新年号の自己批判を読んだ。偶然だが、目上委差別事件の時の自己批判を、つい最近、読み返したばかりだった。
 その差に戸惑ってしまった。自分は、批判など、できる立場ではありません。
 ただ、感想だけ書きます。何かが足らない感じ。
 何が違うのか、考えてみた。まず、状況が違うか?当時は、党を割ってでも、自己批判を貫徹せねばならなかった。
 その気迫は、今読んでも、鬼気迫るものがあった。
 もう一つは、解放派の部落解放運動が、どこから来たか分からないことだ。
 目上委の時は、530問題から説きおこし、奈良、橋のない川公判にもふれていた。
 自分たちが、部落解放運動を、どう取り組み歩んできたかを明かにしていた。
 今回は、そうした記述がない。だから、自己批判が、何か、宙に浮いてるように感じられるのだ。
 生意気書いて、すいません。あくまで感想ですから。
 BGM は杏里の悲しみが止まらない。