攝津 正さんが写真2件を追加しました。 3時間前 · Chiba Prefecture千葉県 鎌ケ谷市 ·
たまたまメンバーにこういう作家が好きなひとが世間一般よりも高い割合で含まれてい
たというだけかもしれないが、ヤマギシズムとかなんとかより白樺派の理想を追う「新
しき村」運動にホントに近かったのではないかと改めて思える。それは空想的とかなん
とかいうそれはその通りだがということにおいてだけではなく、このようなフレーズと
観念が好きな「自立した個人」、「自己所有者」… でありたいひとたちの集まりという
ことだ。共同体とアソシエーションの区別がどうのと御託を並べても、精神的にも他の
意味においても強い個人しか要件や資格がない。しかもそれ自身そうであるというより
そういう在り方に憧れる人達の集まりだということである。擬似自律的な経済実験とい
う要素を除くと安保闘争前後の「新しい日本の会」、石原、江藤から大江、谷川までい
たサークルに似ているのではないかと考えたこともあるが、それは岡崎サークルなど既
に一家を成していた文化人と彼等のお気に入りのその卵、取り巻きに限られていただろ
う。あれから10年15年経過して、その間も多少付き合ったりその後の振る舞いや言動を
拝見するに、前世紀末から現在に掛けては、例えば筑紫哲也に心酔する前世紀版のパヨ
クの傷の舐め合いと相互ヨイショ、週刊金曜日や社会運動誌の読者会、などなどという
醜悪な「共同と連帯」の絵が見えてきてしまうのではないか。

攝津 正
3時間前 ·
生協が神の国であるもなにも左の教会のようなものだったのかもしれない。その内部に
なにかを求めてはならず、外部に居場所と現場?を持つ。しかしたまに集まって懺悔し
たりハレルヤを歌うのだ。