>>186の補足だが、当時えり坊の自己批判作業の担当者が黒澤だった。
自殺の原因を探る組織内点検の中で分かった事だが、黒澤のそれはとても厳しい追及だったらしい。同志に対する愛がないもはや攻撃のための攻撃だったという。
この点を巡って木元が激怒し、黒澤の責任問題に発展した。
その後の解放派分裂では、九州と共になぜか黒澤がいち早く現代社の側に付いた。全く予想外の事で当然赤砦に付くものと思っていた皆は不思議に思ったものだが。