに距離を置いたような雰囲気だったし、実際結成直後に
離脱したってことは、それなりの複雑な事情があったんだろうな。
置いてきぼり食らった烽火と怒涛は、しばらく自分たちだけで8.25名乗ってたけど、詳しくは知らない。

それよか、その当時の烽火の装備はなかなか見ものだったのを思い出したわ。
中とかも服の下に小手や鎧を着こんでいたが、烽火の小手は手首の先まであって、たしか指の第二関節
くらいまで防御できる代物だったな。天気もいいのに全員折り畳みじゃない傘を持参。
確か赤坂見附駅あたりで、マル青と遭遇してドンパチ。マル青潰走は気分が良かった。