>>258
岡林が、一旦、引いた経過は、イヤミに表現すれば、そういうことだろう。
フォークの神様を演じ続けるのに疲れたってことだろう。
当時のフォークジャンボリーでのイデオロギー持ち込み集団のやり方もあった。
しかし、岡林も、一旦引いても、ロックスタイルで「私達の望むものは」など、プロテストを発表したりしていた。
首尾一貫して、硬派を貫くのは、しんどい。
別に革命家じゃないんだから、エンターテイメントをやりながら、志しを発信してくれれば、それでいいじゃないか。
「友よ」が当時の若者たちの心に反戦の種をまいたことは否定できない。
恐ろしいのは、「善意と正義」ではなく、そんなことで、彼が確かに示した反戦の訴えなどを、清算し否定する考え方だろう。