>>251
中核の沢山がその点を批判し、「同対審答申粉砕」の論拠にしていた記憶が。
批判そのものには同意するが、それをもって同対審答申の否定にまでつなげるのに違和感を感じた。

少し前の話題になるが、米田さんの講演に涙した出身学生の話を聞いて思い出したことがある。
米田さんと大賀の二人の講演を聞いたことがあるが、大賀の方はある意味「論理的」に訴えかけているんだが、全体として自己完結的で何ら心を打たれなかった。
それに比して米田さんのお話には、何故か自分のこととして心に残った。人間として信頼できるって思いというのかな?
俺は涙まで出なかったが、自分が部落民とされる立場にあることをどのように受け止めてよいか迷いながら運動に参加していたからだと思うんだが、何故か大賀の話には全く心を動かされなかった。
おそらく世界観とか運動理論の違いではなく、部落問題についての向き合い方の違いではないかと思う。
米田さんに限らず、あの世代の方々には、部落差別に対する厳しい姿勢があったが、大賀あたりの世代からはそれが感じられたことは少ない。(皆無ではないが、奈良の山下さんとか名前を出せる人は少ない)