もうひとつの革労協に愛の手を ようやく念願のPart2
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解放派って
ヒマオとかガッツとかボワットとかラッコとかアラレとか…
個性的な組織名を持った
なんだかおもしろそうな人ばかりですね!
連赤をモデルとしたredを著した山本直樹氏には
それに継ぐ第二弾として
解放派を主人公としたblueなる作品を
morning←(でしたっけ?)に是非とも連載してもらいたいですね! >>192
ガッちゃんというかガツだろ
個人的にはそんなイメージだが
人によって彼のイメージは違うのだな >>193
組織名
じゃねえや、アダ名だったらそこらの党派がユニークな名前つけとる。
それは変わりはしない。
しかし、なぜ「モーニング」に?
ある意味進行形でもあるので作品化は無理かと。 >>194
ガッチャンは、最初はガキと呼ばれ、ガの字となり、最後はガッチャンだったが、また変化してたのか。 ガツガツ人のメシまで喰らうという2ちゃんのデマを信じてるのでしょう
最初は子どものような純真な人という意味でガキでしたよね
ガッちゃんは同じですが >>197
子供の様に純心ってのは、良く言い過ぎで、立ち振舞いが、まるでガキって意味ではなかったかと? >>198
なんでガキが、カッツとかガッチャンになるの?
ガッキーならともかくw >>199
貴方は、ドクタースランプを読まねばならない‼ いちおう調べた
ガッチャンは則巻ガジラ(のりまき ガジラ)だってさ。 >>201
顔が似てるし、行動はそのまま。
アラレは顔がそのまんま。 >>202
違うよ。がっちゃんはガッツ。黒沢はガッツがあるからガッツから転じてがっちゃんだろうが。
あられは顔も似てるしあられちゃん眼鏡だからそのまんまだけど。 しかし、えりぼうの死にあの黒沢 がそんなに色濃く関与していたとはね。
本当なのかね?
何か分裂直後赤砦の機関紙で黒沢が実名で名指しで非難されていたな。
N田が今どうしているか、答えてみよ! XX(黒沢の本名)それともN田の所在が
特定されては困ることがあるのか!
みたいな感じで。
N田ってT西の実の兄貴だよな。沖縄の学生運動を駄目にした張本人みたいな人。
前歯が一本ないところが魅力的だった((笑)
えりぼうの死と何か関係あるのかな?
N田って沼田のこと?確かあれは権力にパクられて完黙できずにゲロったんじやゃなかったっけ? それで釈放後、沼田は権力の手引きでどっかに逃亡してたんだよな? >>206
でたらめ書くな。得意の情報操作か?
さすがは木元グループだな。 >>207
なんでデタラメだと思うわけ?
説明してもらえますか >>209
分裂直後の話じゃねえの?
俺もその記事読んだ覚えあるぞ。もっとももちろん木元の機関紙だけどね。
黒沢は沖縄に行ってたから首都圏にいた俺は分裂の頃、黒沢は現代と赤砦の間を
行ったり来たりしながら、結局活動家を現代へオルグしてたみたいだったな。結果論だったけどな。
俺も黒沢の後輩だったから最終的には現代にオルグされたけど。ま、俺はチャンス!とばかりに辞めたけどねww
まあでも分裂当初黒沢は分裂時代に批判的で、ここに書かれているように真っ先に現代に
ついたっていう感じは受けなかったけどな。えりぼうの件も黒沢が総括の担当して攻撃のための攻撃したみたいなのも
本当なのかな?
黒沢は結構漢気があって、下の者にはあたたかいという印象があったけどね。
おこることはあってもフォローは忘れないっていうか。
そこが山村と黒沢は違ったな。 昔話で盛り上がるくらいなら、ちいとは今の政治を変える努力しろよ。
同じ解放派を脱ったんでも、周辺にいた菅野の方が現実への規定力があるぞ。 菅野って誰?
解放派の周辺にいて現実的な政治を変えるような人いたんだ?
もう一回いうけど解放派の周辺に? 菅野完。
元しばき隊でその前は日本会議。本人によるとそれ以前は「解同極左派」と言ってる。
現下の森友事件がこれほど大きくなったのも、彼が籠池を日本会議から引き離したことが一番大きな要素の一つだといってもいいんじゃないかな?
個性が強く、はっきり言って友達にはなりたくないタイプだが、二つの点で評価してる。
一つは籠池に対し、「権力と籠池の関係でいえば籠池を守る立場に立つが、塚本の園児や保護者と籠池の関係では園児・保護者を守る立場に立つ」と明言したこと。
もう一つは、籠池が菅野の自宅にいるとき、自宅前のメディアスクラム状態に際し、「まず、籠池の人権を守るべき」と主張したこと。
自称「保守」だということらしい、基本的な世界観・政治観については共有すべきところを感じないが、上記に点は共感する。
元戦同の連中は、脱落後も(血債論の影響かも知れんが)自分の<被差別>という立場を強調(むしろ利用)することが目立つのに対し、彼はそれがないことも評価する。
で、気になって調べたら奈良県連の山下派の拠点支部で高校生時代に青年部活動に参加していたらしいな。彼が塚本幼稚園の洗脳教育に引っかかってかなり早い段階から関わっていたのも、自らが狭山ゼッケン登校で小中を過ごした経験が重なったのかもとも思う。
一旦右翼に成り下がっても、基本的人権の大切さを忘れずにいるあたりは意味がある。
むしろきちんと階級概念などの学習を行う機会があれば、もっと異なる方向に行ったのではと悔やまれる。 カンパの私的横領と女性への性的暴行が発覚して
運動界隈で干されているゴミをわざわざ再評価するとはw。
情弱なのか、解放派だからこそなのか。 >>214
あなたは解放派じゃないオレからしても
使わないような文字列がある時点でダメだろ
そんなのがいくつかある 明大学生運動は差別に厳しい、差別語と決別している
それは当たり前のことだと思う >>210
黒沢にオルグされて現代に行った?
そんな活動家は一人もいないぞ。
周辺のシンパなら知らんが。
言葉使いといい、お前は本当に元解放派か? >>213
解放派の周辺でも何でもないじゃないか。
山下派の青年部も高校時代でしょ。
大学以降は全く関係ない。
青年部活動も、はたして主体的に参加してたのか、回りに合わしてただけじゃないの?
全青同か水平研に参加してたなら、まさに解放派だったと云えるが。
山下氏も、とっくの昔に利権に染まってるし。
この人物を周辺だったと云うのは無茶な話しだよ。 奈良といえば解同県連青年部。
こないだ水平社博物館と西光寺へ観光というか見学に行ってきたよ。
西光万吉は戦中の転向さえなければノーベル平和賞だと思うけどどうだろう?金静美
さんに批判されるかな?
俺は部外者だから噂でしか青解のこと知らないけど、解放同盟のメンバーが狭間のやり
方についていけなくなったのはある意味当然かな。特に青年部が山下派についていった
ことを自分なりに推測して考えながら。 >>221
山下派が、解放派を離れた契機は2つあります。
ただ、狭間が悪いだけではない。
狭山闘争での仮釈放を巡る路線対立とスパイ問題の対策活動問題です。
もう、しんどいので詳しく書けませんが、山下派は、革命的部落解放運動から脱落し利権に染まり狭山闘争を裏切った。
残念ながら、そういうことです。
狭間を悪者にしても、言い訳にはならない。
1つ1つ見ていかなくては。 >>222
返事どうも。
スパイ問題といえば奈良県連の青年部役員がスパイ発覚でそのことで色々揉めて絶縁宣言出たのを
今更ながら思い出した。
その後も天皇決戦で警察寮爆破して警官に死傷者が出た後、権力の弾圧が本格化?したのか、組織内部
のスパイ摘発がしょっちゅうあったとは聞いてたな。それで組織内部引き締める為に明大生協労組と支
援の争団連と敵対したなんて推測もあったけど。
これは俺も関わった所もそうだし左翼全般に言えることなのかもしれないけど、人間的なもの(それは弱さ
や探究心に個人の持つ感性色々あるけど)より思想的強固さ、それに基づく献身性が求められすぎるんだよね。
それって根本のところでは旧日帝の天皇を頂点とした支配体制、スターリニズムに通じるものがあって今の俺には
そういうことは好きになれない。 こけあおの小嵐の書いた本「蜂起には至らず 新左翼死人列伝」について
中核派がHPで触れている。主に中核の活動家に関しても触れているが、
ほんの一行中原さんについて触れている。
http://www.zenshin.org/f_zenshin/f_back_no03/f2122.htm#a6_2
中核にもこんな人間臭いところがあるんだな。 鉄パイプでバカスカ人を殴り殺したり、放火で人を殺したり、そんだけしといて「人間臭い」とか、馬鹿なんですか。 >>225
左翼を馬鹿だと思うあなたの感覚は正常です。 >>227
すまん。なかなか、良い書評でしたね。
元本も素晴らしいし。
解放派も、この本の書評くらい載せたらいいのに。
樋口圭之介氏の本も知らん顔やし。ほんま、石頭やわ。 >>223
それは夢ですね。
権力にスパイ攻撃をかけられない革命運動。
スパイ対策など、しなくて良い闘い。
自らを鍛える必要もなく、ただ、あるがままに、前進も成長もない活動家。夢です。
一方、解放派も、夢を見ています。
鉄の規律と豊かな団結の両立。
スタ以上に階級的な厳しさを追求し、かつ、普遍的人間解放の内実を求めてやまない。
見果てぬ夢を見続けているのです。
スターリン主義を克服する夢を。
何いってんだ、俺。 >>222
「西原派」と言うなら部外者の俺が文句言う立場にない。それは解放派内部の問題なのだから。
しかし、「山下派」等と表記されているので言わせてもらう。
「山下派」とは一般的に解同奈良県連が分裂してできた「部落解放同盟奈良県支部連合会」(のちに改称しているが)を指す。それが「解放派を離れた」とはどういう意味か?
山下氏が解放派のメンバーかどうかは俺は知らんが、少なくとも「革命的部落解放運動から脱落し利権に染まり狭山闘争を裏切った」などと評されるべきではないと考える。
「利権に染まり」と「狭山闘争を裏切った」の二点について、具体的事実があるというなら、それを示すべきだ。
山下氏の主張については幾分理解できぬところもあるが、「山下派」と称される奈良の運動は、数少ないながらも全国各地で苦闘を続けている部落解放運動の活動家たちにとって、今なお高く評価されている。
日本の革命的左翼が次々と路線転換していく中で、解放派のみが唯一革命派と称されるべき存在であると考えるが、だからと言って奈良の運動が解放派との関係でのみ評価され、否定されることには同意できぬ。 >>232
94年頃に「戦民」とかいう書籍を出していたな。交通違反をきっかけに権力と「交渉」したメンバーを除名云々とか学生当時に
読んだ記憶がある。じゃあ、駐禁とか車バイク盗難のときとかどうすりゃいいの?とわりとマジに考えた記憶あり >>232
あなたに、そう言われるのではないかと、予想していましたよ。
だいたい、分かります。
詳しくは夜中に。 >>233
単なる違反ではなく、友人の父親のひき逃げの揉み消しを依頼している。
権力から、ポケットベルを受け取り、運動情報、デモの様子まで、いちいち報告している。
権力と設けた酒席に、他の仲間を引き込み、自分自身がスパイを増やそうとした。
ここまで、やるスパイも珍しい。
交通違反等で、取り引きを仮に持ちかけられたら、きっぱり拒否すれば、すむ話しでしょ。 >>236
金に弱いからスパイになるケースはまれだろう。そもそも、左翼になるやつは、金に頓着しない。
左翼を選ぶってことは、極貧を選ぶってことだし、金銭欲は薄い。
むしろ、人情にほだされ、騙され、スパイ攻撃を受ける場合がおおいだろう。 俺が聞いた話では全国連結成するとき解放派にも声をかけたらしいんだよね。
で、解放派は断ったんだけど、奈良のスパイ問題やらなんやらで奈良の青年部だけでなく数年後には他の県連や支部の活動家も召還しちゃった。それどころじゃなかったのかよくわからないけど。 >>232
すいません。西原ら全青同転向グループと山下派を混同してました。
山下氏は、戦闘的な解放運動活動家でしたが、別に革命を標榜していたわけではないので、革命的部落解放運動から落ちたわけではなかった。
あの時期は山川戦争が同時に起こり、自民と社会の複雑な利権争いの中に、山下氏も巻きこまれていた。
私らの目には一方の利権の当事者に見えたのです。
今回、指摘を受け、「被害差別部落のわが半生」を読み直し、川口派の利権主義と対抗していたと理解できました。
山下氏が利権に染まった、というのは間違いであり、侮辱です。
間違ってました。申し訳ありません。
一方、狭山闘争を巡っては、上記の著書に、何の記述もない。一言も出てこない。これはやはり、ガッカリでした。
県連分裂以前の青年部常任委員会による「社青同への見解と態度」では、狭山闘争をめぐり、「仮釈放」路線への批判を欠落させてしまっていた。
これ以前は共通の前提だったはずです。
結局、仮釈反対を貫いたのは、解放派と戦旗のみ。
強引に聞こえるかもしれませんが、仮釈反対を下ろしたことは、狭山闘争への裏切りに当たりませんか?
少なくとも後退させている。
ただ、「見解と態度」は山下派ではなく、西原グループの意向が反映していたのかもしれません。
当時の私には、裏切りに見えた。
著書を初読した時、狭山闘争の著述が一切無かったので、やっぱりかと思ったのです。
山下派が狭山闘争を、どう取り組んでいるのか。
さらに勉強してみます。
本当に、いつも、あなたには怒られる。
「橋の無い川」公判闘争で、青年部と共に、大阪高裁に突入し、無届けデモで私服どもを血まみれにした、そんな日々を回想しつつ。 >>239
あんたいつも反省してんな
勢いで書き込む前に少しだけ考えた方がいいんじゃ まあまあ
そう気になさらずとも…
ほかの方からのレスによって
自分の勘違いとか過ちとかに
初めて気がつく場合もありますし 90年代の前半だと思ったが、狭山の集会で、解放派は石川さんの仮釈放に反対してたから
解放同盟からレッド・パージされてたんだけど、会場の外で独自の集会をしてたら
解放同盟の幹部の人がきて、「お前ら、あんなビラ巻きやがって・・・」と解放派を批判しに来た。
それで解放派の独自集会の前の方にいた全学連のメンバーと言い合いになった。
その幹部のおっさん強面でなんといっても泣く子も黙る解放同盟の幹部だから、
解放派のメンバーがちょっとはびびると思ったんだろうな。
その内、「やかましい、このがきゃぁ!」とか切れ始めたけど、
全学連のメンバーが全然びびらんで、そのおっさんに「うるせェ!じじい! 引っ込んどけ!」
とか逆に野次を浴びせ始めるとすぐにスゴスゴと帰ってしまった。
笑えたのが後日談で、本当はその年、解放同盟は解放派を狭山闘争の本集会から
解放派をパージするつもりはなかったらしい。それが何でパージされたかと言うと、
そのおっさんが解放派と解放同盟との窓口で、単純にその幹部のおっさんが解放派に
その年はパージしないことを事前に集会の前に告げ忘れたらしかった。
要はその幹部のおっさんが切れたのは単純な逆切れだったらしい。
そう言えばその翌年だったかな? 石川さんが出てきたのは?
毎年五月に狭山現地に狭山事件のフィールドワークみたいに行くやつあれなんていったっけ?
とにかく、その年、石川さん自身がそのフィールドワークみたいな奴に参加して、
狭山裁判についての思いを色々語っていたらしい。俺は行かなかったけど、直接石川さんから
話を聞いたメンバーは石川さんが「出所したら狭山事件の判決を下した裁判長で包丁で刺して
やろうと思ってた」とか言うのを聞いて、それまで解放派の仮釈放反対の方針に内心疑問視していた
連中も一挙に解放派の方針が正しかったことを確信したとか言ってたよ。 仮釈反対論ね。全国連に解放派もそうだったけど、あの当時石川さんのお兄さんの思いや仮出
後、石川さんが結婚したことを考えると今は何とも言えんけどね。
今色々言われてるのはかつて解放派が東京高裁の狭山担当裁判官襲撃したり、再審担当の裁判官
のじたくに火をつけたり、中核派が死刑判決下した裁判官の自宅にロケット(迫撃)弾打ち込んだり
したのが再審請求でマイナス面に動いてると言うのは公然と語られてはいるよね。 解放派が東京高裁の狭山担当裁判官襲撃したり
そんなこともあったな
だけどそれ、解放派じゃなく「革命的人民」な
再審担当の裁判官のじたくに火をつけたり
あれかなぁ?
中核派が死刑判決下した裁判官の自宅にロケット(迫撃)弾打ち込んだり
何それ? 知らん。 JR総連革マルついに終わったな
めでたいのかどうなのか分からんが、まあ革マルが弱るのは単純に嬉しい
日本階級闘争にとっては間違いなくいい事だろう まだ黒田が生きてた頃、黒沢が言ってたよ。
黒田を処刑することは全人民にとっての利益だけど
どうせなら僕らの力でやりたいね、と。
KFによれば黒田は権力の庇護の下でKFの革命的テロに怯えながら死に、
中核によれば「恥多き死を強制した」ことになってるけど。
まあもう黒田も死んだし、革マルもどのセクトも、そもそも階級闘争なんて意味なし。
そう言や、去年(かな?)出て新左翼本では珍しくそこそこ売れた
「革共同政治局の敗北 あるいは中核派の崩壊」読んだけど
一言でつまらん本だったけど、一つだけ衝撃的なことが書いてあった。
中核派の本田書記長が殺され、中核と革マルの戦争がますます本格的になって
と言うか、正確にはあの時点で革マルは一方的テロ停止宣言を出すから
正確には中核の復讐戦が本格的になっていった75年の夏には中核派の
非公然組織は黒田と松崎の動向をほぼ完全に掴んでたんだとさ。
そんで当然中核の革命軍は黒田、松崎殲滅のゴーサインを上層部に求めたんだけど
それにストップをかけたのは、何とあの戦争狂いとまで言わてたシミタケこと清水なんだって。
何でも「黒田をやったら、俺がやられる。松崎をやったら、中のがやられる」とかの理由で。
マジだよ。嘘だと思ったら前記の本を読んでみな。余りにもしょうもない内聞分裂の真相とかも書いてあって
あほらしくて読んでて情けなくなるよ。もちろん、KFも人のこと言えないけどね。 シミタケが黒田処刑にストップって嘘だろ。その新左翼本読んでないけど。
黒田処刑に中原さん殺された解放派の狭間が武闘派ばりばりの頃に待ったかけたようなもんじゃん >>253
だからそんだけその本は衝撃的だったんだよ。
その本の筆者も革マル戦に関してはかくきょうどうの英雄主義の爆発とか
特に本田さんの革マルによる暗殺後は中核派の英雄主義の爆発だとか
しかも、フランスのノーベル賞作家、カミュのシジフォスの神話に準えて、
中核派の革マル戦をほめちぎってるけど、最後の詰め。
黒田や松崎の動向を完全に掴んでいたのに、
なぜしなかったかというと、シミタケによるストップだと書いてあるよ。
疑うんだったらその本読んでみな。おもしろくないけど、アマゾンで買えるよ。 .>>254
その本の著者の水谷は小西誠の社会批評社から出た公調内部文書の暴露本で書く丸との調停役の窓口になっ
てたらしいじゃん。で、早稲田闘争の誼で一時期、スパイ宮崎学を運動に引き込んでたのも水谷の人脈じゃねえ
のか。『各共同政治局の敗北』の出版元はスパイ小野田の思い出本も出版してたとこだし、新日和見主義の川上
の出版社からも共著出したりしてるし、それって宮崎学の紹介があったんじゃねえのか?川上の出版社からは宮
崎学と松崎明の対談本『松崎明秘録』(だっけ?)も出版してるし。 >>239
>仮釈反対を貫いたのは、解放派と戦旗のみ
最初に仮釈反対を言い出したのは中核だったような気がするんだが、彼らはいつの間にか撤回してたの?
戦旗って西田の方だと思うんだが、日向が赤ヘル革マルと言われたのに対し、西田は赤ヘル中核っていうぐらい、機関紙が「一月遅れの前進」だった。
彼らが仮釈反対って主張したのも、その延長だと思ってたし。
ついでに質問させてもらうと、解放派っていつから仮釈反対を打ち出してたのかな?
かの「目上委」のビラで批判された部分の後に「早く仮釈を」と書かれてた(正確な表現は少し違ったかも)んで、仮釈には反対してないと思い込んでた。
解放派の「校正裁判要求路線反対」という基本との兼ね合いも含めて、よくわからないんで、説明してもらうか、もしくはどっかのHPを紹介してもらうとうれしい。 1】おやま、上向きに寝る。両膝を立てて、けつを浮かすよに両手をけつ下に入れる。
客は、両手突き、両膝立てて、上に乗る。おやま、両手でおのれがけつを抱かえて、抜き差しを受け、
又おのれもけつを使う。又は、客両足を伸ばし、爪先立って、抜き差しする。
【2】おやま、別のおやまに、半逆立のよに抱かえてもらう。どたまを、そのおやまの股倉に乗せ、
腹持てもらいて、腹を折り、両足を前に下ろして足を付ける。客、後ろ向きにて、
うつむいて立ち、おやまのけつと、おのれのけつを向かい合せ、片手でまらをぼぼに入れる。
抜き差しするに、抜けざるよに、別のおやまが、まらを持ち添え、片手は半逆立ちの
おやまの腹より、おめこのさね、ねきいらいて締める。
110右や左の名無し様2018/02/08(木) 07:16:42.97ID:BNUHcmWM
すいません。絵でお願いできますか?両方無理ならば【2】で頼んます。 >>256
全国連は仮釈反対路線だったけど、全国連の幹部が石川さんのお兄さんと話し合った時、お兄さんから仮釈でも実の弟に兎にも角にもまずは出てもらいたい家族の気持ちも考えてくれ、と言われてトーンダウンしたみたい。
青解の方は知らん。石川さんが仮釈された頃は岡山や群馬埼玉の活動家みんな召還してたから(奈良県連はもっと前に絶縁)。 >>244
いつもうるさかったね
こっちは勝手に「こえ」派と規定してたけど、実は「こえ」でもなんでもなく、
解放同盟中央をテキトーにまとめて「こえ」って言ってた。
そのときは糾共闘じゃなかったの?
> 毎年五月に狭山現地に狭山事件のフィールドワークみたいに行くやつあれなんていったっけ?
現調=現地調査じゃないの?
仮釈放路線反対というのは学生運動ではそうだった。
学生では東洋大を除く。だってモロ民学同だったから。 >>247
「革命的人民」だったのかw?
のちのち知ったことだがアレは解放派とずっと思ってたが
アレって高裁に乗り込んだんじゃなかった?
記憶違いかな?
火をつけた云々は聞いたことも読んだこともないなあ
中核のロケット弾って時期的にズレるし、それも聞いたことない >>255
おいおい、小西は一貫して、対宮崎学・小野田・三島浩司だぞ。
公調文書暴露でイチイチ、マルと折衝するか。
しかも2001年だぞ。そのときの水谷ってどうだったんですかって問題だ。
宮崎を運動に引き込んでいた中核の当人はわからないが、
中核は党として自己批判してたな。盗聴法だったな。
『革共同政治局の敗北』(革の字が違ってる。おちつけ)は
まさに小野田の本を出版したのは江村の白順社だ。
江村も元中核派でしょ?
さらに川上の新時代社からいろいろ出てるが、そのとおり新日和事件からの
お仲間だ。
というわけで、反宮崎らスパイ弾劾派としては白順社も新時代社も要注意だったのだ。
しかし、それは10年も前からの話だぞ。そのかん川上死んじゃったな。
その当時に問題になったのはいわゆる「コレコン」というグループだ。
最初はつき合いだけだった者もいたが、その部分が急速にJR総連に接近していった。
出版だけじゃなくてな。
スパイの次はJR総連かよって頭イタタタだったぞ。 >>256
どこの党派もそうだよ。中核はしらん。
戦旗は日向なわけないだろ。日向は狭山から召喚したんだから。
西田はたしかに「あそこもうすぐ中核に吸収されるな」って言われてた。
でも、洋大でマルに泣いて詫び入れたとかいわれた件で崩れたのかなと
勝手に思ってた。 >>256
全国連がドーンダウンしたのは知らなかった。
解放派と戦旗のみ、と云ったのは、中核が念頭に無かったから。
解同の集会に参加する共闘の枠内で考えてたからね。全国連に悪意はないよ。
解放派は、大衆的実力闘争での石川奪還を首尾一貫、主張してきました。
早く仮釈放など、口が割けても云うわけない。何か勘違いでしょ。
解同中央一部からの仮釈放路線が表面化して、すぐ反対したはず。
それは、戦旗も同じでしょ。別に戦旗のシンパではないが、中核にならって、と云うのは、党派の活動と云うものをなめていると思う。
彼らなりの狭山闘争の蓄積と苦闘があっただろうし。 50年以上も取り組んでも1人すらを救うことができない無能革労協には、世界革命なんて絶対に不可能ということ。 >>263
社会批評社から出た『公安調査庁スパイ工作集』に中核と革マルの停戦の話が出てくるの。宮崎学が言うには革マルとの交渉窓口が水谷なんだよ。
その頃、水谷と宮崎は頻繁に接触していて宮崎から「なかなかの大物になった」とか褒められていた。
コレコンについては闇深いなあ。そういえば赤砦グループの労働運動の機関紙に中西五州さんが登場してびっくりしたことがある。
中西五州さんは共産党だけどその枠に収まりきらない尊敬できる労働運動指導者だけど、松崎明とも仲が良かったしね。 赤砦グループの労働運動は全労交のことね。
それにしても老体グループと分裂したとはいえそれなりに労働運動に地盤を持っていたのにね。
西原永井問題で労働運動部門ダメになってしまったのか?
S野市職も何かの問題で妥結したのを中央から批判されて瓦解したと聞くし。各丸と似たような
問題起こしてるね。 >>267
そっちの窓口ですかい。
宮崎については中核派トップまで浸食されてたんだから、
総体に責任があると思うのです。
コレコンに近いというか、JR総連といえば戸塚秀夫もそうだが、
樋口篤三。晩節を汚すとはまさにこのこと。
その直系が全日建本部のエライひとたる書記長小谷野。
つまり関生とのつながりがでてくる。
もっとも連帯労組には門真市議の戸田が宮崎学の子分として、
全面擁護し拝跪しながらくっついてるけどね。
どうすんの関生サンって感じだ。いやそれより関生を賛美し続ける中核派だよ。
結局スパイ網とくっついてるじゃねえかってさ。
中西さんはそういう人だからでしょう。 >>111
左派を標榜するのはいいのだが、ナショナルセンターもどきが多すぎるという意味。
民学同民旗派(現MDS)のように、党派ごとに細々とした組合で連合体作って、
○○センターとか、全国××労連とか、あちこちでやってますよね。
それでいいんでのかなあってさ。
それに一党派だけで革命やるわけじゃあるまいしとも思う。
それを考えてるのはマルと日共だけじゃないの? >>270
別に、センターもどきが多くても、かき集めて、将来のナショナルセンターのひな型に、すればいいのでは。
バラバラのままだと、意味無いけど、結びつける姿勢だけでも、持たないと。
総評の時代は、民同って批判してたけど、やっぱり、あんなセンターは必要だよ。
何故、こんな話になったかと云うと、誰かが社会党を再建しろ、というので、社会党より、センターやろ、という流れでした。 狭間て色々言われるけど、どうして党内(革労協が党なのか色々議論あるけど)で力を持って労対との分裂後トップに立てたのか?
樋口圭之介なんて本を読ませてもらったけどあの人は狭間より労対の考えに近いよね。
センターについてだけど、統一戦線的なもの必要だとは思うけど3.8分裂のしこりがあるからね。
労働情報(全労活)・労組交流センター・自立労連・全労交・反安保労研・その他が統一戦線組めるかというと、ねえ。 >>272
> 労働情報(全労活)・労組交流センター・自立労連・全労交・反安保労研・その他が統一戦線組めるかというと、ねえ。
まさに理由の1つはそういうこと。
そしてそこ見ても労働情報系と労組交流センターがありえない。
さらに3.8だけが理由ではなく、党派単位で作った結果たくさんできてる。
だから労働戦線では最初から党派枠なくす方向で調整すべきだった。
だけどその努力をした形跡があまり見られない。安易だとも思う。 >>272
> 狭間て色々言われるけど、どうして党内で力を持って労対との分裂後トップに立てたのか?
そりゃあくまで狭間が主導したゆえの力でしょ。それも物理的な力も含め。
目黒の件とか利用主義的に使ってまでやる狡猾さもあった。
それで精神的にも追い込んだ。 労働情報系は全労活に見切りを付けたグループ。新左翼系の運動が
一斉に労働情報系へと流れたことで全労活系の運動は自然消滅した。
最後まで残ったのは日カバ労組などだったはず。
去年か一昨年に全都反弾圧の闘争から中核派系の組合がユニオン東京合同をのぞき一斉に撤退して来なくなった。
これだけ小さくなった運動の世界でもこういう有様なので、統一戦線だとかとても無理な話。 >>275
いちおう都労活系(市川誠や根岸ら)の、当時主流といわれたらしいグループは1991年くらいまで続いた。
前年に失敗だったと総括し、解散を決議したからだ。
なお、「都労活ニュース」の発行はなぜか名称変えて続いてたような。
そのときの連絡先はあっちこっちの連絡先にもなってる現代思想社だったな。
労働情報系にしても何かを主体的にやる組織とはいいがたい。それでいいのかも。
だからどっちにしても無理。せいぜい争団連でいいよ。 >>272
樋口氏は、一貫して、反滝口でしたよ。そして、高見を批判してた。
80分裂直後の政治集会で、滝口の議長行動、高見のスパイ変革論を批判してたし。
発言の中で、滝口の左翼としての資質の無さまで言及していた。
樋口氏は、古参の革命的労働運動家でしたが、決して、労対の様な社民主義、組合主義、サンディカリズムに落ちることはなかった。
彼らの様に、中原暗殺への報復戦から逃避したり、部落民同志の内部糾弾を否定したりもしなかった。
労対などとは対極に立つ人ですよ。 現代社は未だに佐々木=滝口に未練があるのか全学連HPに滝口論文を載せてるな。
赤砦社は解放派の出自の系譜を清算さえ
してるように見える。その分、ある意味で路線的に束縛されないのかね? >>279
未練とかではなく、解放派の原点は、ナンバー6で示した外部注入論批判で、今もそれは変わらない。
赤砦も同じで、例えば、反革命戦争論も、ナンバー6から発展させた階級形成論のまなこで、帝国主義戦争を分析したもの。
綱領的3論文や合理化論、プロ統論、反革命階級同盟論など、これらが無ければ、赤砦でも、機関紙の一面論文も、ビラの一枚も書けない。
ただ、赤砦は、サイトの充実とか、そういうセンスがナンセンスなだけ。
上記の論文は、滝口署名だが、ただ個人の成果ではなく、当時の解放派創成期の団結と苦闘が結晶したもの。
滝口も、80分裂までは、からくも、解放派の一員だった。落ちたからと言って過去までも全面否定したとしたら、それはスタの論理になってしまう。 分裂しまくった挙句に「理論的」な自己満足しか頭にないから弱小組織に落ちぶれて一生革命もできずに革マルにボロ負けしてるんだろ。 市東さん、たったいま民放・TBSで登場。いい声で空港絶対反対をアピール! 今春大学生になるみなさん。極左暴力集団やカルト宗教にはくれぐれも気をつけてほしい。
彼らは自分が過激派であることと隠し、あたかも戦争や差別に反対
しているかのように装ってあなたに近づこうとする。
「戦争に反対するための署名をお願いします」といわれても絶対に
応じてはならない。
とくに親元を離れ、独り暮らしをしている人は狙われやすい。過激派
やその疑いがある組織にはいっさいの個人情報を渡さないようにし
てほしい。 まずは革労協がどのような危険な団体なのかみてほしい。
革命的労働者協会は、社青同系の日本の新左翼党派の一つ。
早い話が過激派だ。
かつては明治大学を「不抜の拠点」として自治会費名目で多くの
資金を獲得、テロ資金として流用してきた。 その明治大学である事件がおきる。これがいわゆる「明大ゴスペル事件」である。
明大に結成された「ゴスペルソング愛好会」は革労協にとっては明治大学利権を維持するうえで邪魔な存在だった。
そこで革労協は「ゴスペルソング愛好会」は反共サークルであると
事実無根の言いがかりをつけ、彼らを襲撃した。
ところが革労協にとって結果は散々なものに。
返り討ちにあっただけでなく自分たちのほうが警察に突き出されて
しまったのである!! この事態を収拾するために革労協では対立が発生。のちの初代赤砦社社長に
就任する山田茂樹は現代社ののっとりを策動する。
現代社ビルは革労協の象徴的な存在であり、東京都杉並区にある廃屋
同然のボロクソなビルである。
近所の住民からは幽霊屋敷として気味悪がられていた。 不意打ちをかけて乗っ取るつもりが計画が漏れて大失敗。
なんと自分たちが退去させられる羽目に。
こうして組織は分裂した。
しかし組織が分裂して終わりではない。これが過激派の恐ろしいところだ。
以降、血で血を洗う熾烈な内ゲバ殺人合戦が展開されていくことになる。 先制攻撃をかけたのは現代社側。つまりこのスレで「もうひとつの」と
揶揄されている側である。
1999年6月4日、現代社側の先制攻撃がおこなわれる。社長・山田は
後遺症が残るほどの重傷を負う。
それでも社長山田はこんなことではくじけなかった。
これこそ内ゲバ殺人を正当化させる口実と考え「全面戦争」突入を
宣言した。
翌7月、赤砦社は元明大生協理事の現代社派の荻野佳比古をターゲットとし
これを殺害した。彼は明大利権を確保するためには邪魔な存在だったのだ。
荻野は松戸市で出勤中のバイクを倒され、側頭部のみにハンマーの
連打を浴びせられ、その場で死亡した。これこそ殺害のみを目的と
した襲撃だった。 現代社も過激派らしくこれに報復を宣言し、実際に報復攻撃をおこなった。
同7月21日、上記の報復として神奈川大出身であり、明治大学生協職
員の赤砦派メンバー相川一郎を襲撃し殺害した。
なぜか赤砦社派の反応はこの人物に対しては冷淡だった。
よほど人望がなかったのだろう。
翌日現代社派は波状攻撃を図り、7月22日に明大生田キャンパスに再度、全国動員公然部隊(計37名)を差し向ける。
情宣を行うという名目ではあったがその目的は学内の赤砦派拠点自治会ボックスなどを狙って入構してきたのは明白だった。
赤砦派はこれに直対応せず、学生部の出した「退去命令」にしたがい構外に出る。
ところが現代派はそれに従わず、突入してきた機動隊によって37名全員が、
まんまと凶器準備集合罪と建造物侵入で逮捕・起訴されてしまい壊滅的打撃を受ける。
彼らは警察が逮捕しようとしていることに気がつかなかったのだろうか。
だとすればお花畑としかいいようがない。
彼らはこのお花畑的思考を「革命的楽観主義」と呼んでいる。 これをいいことに赤砦社派は現代社の勢力圏であった福岡、九州大などへも進出していく。
また11月には、佐賀大出身で全学連書記長を務めた
現代社の森田・福岡県委員会議長を襲撃・殺害した。
これを契機に九州大や福岡の寄せ場に登場、革労協の拠点は三里塚現闘以外、
赤砦社派一色に塗り替えられてしまう。
これで内ゲバは赤砦社勝利であるかに思えた。しかしそうはならない。
現代社も過激派としての意地を見せる。
血で血を洗う報復合戦はエスカレートしていく一方であった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています