この五年間の小泉政治が切り捨ててきた弱者。
「格差社会」の拡大がここにきてようやくメディアでも取りざたされてきたが、小泉総理が股肱の臣として重用した竹中氏が強烈に推進した市場原理主義の当然の帰結といってよい。
そもそも、市場原理主義は「弱肉強食」こそ、そのルールの大原則である、というより、原理というものはそうでなければならぬのである。強いものが正当なルールの下で、正当な手段で正当な利潤を享受する。
それは至極、単純明快な理屈である。ルールさえ守れば、富める者はとことん富み栄えて構わない社会が現出するのは、市場原理主義を野放図に突き進めれば、当然の結果なのである。
そして、競争に敗れた弱者はとことん社会の低層に沈み込んでいく。格差が幾何級数的に拡大していくのは必然である。

小泉総理は、国会で「格差は必ずしも悪いものではない」と答弁した。機会の平等は保障されるべきだが、
結果の平等は必然ではなく、その人それぞれの能力、努力の差によって、凹凸がでるのは、ある面、公平であるという。

このことをわたしは否定もしないし、批判もしない。それは、小泉氏の言っていることは、尤もだからである。

しかし、政治は理屈の正当性や口先だけのごまかしで済まされる代物ではない。
政(まつりごと)は現実社会を透徹、洞察し、たとえ理屈に合っているとしても、苦しんでおる国民がいれば、
それを救うことこそ求められる最大の責務のはずである。
一国の宰相が、血も涙もない市場原理主義により国民間の格差が拡大している事実に眼をそむけ、現実を直視することをせずして、
役人の作った数字や文書のみで、その事態を誤って判断、
いや国会答弁を切り抜けるという一点の目的のみで意図的にそれを活用しているとすれば、言語道断の極みである。

よく言われるニートやフリーター問題にいかにも関心を持つ素振りなどせず、
メンフィスのプレスリーの生家を訪れる時間と余裕があるのであれば、国内の地方の経済的疲弊と人心の荒廃を知るべく、国内視察こそ今、行なうべきである。

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