竹中平蔵
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1993年(平成5年)にアメリカ合衆国に移住。
コロンビア大学コロンビア・ビジネス・スクールにある「日本経営研究センター」(所長はパトリック・ヒュー教授)の客員研究員になる[15]。
1994年(平成6年)に大阪大学より博士号を取得。1996年(平成8年)に帰国、同年、慶應義塾大学教授に就任。

日本船舶振興会(現日本財団)の交付金で設立された基本財産397億円のシンクタンク「国際研究奨学財団(1999年から東京財団に改組)」の理事に1997年(平成9年)に就任、
1998年(平成10年)に同常務理事、
1999年(平成11年)に東京財団理事長。
1998年(平成10年)に同財団内に設けられた「インテレクチュアル・キャビネット政策会議」では、
(影の)総理に香西泰(後に政府税制調査会会長)、
官房長官に島田晴雄(慶應大教授)と竹中、
財政担当大臣に本間正明(大阪大教授、後に政府税制調査会会長)と 吉田和男(京都大教授)、
金融担当大臣に池尾和人(慶應大教授)と
岩田一政(東京大教授、後に日本銀行副総裁)らが名を連ねた。
これは実質竹中による政策会議で、自民党議員との交流会も頻繁に開かれ、竹中の紹介で小泉純一郎と会ったメンバーも多くいた。