>>86
の続きです。

そうして、毎日虐められるようになった一ヶ月後、ノートの表紙に大きく「オ○コ」などと書かれ、中を落書きだらけにされた次の日、私は学校を休みました。
学校を辞める決意をしてね。
私「注釈の人」こと荒谷直人が学校をサボったのは、これが生まれて初めてでしたよ。
その次の日、私のクラスのL1-Cの担任の広瀬豊市という先生から、「生徒は叱ったので、もう大丈夫だから学校へ来なさい。」と説得され、
私はギクシャクしながらも学校へ行きました。
その日は先生が言った通り、何もありませんでした。
それでも当然、嫌がらせが止む訳がないので、しばらくすると、また岩井という生徒が執拗に絡んで来ましたけどね。
私が母に「もう学校を辞めたい」というと、
その母が広瀬先生に相談したようで、広瀬先生から「君が虐められるのは、君が人付き合いが苦手だからだ」と言われました。
入学式初日から、一方的に不自然に絡んでくる相手に社交性は関係ないと思うんですけどね。
私は「?」と思いましたよ。
「どうかんがえても悪いのは、最初に絡んできてイジメを煽った岩井の方なのに、なぜ被害者である俺が原因になるんだ?」とね。
今、思うと、これがマルクス主義の論法なんでしょうね。
被害者の側に原因があるかのような暗示をかけようとするやり方は。
そして「君自身を変えるために、私の知り合いの中村先生の寮に入りなさい」と、そう言われて勧められたのが、自動車科の中村忠行という先生の運営する天理教の寮です。
ここまで、書けば解ると思います。
ようは当時、この岩井智という生徒が「嫌がらせ役」で、広瀬先生が紹介した中村忠行という先生が「懐柔役」だったという訳ですね。