怖いんだが…

813 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ガラプー KKad-+3Pe) sage 2019/01/11(金) 17:27:20.19 ID:LvxxYiw2K
ザ・上級

「竹田恆和JOC会長、1974年に交通死亡事故を引き起こしていた」
1974年10月23日付の読売新聞夕刊が〈五輪馬術代表の竹田選手 女性はね死なす〉という見出しで記事にしているので、全文を紹介しよう。
茨城国体に出場する東京都の馬術選手の乗用車が、二十二日夕、会場近くの茨城県稲敷郡新利根村で歩行者をはね、死亡させた。
 二十二日午後五時ごろ、新利根村角崎の県道を歩いていた会社員女性(二二)は、茨城国体馬術競技東京都代表、竹田恆和選手(二六)(東京都港区)の乗用車にはねられ、
頭を強く打って近くの病院に収容されたが、二十三日午前零時過ぎ死んだ。江戸崎署の調べでは竹田選手が対向車のライトに目がくらんだのが事故の原因。
 竹田選手はIOC(国際オリンピック委員会)委員の竹田恒徳氏の三男で、馬術のミュンヘン・オリンピック日本代表。会場の同郡美浦村の馬術会場近くの合宿所に行く途中だった。

この記事では、明らかに竹田氏側の過失だと思われるが、竹田氏は重い刑事責任を問われることもなく、ほどなく馬術競技に復帰。
事故から2年も経っていない1976年に開かれたモントリオール五輪に出場している。
普通なら、死亡事故は交通刑務所へ服役。過失が少なくて1年半ほどである。とてもではないが2年後の五輪に出場できない。