日大全共闘養成ギプス [無断転載禁止]©2ch.net
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日大闘争70'〜90'スレは、執拗な公安のアク禁攻撃に屈してしまいました。責任を感じています。しかし、将来に向けて語るに値する活動が、70年以降の日大にはあったと信じています。 私は、普通貨物運転手としてもっとも長く働きましたが、日本資本主義を支えているのは、ほんとうに貨物運転手です。 国鉄の赤字の原因は、そもそも貨物でした。鉄道から自動車へ、です。当たり前です。外国では、自動車部門も国有、というところもあった。 これは、高校時代に見た「1億人の経済」でまさに伊東先生に教えられたことですが、国鉄の赤字がだめなら、あの駅に入りこんでいる「日本通運」と合体させるのが筋だろう。 国鉄の分割民営化とは、組合つぶし、総評つぶしを主な目的としたものでした。国鉄と日本通運が、もしも合体したなら、日本経済は、両者の労働者のたちの手に握られてしまうでしょう。 仏のマクロン政権を追い詰めたのが、ガソリン税増税を断念させた黄色いベストの運輸労働者であったことは、記憶に新しいところです。 参院選だけに決まったのかな。やはり、米国産農産物輸入をめぐる密約が、ダブルになると効くのを恐れたのか。 柄谷行人の、「世界」7月号「丸山真男の永久革命」が、ものすごく好い。良いのは、もちろん、好い。老人革命派には、必読だろう。もともとは、2016年夏に「現代政治の思想と行動」中国語版の序文として書いたものだそうだ。 「丸山は、彼を批判した左翼がその後にほとんど転向してしまったあとでも、また、1990年にソ連圏の崩壊とともに社会主義の理念が根本的に疑われたあとでも、揺るがなかった」 「彼が一貫して追求したのは、「社会主義であった。ただし、彼はそれを『民主主義』と呼んだ。』 ぜひとも、ぜひとも、お目を通していただきたいと思います。2016年夏の時点での、すなわち「戦争法成立」1年後の時点での、柄谷の日本の状況へのおもい、それこそひりつくようなおもいに胸を打たれます。まぎれもない思想家が立っています。 丸山真男、って、じつは、「丸山真男」をなんど読んでもわかり辛いのです。これまでに挑戦して退けられた方がいらしたなら、ぜひとも、近代社会思想史の概論ではなく、ロック、ルソー、モンテスキュー、ミルに迂回してみてください。 私は、現在、生活保護受給者です。東京都の「山谷」、台東区清川にある「上野職安玉姫労働出張所」から求人が出される、東京都の失業対策事業でも働いています。 もちろん、1円まで収入申告してその分は差し引かれています。乏しい年金分を含めると、年間の保護総支給額の約三割を返還しています。 きちんと申告して収入分は返還しないと、活動家は公安に詐欺で逮捕されて、刑務所行きですから。活動家は、完全黙秘を貫きますからね。 生活保護受給者で政治組織を立ち上げる、だと。お前、ふざけたことを、と言われますか。 だから、「日大全共闘養成ギプス」と名乗っています。あの「日大闘争」のあとに、1974年に日大法学部に入学して、「新入生歓迎イベント」で「日大闘争の記録」を見て、「日大全共闘」になりたいと決意したと書きました。 金が欲しいのです。政治資金が。自分史を出版したいのです。他に手段がおもいつきませんから。よろしく。 でも、今、とても緊急を要することがあります。東京都の失業対策事業は、山谷の日雇い労働者たちが、文字とおり命を賭けて天皇主義右翼暴力団のピンハネ搾取と闘う中で、獲得したものです。 それは、「東京都特別就労対策事業」といいますが、山谷の歴史、山谷の日雇い労働者の闘いの歴史を抜きにしては、たとえ一部にしても語ることのできないものです。 昨年の夏、一部のネットテレビと一部の地上波テレビで、この「東京都特別就労対策事業」のうちの、道路清掃についての映像が流されました。 とても悲しいことですが、3万とも5万ともうわさされている現金を放送事業者から受け取り、カメラを送迎バス内に無断で持ち込み盗撮におよんだ裏切り者が出たんです。 道路清掃の仕事は、都と業者との契約上では、午後1時30分までとなっていましたが、実際には午前11時30分までには終了していました。その様子を、3万あるいは5万で雇った裏切り者に、放送業者がカメラを貸与して盗撮させてその映像の放映におよんだのです。 放送後、早速東京都は対応に乗り出しました。道路清掃の就労時間は、午後1時30分までとなり、基本的に45分労働して15分休憩の5セットとなりました。 玉姫労働出張所での求人は、朝6時40分から開始されます。私は、江戸川区在住ですから、5時台の地下鉄に乗ります。「東西線」・「日比谷線」で「南千住」へ、あるいは、「都営新宿線」・「都営浅草線」で「浅草」へ。就労日には、ほぼ睡眠をとりません。 就労者の平均年齢は、60代後半です。私なんぞ、そもそも山谷では、生理的な年齢も、山谷歴も「若造」です。「先輩」、「人生の先輩」という言葉は欠かせません。 テレビ放映があった昨夏以降、格段の労働の強化だけでなく、都職員の見回りが始まりました。業者は、萎縮しています。 この5月、日比谷公園の清掃の現場で仲間の一人が作業中に亡くなりました。倒れて救急搬送されたそうですが、病院で死亡が確認されたそうです。持病があったのか等々詳しい事情はわかりませんが、朝から倒れる昼まで、休憩中に水分を取ることは一度もできなかったそうです。 昨年は違いました。30分の作業の後、みんなで詰め所に戻り業者が用意してくれていた麦茶を飲んでいました。朝から昼まで水分補給なしというのは、聞いたことがない。 現場で仲間が亡くなった。格段の労働強化の中で。都職員が現場を監視に来る中で。 昨夏のテレビ映像の中で、失業対策事業の何たるかについて、何も知らず知ろうともしない者らが、悪罵を垂れ流したそうですが、東京都のそれらに対する対応は、いったい何のざまなのか。 東京都よ、かつてのような暴動が欲しいのか。暴動がなければ、100%の偏見と差別に満ちた者どものご機嫌を取ることしかできないのか。 「やられたらやりかえせ」。「日大全共闘」の合言葉であり、「山谷労働者」の合言葉でもある。 「失業対策事業」、東京都の「特別就労対策事業」は、カテゴリーとしては、「福祉」に属するでしょう。その「福祉」に属する「労働」について、民間の「労働」と比較して、どうするの。 ネットテレビやフジテレビは、さもありなんだ。しかし、東京都よ、あなたたちが、「特別就労対策事業」=「福祉給付」だという「説明責任」を少しも果たさなかった、果たすそぶりも見せなかったことは重大だ。 この機会だから書いておく。「特別就労対策事業」のなかに、「日東カストディアル」の「都所有埋め立て地」の草刈がある。「若洲」と「大井」で計100名だ。この100名分の昼の弁当がひどい。 私たちは、昼の弁当代として500円を引かれている。当たり前だ。異論もない。しかし、「日東」の昼弁当、あれはなんだ。あれは、絶対に500円に値するものではない。「マルコシ」という業者の、あの弁当は絶対に500円に値するものではない。 仲間たちの間では、弁当の差額は「上納金」だろうとの認識で一致している。おそらく、都OBへの「上納金」だろうということで。 実は、東京都は、上に書いた「弁当問題」ひとつからうかがわれるように、「闇」についてあれこれと詮索されることがとても怖いのだ。そのツケを山谷労働者にまわすな、このボケども。 私は、玉姫労働出張所から、「東京都特別就労対策事業」への就労を、多分拒否されるだろう。そのときは、また、そのことについて書きたい。 「山谷」の現場には、「山谷争議団」と「山谷日雇労働組合」という二つの、日雇い労働者、野宿者たちを、熱く深い志をもって支援している運動体があります。できましたならば、ご支援の声とともにカンパをお願いいたします。 「暴動」などと書くから、またまた、公安の行動確認の対象になるのだろう。ここが、、「左翼リベラル」界隈の「回遊魚」たる雨宮かりんとの、絶対的な違い。雨宮よ、「右翼」界隈へ帰れ。あちらは、顔と顔の、温かい交流を基本とした界隈だろう。 雨宮かりん。兄貴分である湯浅誠は、もののみごとに「制度」に回収されてしまったではないか。湯浅誠のようなへたれではない、ほんまもんの革命児である山本太郎にかけた迷惑に、少しは思いをいたせ。 それにしても、「れいわ新選組」、蓮池透に次ぐ候補者の発表が遅い。遅すぎる。候補者の発表が遅ければ遅いだけ、熱い期待をかける支持者の期待は勝手に膨らむのだ。 渋谷での香港支援集会。奥田愛基の顔が見える。汚点。 此度の選挙、「れいわ新選組」の、いわゆる「勝手連」にまわるつもりだ。「勝手連」、懐かしい。「日大全共闘」の田村正敏が、創始したものだ。 田村正敏については、実は、日大時代の友人たちと激論を交わしたことがある。私は、断固とした否定派だ。田村は、右翼の野村やビートたけしらと組んで、「風の会」を立ち上げた。 山藤章二が、揶揄して「虱の会」と書いて騒動になった。山藤章二は、大したものだ。「不良外人」の放逐を大きく掲げたのが、「風の会」だった。 「不良外人」もなにも、日本国内に需要があるから、彼ら彼女らが必要とされているからこそ、彼ら彼女らは日本にやって来るのだ。右翼の野村やビートたけしに合流した田村正敏を、l私は許せなかった。 田村については、北海道の学校法人での私物化疑惑と、タイでの少女買春疑惑がある。とてもではないが、尊敬できたものではない。 田村は、最後には、地元の埼玉県の川口市議会議員選挙に立候補するも落選して、その公的な生涯を閉じた。 私は、自分の生涯にかけて言う。田村正敏は、日大全共闘の恥であると。 田村正敏についての反論を、あなた自身の生き方に基ずく反論を、こころよりお待ちしています。 CIAが、やってます。毎度おなじみのイランと香港。香港の運動が、中国内陸部の農民搾取反対だったら100パーセント支持します。 明日は、18時30分から渋谷で「れいわ新選組」=山本太郎の街宣がある。邪魔にならないように離れて見つめよう。 しかし、山本太郎。どうして、声がつぶれないのか。信じられない。その一点だけでも、指導者としての条件を満たす器。 「俺は国会正門前にいた、スペースはある、警察の言ってることはうそだ」で、声がつぶれた私は、逮捕要員未満だ。 少しだけ自分を褒めると、実は私は、国会正門前には行っていない。とっさにおもいついたのだ。そう言えば必ず、動いてくれる人たちがいる、と。公安は、もちろんそれを把握している。きれいに言えば、「アジテーター」、野坂風には「騒動師」。 今日、「東京都特別就労対策事業」の「道路清掃」に行ってきた。昨年の夏まで、都と事業者の契約は13時30分までだが、現場で実際には11時30分には終了していたのが、仲間のチンコロでアベマテレビに暴露されたという仕事だ。 まず、書いておきたいことがある。早朝、浅草駅から台東区清川にある「玉姫労働出張所」まで、顔を合わせた「山谷争議団」メンバーと話した。 アベマテレビかフジテレビか、確認を忘れたが、そのなかの藤田孝典のコメントに激高していた。たぶん、「山谷争議団」の共通認識であるだろう。警告しておく。藤田孝典は、ことを明確にする必要がある。「反貧困ネットワーク」全滅の危機だと認識したほうがよい。 「山谷争議団」=「日雇全協」ににらまれての、「反貧困ビジネス」は辛かろう。 気温が上がる11時過ぎからの作業は辛かった。過去の、都に対する事故隠し、あるいは、都ぐるみの事故隠し、があったことを確信する。 思い返せば、2011年の夏の「明治公園」で初めて目撃した「日大全共闘」の「旗」。確かに、実に多くの「シニア左翼」たちの視線がそれを追うのを確認して、涙した。 あの日、私が確認した「日大全共闘」の「旗」は、「中核派」の集団に吸い込まれた。さすがに、思わずその行方を追ったのだ。 何の文句もない。日大で1968年10月1日以降、闘い続けるということは、多くの場合、「党派」に所属して闘い続けるということだからだ。 「シニア左翼」には、本当に山本太郎に力を与えていただきたい。「福祉施設」、「介護施設」で虐待されて死ぬのがいやなら。 「シニア左翼」には、本当に山本太郎に力を与えていただきたい。孫本人、あるいは、孫にあたる年齢の者に殺されないために。 昨日耳にした、藤田孝典の話。すでに書いている雨宮のこと。すなわち、ひどいひどすぎる「反貧困ビジネス」のありよう。主に、「民主党政権」で幅を利かせその利子で稼ぐ者たち。 「しばき隊」=「反原連」の、何の意味もない官邸での対話、そこで管直人の後ろでピース・サインを決める雨宮の姿を記憶する方も、多いとおもう。 「革命」のための「横議横行」の中で、まず「さよなら」しなければならないのは、野間やすみち一派であり、湯浅・雨宮・藤田であるだろう。 此度の選挙の結果、残念ながら山本太郎が政権を取ることは、ない。では、どうするのだ。集会とデモしかないのだ。山本太郎は、やる。 私は、山本太郎を評して、最大限なら1905年のガポン神父、と書いた。今、不明を恥じて撤回する。 山本太郎は、あなたの力を得て革命に成功する。逆に言えば、あなたの力がなければ、何者であることもできない。 63年と5月生きてきた。偉そうだ、といわれそうだが、修羅場は踏んできた。よろしく。 「世に倦む日日」、「田中宏和」さんのブログでの二回連続した「GDP二倍論」について。基本的には、熱く篤く支持します。ただ、最後の、「本郷の局」の大きな顔写真については、まあ「指名手配」とはいえ、「感覚」に・・・・。 「ある方面」の者たちには、正直に言っておくのだが、私は、いわゆる「大人」ではない。嫌いな者と顔を合わせた時に、笑顔を装うことができるタイプではない。 そうでなければ、「生活保護」は受けてない。一面識もない「世に倦む日日」、「田中宏和」さんへの共感には、内田義彦のいう、「市民社会青年」たちの苦闘を基点とする、という原点があるからだ。 「売文」で食えるよ、心配するな。そういう国だから、この国は。 「山谷」の、「山谷争議団」、ならびに「山谷日雇労働組合」、ふたつの運動団体への支援を、と書けるのは、私だけだろう。 自慢かよ。違う。断じて、違う。「山谷」へと追い詰められた私たちが、いま、その「山谷」においてさえ、追い詰められているということなのだ。 夏場の「道路清掃作業」を忌避する労働者たちが続出している。、目の前の8千数百円は欲しいが、倒れたら終りだからだ。 藤田孝典と雨宮かりんが、対談したらしい。両者の「ツイ」を見た。どうやら、はじめてのようだが。 私は、性格が悪いのだが、この「5ちゃんスレ」の、少しだけの影響力を実感した。 「ブラインド・タッチ」、もうもう、憧れて憧れて。いま、このときにも、音が聞こえる。「仕事」だとも、思う。たいへんだろうとも、思う。でもでも、爺には、たまらない。「加藤鷹」さんの「テク」を、なぜか・・・。 別個に歩んで、ともに撃つ討つ。その日にゃ泣こうぜ、うれし泣き。 「不幸な時代」が「英雄」を産む。実感してます。痛感せざるを得ません。 「文壇のジュリー」を自称している亀和田武さんから、おまえ、斉藤美奈子の名前だけ書くな、俺の連載も楽しみだろうと、怒られそう。 「週刊朝日」の書評欄です。「全共闘」の中心=「サブカル派」という正確な認識のもと、高橋源一郎や小熊英二に、所属大学での闘いを説いた。 亀和田武さんの主張は、もっともで、国会前というのは、ほとんど社会の迷惑にならない場所だ。「示威」にならずに、「自慰」に終わる場所だ。 「自慰」の大切さをおもいつつも、亀和田さんの一貫した主張は、正しい。 秋田明大の日大経済学部内の仲間内での愛称は「バカボン」だったそうだ。 「山本太郎は化けた斉藤美奈子評」に対して、亀和田武さん、ここまで書きましたよ。「全共闘大衆」を「理念型」的に表すのは、亀和田さんです。 現在、大阪「西成」では、「センター」の自主占拠管理の闘いがあり、東京「渋谷」では、そもそも「宮下公園」を追い出された人たちへの、更なる追い出しで不当逮捕者が出ている。 そして、「山谷」の、とうとう亡くなる人が出た「東京都特別就労対策事業」をめぐる、クソマスコミと東京都産業労働局への、激しい怒り。 個人としては、「総反抗」を宣言したい。「日大全共闘」を受け継ぎたい、と志す者の名において。 レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。