革労協スレッド34
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革労協スレッド33
http://itest.5ch.net/mevius/test/read.cgi/kyousan/1516944628 安倍とうとう支持率3割切りそうな勢いだな
官邸前デモ行った奴いる?
連日増えてきてるみたいだけど 官邸前デモって、昔のデモとは全然違うスタイルだよね。
シュプレコールのやりかたとかじゃなく、集会→街頭デモという形じゃなく、いきなり国会や首相官邸前に集合して抗議の声を上げるっていう形みたいと理解してるんだけと、間違ってる?
もしそうだとすれば、昔だったら絶対相当数逮捕者を出さないとできない形じゃないか?
主催者が警察とそれなりの取り決めを行い、それを守る形で実施してるっぽい。
安保法制の時だったか、参加者が車道にあふれたりした時は警察と一体となって対応してたし、逮捕者が出ても警察に抗議をするわけでなく、反対に被逮捕者を批判してた。
この間の抗議行動の盛り上がりを否定するつもりもないし、結集している人々の闘いの意思を否定するつもりもない。
しかし、いわばこうした官許の抗議行動の枠組みにこだわり、真に闘わんとする人々を排除する構図があるという事実は批判的に抑えておくべきじゃないだろうか。
なお、流れとしては「ヘイトスピーチに反対する会」を排除したあたりから始まっているようだし。 革マルあたりは潜入してビラ配ってるみたいだな
革マル署名入りのビラがネットに上がってるのを見た。むろん「反対してるのは極左」キャンペーンに使われてるだけだが
革マルが極左なわけねーだろ。なんていう声はとても届きそうにない連中の。 今春大学生になるみなさん。極左暴力集団やカルト宗教にはくれぐれも気をつけてほしい。
彼らは自分が過激派であることと隠し、あたかも戦争や差別に反対
しているかのように装ってあなたに近づこうとする。
「戦争に反対するための署名をお願いします」といわれても絶対に
応じてはならない。
とくに親元を離れ、独り暮らしをしている人は狙われやすい。過激派
やその疑いがある組織にはいっさいの個人情報を渡さないようにし
てほしい。 まずは革労協がどのような危険な団体なのかみてほしい。
革命的労働者協会は、社青同系の日本の新左翼党派の一つ。
早い話が過激派だ。
かつては明治大学を「不抜の拠点」として自治会費名目で多くの
資金を獲得、テロ資金として流用してきた。 その明治大学である事件がおきる。これがいわゆる「明大ゴスペル事件」である。
明大に結成された「ゴスペルソング愛好会」は革労協にとっては明治大学利権を維持するうえで邪魔な存在だった。
そこで革労協は「ゴスペルソング愛好会」は反共サークルであると
事実無根の言いがかりをつけ、彼らを襲撃した。
ところが革労協にとって結果は散々なものに。
返り討ちにあっただけでなく自分たちのほうが警察に突き出されて
しまったのである!! この事態を収拾するために革労協では対立が発生。のちの初代赤砦社社長に
就任する山田茂樹は現代社ののっとりを策動する。
現代社ビルは革労協の象徴的な存在であり、東京都杉並区にある廃屋
同然のボロクソなビルである。
近所の住民からは幽霊屋敷として気味悪がられていた。 不意打ちをかけて乗っ取るつもりが計画が漏れて大失敗。
なんと自分たちが退去させられる羽目に。
こうして組織は分裂した。
しかし組織が分裂して終わりではない。これが過激派の恐ろしいところだ。
以降、血で血を洗う熾烈な内ゲバ殺人合戦が展開されていくことになる。 先制攻撃をかけたのは現代社側。
1999年6月4日、現代社側の先制攻撃がおこなわれる。社長・山田は
後遺症が残るほどの重傷を負う。
それでも社長山田はこんなことではくじけなかった。
これこそ内ゲバ殺人を正当化させる口実と考え「全面戦争」突入を
宣言した。
翌7月、赤砦社は元明大生協理事の現代社派の荻野佳比古をターゲットとし
これを殺害した。彼は明大利権を確保するためには邪魔な存在だったのだ。
荻野は松戸市で出勤中のバイクを倒され、側頭部のみにハンマーの
連打を浴びせられ、その場で死亡した。これこそ殺害のみを目的と
した襲撃だった。 現代社も過激派らしくこれに報復を宣言し、実際に報復攻撃をおこなった。
同7月21日、上記の報復として神奈川大出身であり、明治大学生協職
員の赤砦派メンバー相川一郎を襲撃し殺害した。
なぜか赤砦社派の反応はこの人物に対しては冷淡だった。
よほど人望がなかったのだろう。 翌日現代社派は波状攻撃を図り、7月22日に明大生田キャンパスに再度、全国動員公然部隊(計37名)を差し向ける。
情宣を行うという名目ではあったがその目的は学内の赤砦派拠点自治会ボックスなどを狙って入構してきたのは明白だった。
赤砦派はこれに直対応せず、学生部の出した「退去命令」にしたがい構外に出る。
ところが現代派はそれに従わず、突入してきた機動隊によって37名全員が、
まんまと凶器準備集合罪と建造物侵入で逮捕・起訴されてしまい壊滅的打撃を受ける。
彼らは警察が逮捕しようとしていることに気がつかなかったのだろうか。
だとすればお花畑としかいいようがない。
彼らはこのお花畑的思考を「革命的楽観主義」と呼んでいる。 これをいいことに赤砦社派は現代社の勢力圏であった福岡、九州大などへも進出していく。
また11月には、佐賀大出身で全学連書記長を務めた
現代社の森田・福岡県委員会議長を襲撃・殺害した。
これを契機に九州大や福岡の寄せ場に登場、革労協の拠点は三里塚現闘以外、
赤砦社派一色に塗り替えられてしまう。
これで内ゲバは赤砦社勝利であるかに思えた。しかしそうはならない。
現代社も過激派としての意地を見せる。
血で血を洗う報復合戦はエスカレートしていく一方であった。 翌2000年にはいると、2月8日現代社のゲバ部隊が、福岡で常駐して
いた活動家・片岡利和を殺害した。
そしてその翌朝、1000キロも離れた神奈川県真鶴町でこの襲撃を実行した2名が
赤砦社の追っ手によって、殺害・重傷を負った。
出刃包丁で武装した赤砦社派による襲撃が衆人環視のなかはじまった。
これによりこの二人はメッタ刺しにされ、キャップの柿沼忠はその場で死亡、
もうひとりの女性活動家も重体となった。 過激派の内ゲバではこれまで出刃包丁が凶器として用いられたこと
は一度もなかった。
赤砦社派がこのような武器のレベルアップに踏み切ったことは、
直ちに現代社も採用することになった。
2000年8月30日 朝の通勤ラッシュで混み合う鶯谷駅東口を降り立っ
た赤砦社派の女性メンバー明大生協従業員組合書記長・片山美恵子
が、マスク姿の現代社部隊に襲われ、衆人環視の中で全身をメッタ
刺しにされ殺害された。 このとき襲撃者らが採用したのは小型出刃包丁やクリ小刀だった。
致命傷は出刃包丁を肋骨に逆らわないよう刃を横にして心臓に達するように
突き立てたものであった。
相手を殺すためには手段を選ばないこの犯行。血の海となった犯行現場のむごたらしさに、
駆けつけた警察官も言葉を失ったという。 同年12月10日には現代社派古参現役労組構成員が殺害される。これにたいして現代社が
殺されたら殺し返せとばかりに報復攻撃を準備していることは明白だった。
そしてこの推測は正しかった。相模原で赤砦社派活動家宅への襲撃が準備されていたのだ。
2001年2月16日朝の出勤時間、徹夜で監視していた公安私服部隊の目の前に、
現代社派の襲撃部隊を載せた車両が現れる。そして乗っていた4名全員が一網打尽に遭ってしまう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています