【サロン派】社会主義協会・社青同26【学習サークル】
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鎌倉派出身者の社民党市議が民主党に行きたがっているのを説得して社民党にとどめた
話を昔きいたことがある。立憲民主党が出来た時に中大出身の民進党幹部専従職員が
苦笑いして党立ち上げに奮闘していた。「結局、左岸に打ち上げられちまったよ」という
思いかもしれない。 三池研は闘えない実態を強調して万年主体形成論だと批判されていたので(この傾向は
長期抵抗・大衆路線の頃から解放派から言われていた。この批判に応じて断固たる闘いに
踏み出したのは太田派で向坂派はむしろ三池研のような路線であった)
三池研はある職場を抽出し、闘いのショーウィンドーのように闘わせてみせると清水派は
批判し、権問研筋の人も「あの闘い」はやめた方が良いと」冷ややかな反応であった。自派の
闘い、運動以外に動員されたくない利用されたくないという雰囲気があった。清水派が突出した
闘いをしても誰もついてこず、むしろ批判的空気のなかで立ち消えになることがあった。 イノケン派が分裂し、イノケン路線を引き継ぐ清水派が主導権を失ったとき、統一戦線派の人は
明確な路線転換と認識し、物販の本売り場の三池研の本に大会参加者が群がっていたのを
目撃したとのこと。清水派の主要活動家は悔しがり脱権への決意表明をしていた。そして大会後
各方面にオルグを入れていた。その後三池研の分裂で生じた善明派と組んで社青同の主導権を
取り戻したが、日本階級闘争における運動的影響力は失われていた。 善明派はその後解消。清水派は佐藤協会派内で左派的スタンスに立ち、社民化に
抵抗して見せたが、すぐおとなしくなった。三池研は新社会党、坂牛協会内で
対社民党融和策に反対して主流派を困らせる。清水派と三池研は国労内では左派を
支持した。 学生班協論争のなかのやり取りで主流派の同盟員が集会の受付に一緒にいた
反主流派の女子同盟員に卑猥な冗談を投げかけ、それが後で問題になり(今で言う
セクハラだな。当時はそういう言葉はなかった)そういう応酬はいいから議論の中味で
やれよとみんな思った。結局話はうやむやになった。 子供の頃に読んだ学生運動解説本に社学同は何々派とつかないのに社青同だけ解放派
とかつくので不思議に思ったら、そのうち国際主義派(第四インター系)や協会派とあるので
ああ内部で別れているのねと素朴に理解した。そのなかで協会派はあまり勢力がないと
書かれていた。(むろん学生運動で)やがて社学同は統一派とかМL派とか分かれて書かれる
ようになった。 佐賀大学の物語というのをネットで見たらかって九州学連で唯一協会派で生き残った
佐賀大学の学生運動が向坂逸郎の協会派として書かれていたが、実は太田派になって
人力→エル学同になるわけだが、大学当局側の人間から見たらどうでも良い事なのだろう。長崎大学は解放派にとられてやがて右翼に負けて右翼の拠点校になった。
これが日本会議の源流になったということだ。彼らは全国学協を自称していたから
偶然の一致で社青同も全国学協と称していた。もっとも社青同の場合は全国学生
班協議会だ。社青同組織内の横割りの労働運動で言えば産別班協にあたるもので別名班協と言っていた。だからそれ自体が独自の全国組織である右翼の全国学協とはまったく性格が異なる。それこそ些末でどうでも良いことだ。 昔、佐々木慶明(滝口弘人)が向坂派に捕虜になった時、向坂逸郎を襲うぞと解放派がブラフを
かけたら佐々木はほどなく解放されたとのこと、こういう恥ずかしいやり合いはやめてほしい。 今はそんなことやっていないだろ。むしろ両派とも衰退して見る影もなくなっている。 そういうことは口にしないものだ
武勇伝で喋りたがる奴には困ったものだ 仙谷由人氏(旧:民主党/元・官房長官)が11(木)に御逝去。72歳。
http://y-sengoku.com/ 仙谷氏は社会党時代、協会と対立した人だ。
民主党政権の頃だったか、ネトウヨらしき者が仙谷氏を社青同構造改革派(フロント)出身と誤った書き込みをしていた。フロントは日共脱党組の構造改革派学生組織。
社青同構造改革派は主体と変革派で労働者主体の組織。社青同の学生に構造改革派
はなかった。どうやら昔の事情を良く知らない知ったかぶりをした新聞記者の発言を
鵜呑みにした模様。 主体と変革派は単に出自が「構革派」だったというだけ…
レーニン&グラムシを模索しつつ71年以降、社青同に未練を持たずに青年労働者主体の銀ヘルで沖縄〜三里塚を闘った。 鎌倉派というか中大のSYは班学習会とかにR・パイプスの「レーニン主義の起源」をゴリゴリにやってたなぁ
あの意図は何だったのか
当時はぺーぺーだったんでイノケン派なんて言葉も知らなかったし、発想がまるで違うってことすら分からなかった レーニンで言えば「何をなすべきか」でイノケン派の経済主義批判を意識して理論学習を
いたのだろう。でもイノケン派の古いメンバーはそんなこと百も承知であんな路線をやって
いたはずだ。ようは我々は力不足だから職場に集中しようという戦術論を開き直って正当化し、
一般路線まで高めてしまういつものやり方だ。 昔、何かの雑誌で構改左派主体と変革派銀ヘル五千の隊列と盛った記事があった。 >>381
それは1971〜72年頃の「中核派&第四インター&主体と変革派」の「白ヘル、赤ヘル、銀ヘル」共闘を合算してだろ? その頃は北海道は反戦派で国労札幌青年部も反戦派構改だ。 >>381-382
その当時はいたんだよ
しかし全逓での出世と郵政での出世や、埼玉の自治体でのポスト、それを受け入れて消滅した
関西はもともと少数精鋭なのだが割と最近まで残ってたが、協会本流(自称)に刈り取られた
橋下と協会が組んだんじゃねえかと言われてたな
さらに埼玉じゃ小沢恵量子が原発推進派の犬に成り下がって、
全国の原発立地に恫喝してまわったというのがある
今度詳細に書くが、それまで朝霞やってた銀ヘルも、
電事連とそのパイプの小沢遼子のの前ではオトナになったんだな
よかったな。裏切り者! 小沢遼子が原発推進派になったというのは初めて聞いた。
ソースは?
主体と変革派は労調委構成党派として78年の三里塚開港阻止決戦のあと、80年代前半まで反原発には取り組んでいたけどな >>386
電事連といっしょに各地回ってた。
で、ヤジでも起きると「だまらっしゃい!」と叫び、
「私の家には今日の東京の平和フォーラムの集会のためにバーベキューセットを借りにきてる反対派がいるんだ!」と怒鳴り住民の声を電力資本や経産省とともに圧殺!
休み時間にはそいつらと夏の夜に凉んでた。そして役者小沢のせいで、まあ全国いろんなことになったね。いわゆるトラブル隠しの精算の過程だ。
結局アレだろ。カネなんじゃねえの?
ソースソースと頼らずbに自分で調べろ!
自ら動け! 闘え! 昔、イノケン派に被害を受けていた班の同盟員が「生命と権利の闘い」と手記に書いていた。
当時は生命と権利の闘いとはなにかという事があいまいだったのでこういうことがあった。 SYイノケン派の連中は家計簿をつけて生活実態をさらしあうことが階級闘争と本気で思ってたんだろうか?
イノケン派の「春闘30万円賃上げ要求」には、さすがに社会主義協会の学者連中からも苦言を呈されたんじゃなかったか?
むしろ、いわゆる「鎌倉派」が本来の向坂協会派であって、イノケン派はなんか斜め下の別の宗派のような気がする。 超高額賃金要求は次々エスカレートしてたんなる誤りから非科学的段階まで差しかかっていた。
さすがに向坂逸郎以下学者理論家も放置できなくなり、批判されると突然総括もなしに
打ち切られた。 向坂派は太田派や反戦派、解放派は様々な傾向の連合体だと言っていたが、向坂派自体
様々な傾向の連合体だった。 それくらいの賃金でないと家族を養い子弟を大学まで進学させられないだろ。何処が非科学的なんだろ。向坂も買収されていたのか?共産党では、宮本が労働組合潰し路線を進み始めた頃だろ?
今では労働組合運動は跡形も無い。
ここへ安倍自民党が憲法改悪を持って来た。宮本野坂不破はCIAで公安スパイ。 向坂はマルクスの『賃金・価格・利潤』を引用し、賃金は利潤を越えることはないと
諭した。教条派は反論できず突然方針転換がされた。 五十年前の今日、10・21国際反戦デー、いわゆる新宿騒乱事件というのがあった。
社青同は渋谷方面でヘルメット姿でジグザグデモ、渦巻きデモ、座り込みをやっていたのが
記録映画「怒りをうたえ」に映っていた。アジ演説で「全学連の学生わぁ〜」なんてやっていた。
その後国電で新宿に向かったと映画ではナレーションしていた。その後本当に新宿に向かった
のかはわからない。 国際反戦デーか たたかう社青同解放派はいまでも集会やってるのかな 渋谷の社青同は協会派。解放派はなぜか他党派と別に国会デモ。若干名が校内突入。 社青同国際主義派(第四インター)は新宿へ。当時の写真でカマトンカチが写ってた。 大昔、向坂逸郎宅に書生で入った人が木刀を持ち込んだので爺さんがそんなものは
いらないだろうと日共の武装闘争が生々しかった時代ゆえ心配したらたんに鍛錬の為に
素振りをするだけだったらしい。 ゴメン、肝心要の青が抜けてた
でもヘル4色で分かれる程なのに1971年までは表向き1つの党派として大会では同席していたんだよな 71年ごろにはそれぞれ別々に集会デモをやっていた。第4インターは中核派と共闘していた。
協会派は太田派学生が人力に行ってメットまで反独占から反帝に変わっていた。
解放派や主革派も別の道を歩み始めた。向坂派はその後だんだんメットをかぶらなくなっていった
まあ正解だろうね。太田派本体の方も独自集会・デモをやっていた。 サロン派は協会で、社青同は学習サークルだ。スレタイどおりではないか。 カマトンカチはデザイン的にもよくできてる 協会のシンボルマークにしろ 協会のシンボルマークは双葉。カマトンカチはソ連の国旗。中国共産党の党旗にも
デザインされている。第4インターのは逆カマトンカチ。 社青同協会派は反独占。メットや旗にも書かれていた他、党派の人間の落書き等に党派の
人間が書いたという証明の為の署名がわりにした。各党派はメットのフロントデザインを
使っていた。 創価板に新学同スレが無いんだな
新学同、民社学同スレが無い中
社青同スレは続いている 新学同は一瞬だけ表に出て、影の存在だったし、民社学同は全然目立たなかった。 ブントは赤軍派から叛旗派やマル戦派まで一堂に会して同窓会をやってるのに社青同や革共同はそういうのは一切ないな
やっぱり出自がブントってのは特別の同郷意識があるのかね? >>413
俺は出自がブントだが
一度もそういう席には行ってないな オレは70年代末に大学に入ったが面白かったのはその頃までだな
80年代には集会参加者は減りメット姿も消えていった 俺は90年代まで被ってた
現地闘争ででは被る
大衆集会では被らない
そういう使い分けをしてた イノケン派は地区で民青と仲良しでメットはかぶらない
鎌倉派は民青大嫌い&中核にシンパシーを持っててデモではいつも白ヘルでジグザグデモってイメージ
明大の解放派が中大向坂協会のSYには手を出さなかったってのはそこらへんを竹内ブントからいろいろと聞いていたんだろうかね 協会って共産主義社会を目指してないよね。
平和革命が成功して社会主義「国家」成立までこぎつければ満足なんでしょ? そこが理論と実践が分かれるところだね
協会派ひと括りにしても
後進国革命のソ連、中国モデルの追認
先進資本主義国革命の移行の仕方
日本の明治維新の革命の位置づけ
資本論における必然の王国、自由の王国の問題
さまざまな解釈、理論化したものを
いかに現実で実践化するのか内部でも分かれるところだ
実践なき理論は果たして意味があるのか >>421
『ゴータ綱領批判』と『国家と革命』ぐらい読んでみたらどうかな、と思う。 中大向坂派はヘルメットに鉄パイプで突然登場して公然化したから誰も手が出せなかった
明大二部向坂派は非公然で黒ヘルのふりをしていたから解放派も協会はいないものとみなし、
気がつかないふりをしていた。明大一部班は中大の影響で後から出来た社青同反主流の
鎌倉派だ。 中大といえば白門祭で民青と中核&黒ヘルが激突したな 都学連を動員した民青の勝ち 中大に中核が公然登場したことなんてあったのか?
どちらかと言えば(公然・非公然を繰り返していたが)マルの拠点のひとつだったような…。
そういえば早稲田から転入した奴が早稲田は党派状況がシンプルでわかり易かったが、中大はよくわからん赤ヘル、黒ヘルもいて理解できんと言ってた。 >>421
国家の死滅という概念を異常に嫌ってたのは確か
だからパリコミューンとかも批判的に捉えていた >>427
えっ、ホントに?
それが本当なら社会主義協会はマルクス・レーニン主義を自称する資格なんてないじゃん
できればその根拠の資料をよろしく頼む っていうか、パリコミューンは一種の地区ソビエトでプロ独じゃないか
「国家の死滅」概念を嫌ったというのとは、どう考えても結び付かないんだが… 基本的に初期マルクス軽視だから
ルイボナパルトのブリュメール18日も無関心だったよね トロツキストからの加入派のI氏などはソ連崩壊後「一国で社会主義は完成しえない」という
当初の見解に戻られていた。 革共同関西派出身で全学連中執をやったことがある人か。 >>415
オレは80年代後半から90年代はじめにメットかぶってた >>425
常に民青同盟が勝つのです
新婦人はだから絵手紙が得意です
わかりましたか?
わかりましたか? >>426
新聞会に赤Cや中野一派とかいたしわからないよ >>428
永遠に続く国家に対する希望と未来を見据えていたのは確かだった
だからこそ国家権力を奪取し、協会派による世界支配を考えていましたね
ああ、なつかしい >>438
適当な事を言うな。当時の西側の批判から社会主義「国家」を擁護する必要上、当時の新左翼の一部が主張したコミューン的な主張に対して否定的だっただけ 協会派で唯一国家を検討してたのは福田豊だったかなあ
『レーニンと帝国主義』で死滅する国家を論じてた
しかしながら田口富久治、ニコス・プーランツァス、ラルフ・、ミリバンドの後追いで
率先して語ったわけじゃない気がする
労働者国家に安住しいつか国家は死滅するだろうと手を合わせてるように見えたものだ 革命後、プロ独国家を「ソビエト社会主義共和国連邦」とレーニン・トロツキーが命名したのは単純に社会主義→共産主義へのプロ独権力としての指向性だったんだよ
それは完全に正しいと思うがな
スターリンがその後「社会主義国家」なんていうおかしな概念をつくりあげたんだろ 第一次共産党(労農派)を正統に継承したのは解放派だったのかもしれない。
ただ今はそういう継承性を言ってもしようもないな 堺枯川、荒畑寒村、大杉栄
みんな向いてる方向が違ったけど
寒村の直接行動主義は解放派(ローザ主義時代)に流れていたかも知れない 社会主義の当初の姿__トクビル
《民主主義は個人が享受できる自由の範囲を拡大させていくのに対し、
社会主義はその範囲を狭めていくものでしかない。
民主主義は一人一人の人たちすべてを、それぞれがかけがいのない存在
であるとしてこれに最高の価値を付与するが、これに反して社会主義は、
各個人を単なる「将棋の駒」、あるいは「数字」としか見なさない。
民主主義と社会主義とがただ1つ共通して持っているのは、「平等」
という「言葉」である。
だが、この同一の言葉を使用するに際して、両者間に歴然として存在する
相違には注意しなければならない。
すなわち、民主主義は自由において平等を求めようとするのに対して、
社会主義は統制と隷属において平等を達成しようとしている、
という相違である》 競争以外の方法がなぜ劣っているといえるのか。__70年以上前の言葉
それは単に、競争はほとんどの状況で、我々が知っている最も効率的な方法であるということだけではない。
より重要なのは、競争こそ、政治権力の恣意的な介入や強制なしに諸個人の活動の相互調整が可能になる唯一の方法だからである。
まったくのところ、競争擁護論の主要点は、競争こそ、
意図的な社会統制を必要としない、ということであり、また競争こそが諸個人に職業選択の機会を与えるということ、つまり、特定の職業の将来性が、それを選ぶことによって起こる不利益や危険を補ってあまりあるかどうか決断できる機会を与える、ということである。 ポパー
社会全体の青写真を用いて理想国家を実現しよとするユートピア的な試みは、
少数者の強度に中央集権的化された支配を要求するものであり、
それゆえ独裁へ導きがちな制度である・
すばらしい世界の夢に酔いしれることから生じるこの非合法な態度を私はロマンティシズムと呼ぶ。
地上に天国を作ろうとする最善の意図をもってしてさえ、それが成功するのは、
この世界を地獄__人間だけが人間仲間に用意するあの地獄__に変えることだけである。 共産党め、パクりやがったな ?!!! __ハイエク「隷属への道」_西欧文明を崩壊させる思想
つい最近まで、社会主義の教義上の発展は、ドイツとオーストリアにおいてほとんど独占的に
なされていたのが実情であって、ロシアで現在なされている議論は、ほとんどドイツ人が議論し終えたところから、
これを引き継いで行っているものでしかない。 つまりは確信犯としての強権的独裁でしかなかったのだった。
中共幹部による私腹を肥やす現状がそれを証明する。
連中は中世から各国王権に融資。それが現在も続き、連合国を後ろで繋げている。
よって中共の帝國主義は彼ら(連合国)からノーを突き付けられた。 ハイエク
私有財産制は、財産を所有する者だけでなく、それを持たぬ者にとっても、
最も重要な自由の保障である。
ポパー
自由は平等より重要であって、平等を実現しようとする企ては自由を危うくし、
自由が失われれば不自由者の間の平等さえないだろうということを、
私がはっきりと認識するまでには、なおしばらく時間がかかった。 >>443
いわゆる労農派のなかでも猪俣津南雄あたりは「日本の労働者党」が基本的にコミンテルンに戻るべきだと考えていたと思うが… 社会主義の当初の姿__トクビル
《民主主義は個人が享受できる自由の範囲を拡大させていくのに対し、
社会主義はその範囲を狭めていくものでしかない。
民主主義は一人一人の人たちすべてを、それぞれがかけがいのない存在
であるとしてこれに最高の価値を付与するが、これに反して社会主義は、
各個人を単なる「将棋の駒」、あるいは「数字」としか見なさない。
民主主義と社会主義とがただ1つ共通して持っているのは、「平等」
という「言葉」である。
だが、この同一の言葉を使用するに際して、両者間に歴然として存在する
相違には注意しなければならない。
すなわち、民主主義は自由において平等を求めようとするのに対して、
社会主義は統制と隷属において平等を達成しようとしている、
という相違である》
しかし憲法中の「主権在民」などは可笑しい
民とは主権を持たせるほどの利口さも崇高もないゆえの民だからだ。
米国が作った理想憲法が間違いの元。
黒人奴隷と西への侵略とインディアンの虐殺ておいう歴史の米国が言う主権在民。 この世には「ユートピア」はないことを知りなさい。
GHQと同様、米国内の共産主義者が作ったのだからこうなってしまったのだろう。
米国が作った理想憲法が間違いの元。 米国共産主義者がつくった憲法というネトウヨ妄言を踏みしだき、自由民主社会と
平和国家を死守せよ!(協会派の見地とは離れるが) 貴乃花部屋の後援会解散式で名前が出た田川って太田派が三池に対抗して田川方式
という形で押し出したものだ。高野実の地域ぐるみ闘争と通じるものがある。 本当の協会派新旧関係者が見てない証拠だな。情報収集目的で見ている奴は、
旧ネタの蒸し返しかなく見ても時間の無駄だと思っている。後はネトウヨが
所かまわずの書き込みをしているから変なレスがある。○い〇さんなんてまだ
かわいいものだ。 >>458
見てるかもしれないが墓場まで持っていく話が大杉なんじゃね?
俺は部外者だけど たぶん ウヨのカン違い唯物論と共産主義は同一ではない。労働価値説も同じ。マルクス主義
確立前からあった。マルクスがパクって利用しただけ。 広松渉が死んだときの黒田寛一の追悼文は
なかなかよかった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています