【煽るだけ】古本屋通信を指導するスレ【聞く耳持てや】 [無断転載禁止]©2ch.net
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共産党界隈について言いたい放題で煽る芸風が好評の古本屋通信。
他サイトの管理人や常連にもズケズケ言うのが小気味良い。
しかし、古本屋通信のコメント欄は閉鎖&メールなどの連絡を絶っている事からも伺える通り、中の人のメンタルが超デリケートなようだ。
このスレでは、そんなガラスのハートを持つ古本屋通信の中の人を優しく指導してあげよう!
http://matinofuruhonya.blog.fc2.com
古本屋通信
VIPQ2_EXTDAT: none:vvv:1000:512:----: EXT was configured 古本屋みたいなのが一匹まぎれこむと組織の百人が迷惑する。奴の言動を見よ。腐ったミカンは即座に排除しなければならぬ 邪推だと思うが、書いてみよう。
書店主はИС-3が日本を蹂躙する様を
夢見ていたような奴ではないのか? 11月22日
>日本共産党は完全に狂っている
>赤旗はキチガイか! 死ね、赤旗記者!
12月17日
>〔日本共産党に〕期待するものは大いにあるのです。
>私が絶賛する党員、そして時々賞賛する赤旗記事をお読みください。
泥沼にも!白蓮は咲く!!!
古本屋通信さんには!!白蓮が!はっきりと!見える!!!
日共に対する!狂おしいまでの!憎しみと!愛情!!!
その!激しい!せめぎあい!!! おどろおどろしい!情念の世界!!!
しかし!!
古本屋通信さんには!!弁証法がある!!!
古本屋通信さんは!!最強なのです!!! >>243 を読んで書店主は「宗教者なら与(くみ)し易し」
と見くびったのだろう。
宗教における人的上下関係は個人の純粋な志を裏切る。
書店主は党組織から裏切られることを想定しないらしい。
党組織より優先する何かの指令を呑んでいると見られる。 古本屋よ。新幹線に乗って福山市議会に見学行ったり、京都の山田某に会いにいったり、
そんな無駄な金があったら、党の県委員会にでもカンパしたらどうか。5万円でも喜ぶと思うぞ。 「ИС−3」を書店主はよく知っている。
検索するまでもないわけだ。
一般の方へ、スターリン戦車の型番です。
書店主の正体が見えましたね。 トンデモ爺さんだからしょうがないよ。韓国の歴史修正主義者・ニューライトの朴裕河を支持するくらいだからね。
朴裕河についてはこれを読んでください。
忘却のための「和解」―『帝国の慰安婦』と日本の責任 - 鄭 栄桓 単行本 ¥1,944 世織書房
「慰安婦」問題の現在―「朴裕河現象」と知識人 - 前田 朗 単行本 ¥1,944 三一書房 吉本隆明の初期は評価できる。
マルクスの剰余価値説、疎外論、物神崇拝批判、などは業績。
火事場泥棒スターリン主義=社会帝国主義の亡霊は地獄へ去れ! I書店主の人物評は皮相で浅はか。深く参究しようとする姿勢が無い。
中身の無いエージェントの姿を偽装するための煙幕にすぎないからだ。
マルクスなどろくに読まず、ゴロツキの刺青よろしくチラつかすのみ。
決まった曜日・時刻に短波ラジオを聴いているだろう。
客を装って来店するケース・オフィサーと接触はしているだろう。
店が持っているのはオフィサーのお蔭。 工作任務の一つがカジノ合法化。金正ウンコが待望している。
毎年訪朝するアントニオ猪木につながる人脈が岡山にはある。 「社会科学」という用語を振りかぶって
素人を威圧する手法は日共も同様。 >>241
青い鳥さんの世界観とどちらが独特ですか? 政務調査費の件、共産まで波及するって気付いていたんだなw http://matinofuruhonya.blog.fc2.com/blog-entry-2679.html
>荷風は鴎外を深く尊敬していた。
>冒頭の十数字で完全にアウトである。これだけで私は後を読む気がしない。
小学生ではない。ふつうの書き手は先ず絶対に書かない。
少なくとも両作家に対する冒涜であろう。
たぶん筆者は荷風、鴎外の文学の欠片も理解していない。
理解せぬまでも、いくらかの敬意があれば絶体に書けない十数字である。
私は鴎外と荷風の関係に疎いから、これを漱石と芥川の関係に置き換える。
「芥川は漱石を深く尊敬していた」 と。絶対に書けないだろう。
小学生が「お母さんはお父さんをとても尊敬していました」 と言うに等しい。
面倒だから断定する。芥川が漱石山房に出入りしていた漱石の高弟であることは天下周知の事実である。
だからといって「芥川は漱石を深く尊敬していた」 と言い放つ非文学的な無神経は絶望である。
荷風が鴎外を深く尊敬していたのは公知の事実で、
両者の関係を論じる際には言及が必須。
なるほど、「私は鴎外と荷風の関係に疎いから」と仰る以上は、
まずは「荷風 鴎外を尊敬」で検索を。
荷風は鴎外を深く尊敬していた事実を、
知らなかったのに教えてもらえたわけだから、
その人の文章を褒めなくても、
お礼ぐらいは言ってあげたらいかがでしょうか。 *『小説作法』
「人口あれば語る。人情あれば文をつくる。春来つて花開き鳥歌ふに同じ。皆自然の事なり。
これを究むるの道今これを審美学といふ。森先生が『審美綱領』『審美新説』を熟読せば事足るべし」
「文学雑誌の投書欄に小品文短篇小説なぞの掲載せらるるを無上の喜びとなすものはまづ大成の見込なきものなり...
論より証拠は今日文壇の泰斗と仰がるる人々を見よかし。森先生の弱冠にして『読売新聞』に投書せられしは
今のいはゆる地方青年投書家の投書と同じからず。紅葉露伴樗牛逍遥の諸家初めより一家の見識気品を持して文壇に臨みたり。
紅葉門下の作者に至りても今名をなす人々皆然り」
*『書かでもの記』
「一幕二場演じをはりてやがて再び幕となりし時、わが傍にありける某子突然わが袖をひき隣れる桟敷に葉巻くゆらせし髭ある人を指してあれこそ森先生なれ、
いで紹介すべしとて、わが驚きうろたへるをも構はずわれを引き行きぬ。われ森先生の謦咳に接せしはこの時を以て始めとす。先生はわれを顧み微笑して
『地獄の花』はすでに読みたりと言はれき。余文壇に出でしよりかくの如き歓喜と光栄に打たれたることなし」
*『断膓亭日記巻之二大正七戊午年』
「正月廿四日。鴎外先生の書に接す。先生宮内省に入り帝室博物館長に任ぜられてより而後
全く文筆に遠ざかるべしとのことなり。何とも知れず悲しき心地して堪えがたし」 >>261 >>262
「謙虚になってちょうだい。あなたのそういう態度が地区に伝わったのよ・・・・」 過去の事実も含めて痛いところを突かれて反論不能に陥り、逆上した様子。
「的外れの投稿」でも「揚げ足取り」でも、何でもないわけだが。
たとえそうだとしても、ここまで感情的になる必要はなかろう。
荷風と鴎外の関係など、どうでもよい。
それを知らなくても恥ではないし、そもそもそれが問題なのではない。ついでに、
>両作家に対する冒涜...いくらかの敬意があれば絶体(ママ)に書けない...
>私の論の核は「荷風は鴎外を深く尊敬していた」の事実の是非ではない。こういうことを文章の冒頭に置く文章作法の是非だ...
趣旨が変遷、矛盾しているが、また「揚げ足取り」と言われても困るので。
与えられたテクストで、書き手が伝えたかった真意が読み手に正確に伝わらなかったとしても、
必ずしも書き手の落ち度とは限らないし、また読み手の側に他意があるとも、一律には断じられない。
>たぶんこの方は上記の筆者ほどの文しか書けないだろう。
>苦痛と感じる感性が謙虚でなく傲慢だと言いたいのだろうか。
どちらも感情的で無意味な、憎まれ口だナ。傲慢だ、などとは一言も書いていないのに。
>なぜなら他人(ここでは私)の文を、相手の立ち居地に身を置いて読み取ろうとする修練ができておらず...
その通りです。これは古本屋さんが正しい。読み手は自身の言語・語彙に拠ってしか、与えられたテクストを解読できない。
古本屋さんが2チャンネルの書き込みを感情的に解釈して反応しているのも、それと同じことでしょう?
http://matinofuruhonya.blog.fc2.com/blog-entry-2679.html http://matinofuruhonya.blog.fc2.com/blog-entry-2679.html
このエントリーは余禄で立てたのだが、想定外のイチャモンが付いたりして
長くなってしまった。古本屋通信の全ての文はたたかいだが、
実はこういう分野のたたかいは私にとって副次的だ。
あれこれ揉めてまで通そうとは思わない。
近日中に削除する予定である。書けば書くほど鬱陶しいワ。
こういう文を読まされるのは苦痛である
今日は少し異質な板にしたい思う。古本屋商売をやっていて、
多少は雑文を書いていると、自分の書いた文を送りつけてくる方がいる。
褒めてくれとは添え書きしていないが、本音はそうだろう。
昨日ある方から印刷物2頁のコピーが送られてきた。旧知の方である。
ひとのよい年配の方だから、私は人格的に論難する何の材料も持っていない。ところがその文章たるや一読もしないうちに苦痛を感じてしまった。それを書くことにする。
荷風は鴎外を深く尊敬していた。その関係もあってか、森茉莉は市川の荷風宅を訪ね、文を見てもらっていた。
Aさん(実名を古本屋がイニシャルに変えた)の文によれば、茉莉は世田谷経堂のアパートの一室で、独り暮らした。
萩原葉子が茉莉の体の衰えを気遣うと、「体が弱いのは娘時代から、年寄り扱いしないで」 と言い放ったという。
しかし、昭和六十二年六月、死去。死後二日後、家政婦により発見された。
通報で駆け付けた刑事は、「年寄りの質素な部屋に、どうしてこんなに書籍が沢山あるのか」 と、いぶかしがったという。
家政婦が鴎外の長女で、作家だと説明すると納得し、後に、「一人暮らしの寂しさより、それを楽しんでいる風な部屋だった」 と、語ったという。 古本屋通信
冒頭の2行が筆者の文で、あとはAの伝聞である。伝聞ではあるが、筆者はすべてAの話を諒解して、彼に同化している。
それは別の個所で、「Aさんは、わたしの尊敬する古本屋で、数多くの本を出版されている書き手である」 と書いていることからも分かる。
因みに私はAが嫌いである。彼は古本業界で名高い売文家である。まあペテン師だろう。F書店時代にいちど会っている。
実際に上記引用は半分はAの文である。然し、それを引用して同化したのは筆者だから、私の批判は筆者に向けられる。
以下再録して、いつものように赤字で批判する。 http://matinofuruhonya.blog.fc2.com/blog-entry-2679.html
荷風は鴎外を深く尊敬していた。
冒頭の十数字で完全にアウトである。これだけで私は後を読む気がしない。小学生ではない。ふつうの書き手は先ず絶対に書かない。
少なくとも両作家に対する冒涜であろう。たぶん筆者は荷風、鴎外の文学の欠片も理解していない。
理解せぬまでも、いくらかの敬意があれば絶体に書けない十数字である。私は、これを漱石と芥川の関係に置き換える。
「芥川は漱石を深く尊敬していた」 と。絶対に書けないだろう。小学生が「お母さんはお父さんをとても尊敬していました」 と言うに等しい。
面倒だから断定する。芥川が漱石山房に出入りしていた漱石の高弟であることは天下周知の事実である。
だからといって「芥川は漱石を深く尊敬していた」 と言い放つ非文学的な無神経は絶望である。 その関係もあってか、森茉莉は市川の荷風宅を訪ね、文を見てもらっていた。
これも根拠のない推測である。鴎外と荷風と森茉莉の3人の文学者に対する冒涜である。
筆者は「その関係で」と書かないで、「その関係もあってか」 と逃げている。余計に悪い。
私は知らないから断定はしないが、本当に森茉莉は荷風に文を見てもらっていたのか、ずいぶん怪しい話である。
ウィキ流に云えば要出典という事になる。とにかく推測と事実を区別する文でなければならない。失格である。、
Aさんの文によれば、茉莉は世田谷経堂のアパートの一室で、独り暮らした。
萩原葉子が茉莉の体の衰えを気遣うと、「体が弱いのは娘時代から、年寄り扱いしないで」 と言い放ったという。 Aに依拠した文だが、同様に出典がない。Aのデッチアゲの可能性が大である。
森も萩原葉子も死人である。死人に口なしだから、書きたい放題である。
後の文にも 「という」 との伝聞が多用されている。これも許されないことである。
それに何の注釈もなく、朔太郎の娘である萩原葉子を、さも自分は博識だと云わんばかりに登場させるやり方も醜い。
しかし、昭和六十二年六月、死去。死後二日後、家政婦により発見された。
通報で駆け付けた刑事は、「年寄りの質素な部屋に、どうしてこんなに書籍が沢山あるのか」 と、いぶかしがったという。
これも創作童話であろう。孤独死は一応不審死だから、鑑識を伴なった警察官が来る。それが刑事だったこともあるだろう。
しかし職務でやって来た警察官が上記のような疑問を口にすることはありえないだろう。つまり筆者はもっともらしい言い方で、警察官の無教養を言い募っている。
逆に文学者たる森茉莉を無知な警察官との対比で無用に賛美している。こういう文章も醜い。
家政婦が鴎外の長女で、作家だと説明すると納得し、後に、「一人暮らしの寂しさより、それを楽しんでいる風な部屋だった」 と、語ったという。
警察官がこういう感想を洩らすことはありえない。つまり筆者がすべてを自分に引き寄せて、登場人物を操っている。
ここには文学者たちに対する不遜と、彼らの名声と権威に擦り寄って、自己を彼らに同化しようとする人間の卑小さが滲み出ている。 やれやれ、ピントはずれの投稿、参ったナ。
261 : 革命的名無しさん (ワッチョイ)
2016/12/23(金) 11:20:12.27 0
(前半は拙文の引用)
荷風が鴎外を深く尊敬していたのは公知の事実で、
両者の関係を論じる際には言及が必須。
なるほど、「私は鴎外と荷風の関係に疎いから」と仰る以上は、
まずは「荷風 鴎外を尊敬」で検索を。
(ようここまでピントはずれが書けるな。下記参照。古本屋)
荷風は鴎外を深く尊敬していた事実を、
知らなかったのに教えてもらえたわけだから、
その人の文章を褒めなくても、
お礼ぐらいは言ってあげたらいかがでしょうか。 古本屋通信
まず私は上記筆者の文を批評(批判)したのであって、対話をこころみているのではない。
仮に対話を試みても、ここまでの文を書く人との(少なくとも文章作法上の)意思疎通は無理である。
ネットをやらない人だから、余程の事がない限り拙文を目にすることはないだろうが、かりに読んだとしても意味を理解しないだろう。
逆に、意味を解さないからこそ、こういう文が書けたのだ。私は他人の文を素材に読者に向けて書いている。
批評(批判)とは一般にそういうものだ。それは対象が生存者であっても死者であっても基本的に変わらない。
あんまり的ハズレな事を言いなさんな。
もうひとつは、私は荷風と鴎外の関係を知らないから芥川と漱石の関係に置き換えた訳ではない。
この点は些かお門違いで腹立たしい。「鴎外と荷風の関係に疎いから」とは、「漱石と芥川の関係ほど熟知していない」を意味する。いわば謙遜だ。
言葉尻をあげつらって揚げ足を取っている。私が知らない事を教わったのだから感謝せよとのたまう。
笑わせるな! ホントの事を書くと、私が置き換えたのは、自分の不案内のためではないのだ。
一般的な近代文学史上の師弟関係からして、漱石ー芥川の関係の方が分かり易いからだ。
揚げ足を取る暇があったら、そういうことくらい読み取れや。 然しここまで的はずれの投稿があるとは夢にも思わなかった。たぶんこの方は上記の筆者ほどの文しか書けないだろう。
なぜなら他人(ここでは私)の文を、相手の立ち居地に身を置いて読み取ろうとする修練ができておらず、自分の過去認識に寄り掛かって他人を非難しているからだ。
まあこういうことは日常生活では多いだろう。然し文章批評や文芸評論とは無縁な方法であろう。最初だから黙殺せず丁寧に答えたが、再度の投稿には応じないと明言しておく。
まあ、最後の置土産だ。私の論の核は「荷風は鴎外を深く尊敬していた」の事実の是非ではない。
こういうことを文章の冒頭に置く文章作法の是非だ。これは「お母さんはお父さんを尊敬していました」 と書く小学生の文章に等しいと言っている。
お母さんとお父さんの間には数十年の生活史がある。子供も中学生になったら、お母さんとお父さんの間のいさかいも見ているだろう。
小学生のようなことは書かない。私は絶対に書かないし、いままで見たこともない。これをふつうに受容できる感性を論外だと非難している。
ゆめゆめ他人の論旨を自分流に捻じ曲げないことだ。 263 : 革命的名無しさん (ワッチョイ)
2016/12/23(金) 13:14:52.53 0
>>261 >>262
「謙虚になってちょうだい。あなたのそういう態度が地区に伝わったのよ・・・・」
http://matinofuruhonya.blog.fc2.com/blog-entry-2679.html
古本屋通信
思わず笑ってしまった。これと同じことを1970年の転籍手続きの握り潰しのときに、今は亡き藤原同志(息子さんの東田さんが共産党市議団事務局にいる)に言われたナア。
あれから46年、ただの一度も自分が謙虚でなかったと思ったことはない。だから今日の批判的クリティシズム(下記参照)の古本屋通信がある。
謙虚とはしばしば屈服の代名詞であることもまた論を俟たない。下に戸坂のクリティシズム論を貼るが、これを読めば作家と作家の間であれ、作家と批評家の間であれ、相互に「尊敬」などという「まやかし」の入り込む余地が皆無であることが読み取れよう。
最後に冒頭の見出しに返るが、私は「こういう文を読まされるのは苦痛だ」という題で書いている。苦痛と感じる感性が謙虚でなく傲慢だと言いたいのだろうか。 古本屋さん自身は、作家について論じる・批評する人は、その作家(この場合は荷風・鴎外)に対して「敬意」(「尊敬」とほぼ同義語?)を抱くべきだとの旨、主張していらっしゃるように読みとれますが。
>少なくとも両作家に対する冒涜であろう。たぶん筆者は荷風、鴎外の文学の欠片も理解していない。
理解せぬまでも、いくらかの敬意があれば絶体(ママ)に書けない十数字である。
その一方で、次のようにも。
>下に戸坂のクリティシズム論を貼るが、これを読めば作家と作家の間であれ、作家と批評家の間であれ、
相互に「尊敬」などという「まやかし」の入り込む余地が皆無であることが読み取れよう。
矛盾していませんか。それとも、テクストを読み取る側の解釈力不足でしょうか?
http://matinofuruhonya.blog.fc2.com/blog-entry-2679.html 古本屋が知人から送られてきた雑文をキチガイのように弾劾しているの見て失笑した。
共産党の末端専従に福祉関係者(日本福祉大卒か多い)や保育園労働者を多く配置するわけがやっとわかった。 保育園労働者→保育労働者に訂正
あのキチガイのサーディストに狂ったように指弾されるところだった。 古本屋みたいなキチガイじみた罵詈雑言も、介護や保育でならした百戦錬磨の専従たちには、ウンコもらしや小便ちびりと同じ程度なのだろう。
「おじいちゃんまたやったの?」
「ボクチャン、オムツをかえましょうね」 古本屋のトンデモぶり。
まず歴史修正主義。松竹伸幸と一緒になって歴史修正主義親日右翼の朴裕河を擁護している。
まともな歴史学者の本は一冊も読まずに「言論弾圧」と決めつけ、朴裕河の名誉棄損に荷担。 >あとは言いがかりのためにするイチャモンに過ぎない。「名誉棄損」はふつう個人の名誉が毀損されたから、それを回復するため訴訟を起こすんだろ。旧従軍慰安婦をいう集合体の名誉が棄損されたのか。それで訴訟が起こせるわけが無かろう。
「ヘイトスピーチ」の意味が分からないんだろうな。 「社会科学書専門」理論家気取り。
そのくせ憲法学の初歩も知らない。
>>222-223
カルトの特徴 >>33 >>278
古本屋は「『韓国(大韓民国)』を認めない」と言いながら朴裕河を擁護している。
これがどれくらい支離滅裂かというと、「天皇制打倒!戦犯ヒロヒト処刑!南京大虐殺はなかった!」といっているくらい支離滅裂である。
「『韓国』を認めない」とはどういうことか。それは「韓国」が民族反逆者によって建てられた「国家」であるという認識に基づいているはずだ。
「韓国併合」によって日帝植民地支配が始まった。それ以後は民族反逆者である親日派どもが大手を振ってまかり通った時代だった。
第二次大戦で日帝が負けると、親日派たちはわれ先にと親米派へと姿を変えた。悲劇の朝鮮戦争も、祖国分断も、これら民族反逆者のせいだった。現「大統領」朴槿恵の父親である朴正煕がまさにその代表格である。
歴史においてこうして正義は敗れ去った。祖国統一とは、これら親米親日事大売国奴を清算し、さらには「大韓民国」という国家そのものを清算することだ。
ところが古本屋は、「『韓国』を認めない」と言いながら、まさにその親米親日事大売国奴の典型である朴裕河を擁護しているのである!(松竹伸幸と一緒に!)
朴裕河は、日本で言えば東中野修道や田中正明に当たるトンデモさんである。いくら古本屋でも、東中野修道や田中正明の「言論の自由」を擁護せよとは言わないであろう。しかし古本屋はまさに「韓国」においてはそれを言っているのである。 ここに古本屋の本性が問わず語りに表れている。
http://matinofuruhonya.blog.fc2.com/blog-entry-2673.html
>いまこそ真実を語ろう。従軍慰安婦の大半は日本軍によって強制連行された朝鮮の純粋無垢の少女ではなく、当地の仲介業者によって日本軍に斡旋された当地の売笑婦だった。
古本屋の認識では、「当地の売笑婦」(売笑婦というのもおそろしく古い言葉だ)を「慰安婦」にすることは、「純粋無垢の少女」を「慰安婦」にするよりもずっと罪が軽い事なんだろう。女性差別者としての本質が問わず語りに流れてくるというものだ。
古本屋がなぜ歴史修正主義者朴裕河を擁護するのか、塩村あやかへのセクハラを擁護するのか、これで誰でも理解できるだろう。 >>280
>そのくせ憲法学の初歩も知らない。
「憲法学の初歩」と記しただけでも、投稿者の知的水準が分かる。
たしかに日本には自称「憲法学者」が大勢いる。日本の法学者で憲法を自分の主要な研究対象としている人が、任意でそう名乗っているだけだ。
しかし「憲法学」という名称の「学・学問」は国際的に認知されておらず、体系的にも確立されていない。つまり初歩も中級も上級もない。
もしも言うならば、「憲法に関する造詣が乏しいくせに」ぐらいだろう。 「憲法学」の初出は浅井清著「憲法学概論」1928年初版だらう。それ以前は「憲法論」「憲法学説」等々。 離党した山田みすずのフェースブックが閉鎖されている。古本自慰の執拗な攻撃を受けたからではないか? 自分自身は組織に縛られるのが嫌で堪らず弾き出されたが
「民主集中」の組織原則を振りかざして現党員批判に夢中。 革マルの機関紙を誉めてブログで披露するジーサンだから察してやってよね。 科学的社会主義=マルクスレーニン主義=スターリン主義=ニセ科学 >>251
仕方がないよ。若い女性ばかりチヤホヤして、追っかけまでする、スケベじじいだから(笑)
坂井希さんが幹部会委員長に選ばれるといいね(笑) >>277
ウンコもらしや、小便ちびりどころか、道端の石ころ以下だろ。
誰も相手にしてないって(笑) ジイサン、組織が好きか?仮に再入党したとして
地区委員のボンクラ指導を大人しく聞けるか?
尊敬する松田準一に直訴するか? ついに来た。古本屋さんがブログ上で人民裁判を開催し、日共議員に対して死刑の判決を連発。 いまだに「党に復元力があるか否か」とか言っている哀れな老人。60年安保で日共に見切りをつけられなければもうどうしようもないだろ。 >>294
マンガ「がきデカ」の「こまわり君」みたいな変態ジジイだな(笑)
チ○ポ丸出しにして「死刑」「死刑」言ってるみたいな…。
自分がスターリンにでもなったような大物気取りが、おもしろくってたまらない(笑) 「一定のアクセスがあることはこのブログか面白いからだろう」と自慢たっぷりのジジイ。訪問するのは、自分の悪口を書かれてないか確認にくるだけ。 坂井希の一家は年末年始でオーストラリア6日間かよ。
随分ブルジョワだよな。幹部は違うね〜 >>299 中央役員手当があるからね。2人も子供作っても大丈夫。地区委員会の超ブラック職場とは格が違うのよ〜ん。 坂井希に「さん」をつけ、「幹部会委員長」と書いたら、そいつは「党の中央委員」…て、子どもじみた探偵ごっこだな(笑)
アホか。頼むから、笑わせないでくれ(爆笑) 年末年始にオーストラリア、いいじゃん。老い先短い命を、匿名ブログでキチガイじみた実名批判や、ストーカーをこじらせてキチガイのように新幹線で福山市議会へ押し掛けて醜態をさらす国立大卒古本屋のじいさんよりは ⇑「キチガイ」と書いてる奴は同一人物
>>275-277
>>304 (笑)、「ジジイ」、「エロジジイ」を使ってるのもぜんぶ同一人物の書き込みだよ
「半キチガイ」、「半期チガイ」もあるし >>111 と >>151 は同一人物。
「書き込み」、「小心者」、(笑)、「自分のブログ」、「コメント欄」... 「…て」、(笑)、「やって(い)る」は、同一人物の特徴的表現
>>142-143
>>225
>>302 >>277 も関西弁がにじみ出ている 同一人物多すぎ ↑
× わだすは関西人じゃないだべ
○ わださぁ関西人じゃねぇべょ >>302
この論法でいけば、坂井希に「さん」をつけ、「幹部会委員長」という言葉を知ってる古本屋の爺も、「中央委員」ってことになるな >>302
必ずしもそうはならない。単語には用いられる文脈というものがあるから。 >>315
文脈の中で用いられた個々の単語に意味を与えて認識するのが読み手の作業 >>315
平面に印された文字や液晶画面の表示は単なる記号表現、意味伝達の手段であって、それら自体は意味を含んでいない
そこに何らかの「論法」を見出した(見出そうと欲した)のは投稿者側の都合だということ 💩~💩~💩~💩~💩~💩~💩~💩~💩~💩~💩~
💩~💩~💩~💩~💩~💩~💩~💩~💩~💩~💩~ 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) http://matinofuruhonya.blog.fc2.com/blog-entry-2714.html
>7中総のすべては、志位委員長が上記の時代認識に基づいて書いた作文だからです。
志位委員長の時代認識の当否は今は問わないとして、彼個人がこれ↓の全文を自力で執筆したというのか?
http://www.jcp.or.jp/web_jcp/html/26th-7chuso/27taikai-ketsugi-an.html
デマ、とは言わずとも、事実の誤認だ。志位委員長が独力で書いたはずがない。 320続投だが、共産党が「革命」なる語をそんないい加減に使うはずがない。
委員長は「市民革命の情勢」などとは一度も言い切っていない。
例の決議案でも「革命」が下記の5件、ヒットする。
市民革命「的」な動き、選挙革命「ともいうべき」活動と、
こと「革命」の語に関してはその都度、慎重に扱っているのが分かる。
1:...市民革命的な動きが始まったこと...
2:わが党は...「選挙革命」ともいうべき活動に取り組んできた
3:国民多数の合意のもとに民主連合政府の樹立と
日本における民主主義革命の実現...
4:日本共産党は、自主独立の路線――自らの国の革命運動の進路は自らの頭で決める...
5:...干渉攻撃とのたたかいを通じて、わが党は政治的・組織的に鍛えられただけでなく、
理論的にも大きな発展をかちとった。スターリンによる理論の歪曲を総決算し、世界論、革命論、未来社会論など、あらゆる面でマルクス、エンゲルスの本来の姿が、現代に力をもって生きいきとよみがえった 貼っておこう。
http://matinofuruhonya.blog.fc2.com/blog-entry-2714.html
志位委員長の時代認識
「市民が自覚的に立ち上がる、日本の歴史上かつてなかった市民革命の情勢」 (発言の具体的な時と場所など示す必要はないでしょう。繰り返し耳にタコが出来るほど聞かされた言説です)
古本屋通信
長ったらしい大会議案(7中総決定)など一行も読む必要はありません。
7中総のすべては、志位委員長が上記の時代認識に基づいて書いた作文だからです。
この時代認識が今日の日本の現状を正確に言い当てているか否かです。
私は(戦前と戦後の93年間の)日本共産党の歴史のうえで、かつて一度もなかった時代認識だと思います。
つまり大法螺吹きのハッタリのアジ演説では許されません。 少なくとも党の委員長が党大会を前にして、
繰り返し繰り返し今日の日本が(市民)革命の情勢にある、
と公言しているのです。市民革命は日本革命とは別の革命、
つまり労働者階級が日本独占ブルジョアジーから政治権力を
奪取する革命ではないというのでしょうか。そんな革命はあり得ません。
日本共産党の綱領の規定では革命は一つしかありません。
すなわちアメリカ帝国主義を駆逐して日本独占資本を打倒する
反帝反独占の新しい人民の民主主義革命です。それ以外の革命はあり得ません。
言い訳は通用しません。27回党大会はそれ以外の革命情勢下の党大会になると公言しているのです。 志位が実際には云わなかったことを云ったというわけだから、デマで確定だよ 共産党からすれば、たとえばアカハタの購読者を増やすことも「革命運動の過程」だろうからな。
政権奪取そのこと自体だけが「革命」だと思っているあたり、青臭いというか何というか。 志位は「市民革命的な動きの始まり」という語句を
遅くとも、去年1月には使い始めている。
http://www.shii.gr.jp/pol/2016/2016_01/I2016_0101_1.html
>日本の歴史でも初めての市民革命的な動きが開始されたといっていい。
そういう市民社会の動き、国民運動の動きを、いかに政治の変革につなげていくかが、
今年の課題になってくると思っています。
この「革命」なるものの主体は「市民」だと、志位は言っている。賛否は置くとして。
そして「市民革命的な動きは、政治の変革につなげなければならない」との趣旨を述べている。
そのような「革命」なのだから共産党綱領で言う厳密な(?)「革命」とはもとより意味が違うことを、志位自身が当初から明らかにしている。嘘はない。
ちなみに政治団体だからな、共産党は。決議案なんか準備する人たち(複数名)は、そりゃ物凄く頭いいよ。 「市民革命の情勢」と、一言一句その通りに誰かが口頭で言ったことがあるかもしれない。また、無いかもしれない。
言ったとしても、志位氏の発言ではなかったかもしれない。
しかし志位氏も準備に関わったはずの文書(大会決議案)にはどこにも記されていない。
政治組織だからな、共産党は。それほどいい加減ではない。 結論として、志位氏個人も共産党組織も、
「市民が自覚的に立ち上がる、日本の歴史上かつてなかった市民革命の情勢」のごとき
時代認識は、字面上ですらまったく有していない。
市民革命の情勢下と認識している、などという「受け止め方」は、かなり特殊なものだ。
あえてそのように「受け止め」て、異論を唱えるのも自由ではあるが。 志位と共産党組織のほうが何十枚もうわ手だということ。
現実の政治目的を追求する組織だからな、共産党は。 党上層部はじめ教員・公務員の党員家庭では子女の進路の心配で頭が一杯だ。
子女がキレイゴトを言って暮らせるようになれさえすれば他はどうでもいい。
娘をノートルダムに通わせている党員家庭もあるだろうが
「石川書店には出入りするな」とクギを刺されているだろう。 ある政党の党員資格が自分に無い(と公言している)人が
現役の党員に対して「党員失格である」と断定するのは
実に滑稽だ
共産党でなく他の政党でも理屈は同じ
傲慢だとは言ってないよ
表現の自由だから一向に構わない
しかし何が真意なのだろう
よほど思い入れがあるのかな
滑稽だと言ってるだけだよ >>328
ほんと、決議案を起草したチームはすごく頭いいね。再引用:
志位は「市民革命的な動きの始まり」という語句を
遅くとも、去年1月には使い始めている。
http://www.shii.gr.jp/pol/2016/2016_01/I2016_0101_1.html
>日本の歴史でも初めての市民革命的な動きが開始されたといっていい。
そういう市民社会の動き、国民運動の動きを、いかに政治の変革につなげていくかが、
今年の課題になってくると思っています。
この「革命」なるものの主体は「市民」だと、志位は言っている。賛否は置くとして。
そして「市民革命的な動きは、政治の変革につなげなければならない」との趣旨を述べている。
そのような「革命」なのだから共産党綱領で言う厳密な(?)「革命」とはもとより意味が違うことを、志位自身が当初から明らかにしている。嘘はない。 自分が過去に政党から「党員失格」と断定されたか
それに近いような扱いを受けたから
お返しのつもりなのだろう
本人は無意識で書いているようだが
よく透けて見えるよ 某党は「革命」の文字を極めて限定的な意味でしか用いてはならぬと主張するブログ主
VS
「革命」の文字を現実政治の目的達成のため巧妙かつ柔軟に用いる政治組織
どうしても後者のほうが「何十枚もうわ手」に見えるけどな。 えっ、共産党って「社会主義」とか「共産主義」とか
なんか怖い革命を目指してるんじゃなかったの?
「市民革命」に変わったの? ずいぶんアカ抜けしたもんだなあ。
じゃあ次の選挙は共産党に一票入れてあげよう。
...みたいなw 弁証法的唯物論の見地かな
学術論文でも数年たてば読者の側で術語の意味の取り方がかわってしまうから
よっぽど注意して読むし、また書かねばならないと言われる
ここでは「革命」の用法論、意味付け論が盛んなわけだが 人間の意識を超えた客観世界に属性として存在する「滑稽」は、ちょっと想像が困難だな
一例だが、非党員でも党員でもよいが、
誰かから「あなたを党員と見なす」と言われたから
だから私には十分な資格があるのだ、と自認する叙述、
これを主観的にもせよ、「滑稽」の語で形容することは
しごく妥当なように、主観的にだが感じられる
何が面白くて、というならば、これこそが面白い
言論表現はあくまでも自由だけれども
>長年党費を払っていないのを別にすれば、
私には本来党員資格は十分過ぎるほどある。
現に「あなたはたしかに党員ではないけれど、
私はあなたを50年党員(永年党員)だと見做します」と
仰った党員が2名、非党員が3名おられる。 共産党の規約では「党員の資格」は第四条に定められている。
ブログ主さんは自身も認めているとおり、「党の組織にくわわって活動し、規定の党費を納める」の用件を満たしていない。
だから厳密な意味では、「党員の資格は無い」
それとも、自分には「党員になるための資格」がある、と言いたかったのかな。
http://www.jcp.or.jp/jcp/Kiyaku/
>第四条 十八歳以上の日本国民で、党の綱領と規約を認める人は党員となることができる。
党員は、党の組織にくわわって活動し、規定の党費を納める。
>第十一条 党組織は、第四条に定める党員の資格を明白に失った党員、あるいは... ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています