>>463
の続きです。

実際、私「注釈の人」こと荒谷直人のいままでの人生。
女を殴った事なんて一度もありませんからね。
大阪入国監理局の初日で、女のパワハラ上司に罵声や暴力を振るわれた時ですら。
女を「物」として扱う表現にしろ、
女に独占欲の強い「性」の本質をもつ「男」としての発想ならば、「俺のハーレムを作る」という方がリアリティがありますよ。
その願望を押さえ、女を裏切らないのが、人としての「モラル」というものですが。
生まれてくる子供が傷つきますからね。
少なくとも、気に入った女を「他の男に使い回す」なんて発想自体が、男には考えもつきませんよ。
この「女の共有」という表現。
まるで、女の体を男を餌付けする手段だと考える、支配階級の女の発想です。
「女から見た時の浮気する男に対しての見え方」、もしくは「女性視点でそれを見た時の男性に対しての偏見」を感じる女性らしい表現ですけどね。
敵をしめす表現にも、自分をしめす表現にも、この表現自体、男性には考えつかない表現ですよ。
例えば、カール・マルクスをイギリス国内において庇護下おき、
イギリスの工作員としてカール・マルクスに命令を下していたヴィクトリア女王のような女の支配者が考えた表現ならリアリティがありますけどね。
「女の支配者が、女に対していくらでも残酷になれて、そして自分の所有物として扱う」という事は、
いままで同性の女に虐められてきた女性が、よく理解されていると思いますけどね。
他の男に気に入らない女を襲わせ、自分の言うことを聞かせるなんて発想は、
女に対しての独占欲が強い「男」という性では考えつかない女の発想ですからね。