【サロン派】社会主義協会・社青同26【学習サークル】
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>>386
電事連といっしょに各地回ってた。
で、ヤジでも起きると「だまらっしゃい!」と叫び、
「私の家には今日の東京の平和フォーラムの集会のためにバーベキューセットを借りにきてる反対派がいるんだ!」と怒鳴り住民の声を電力資本や経産省とともに圧殺!
休み時間にはそいつらと夏の夜に凉んでた。そして役者小沢のせいで、まあ全国いろんなことになったね。いわゆるトラブル隠しの精算の過程だ。
結局アレだろ。カネなんじゃねえの?
ソースソースと頼らずbに自分で調べろ!
自ら動け! 闘え! 昔、イノケン派に被害を受けていた班の同盟員が「生命と権利の闘い」と手記に書いていた。
当時は生命と権利の闘いとはなにかという事があいまいだったのでこういうことがあった。 SYイノケン派の連中は家計簿をつけて生活実態をさらしあうことが階級闘争と本気で思ってたんだろうか?
イノケン派の「春闘30万円賃上げ要求」には、さすがに社会主義協会の学者連中からも苦言を呈されたんじゃなかったか?
むしろ、いわゆる「鎌倉派」が本来の向坂協会派であって、イノケン派はなんか斜め下の別の宗派のような気がする。 超高額賃金要求は次々エスカレートしてたんなる誤りから非科学的段階まで差しかかっていた。
さすがに向坂逸郎以下学者理論家も放置できなくなり、批判されると突然総括もなしに
打ち切られた。 向坂派は太田派や反戦派、解放派は様々な傾向の連合体だと言っていたが、向坂派自体
様々な傾向の連合体だった。 それくらいの賃金でないと家族を養い子弟を大学まで進学させられないだろ。何処が非科学的なんだろ。向坂も買収されていたのか?共産党では、宮本が労働組合潰し路線を進み始めた頃だろ?
今では労働組合運動は跡形も無い。
ここへ安倍自民党が憲法改悪を持って来た。宮本野坂不破はCIAで公安スパイ。 向坂はマルクスの『賃金・価格・利潤』を引用し、賃金は利潤を越えることはないと
諭した。教条派は反論できず突然方針転換がされた。 五十年前の今日、10・21国際反戦デー、いわゆる新宿騒乱事件というのがあった。
社青同は渋谷方面でヘルメット姿でジグザグデモ、渦巻きデモ、座り込みをやっていたのが
記録映画「怒りをうたえ」に映っていた。アジ演説で「全学連の学生わぁ〜」なんてやっていた。
その後国電で新宿に向かったと映画ではナレーションしていた。その後本当に新宿に向かった
のかはわからない。 国際反戦デーか たたかう社青同解放派はいまでも集会やってるのかな 渋谷の社青同は協会派。解放派はなぜか他党派と別に国会デモ。若干名が校内突入。 社青同国際主義派(第四インター)は新宿へ。当時の写真でカマトンカチが写ってた。 大昔、向坂逸郎宅に書生で入った人が木刀を持ち込んだので爺さんがそんなものは
いらないだろうと日共の武装闘争が生々しかった時代ゆえ心配したらたんに鍛錬の為に
素振りをするだけだったらしい。 ゴメン、肝心要の青が抜けてた
でもヘル4色で分かれる程なのに1971年までは表向き1つの党派として大会では同席していたんだよな 71年ごろにはそれぞれ別々に集会デモをやっていた。第4インターは中核派と共闘していた。
協会派は太田派学生が人力に行ってメットまで反独占から反帝に変わっていた。
解放派や主革派も別の道を歩み始めた。向坂派はその後だんだんメットをかぶらなくなっていった
まあ正解だろうね。太田派本体の方も独自集会・デモをやっていた。 サロン派は協会で、社青同は学習サークルだ。スレタイどおりではないか。 カマトンカチはデザイン的にもよくできてる 協会のシンボルマークにしろ 協会のシンボルマークは双葉。カマトンカチはソ連の国旗。中国共産党の党旗にも
デザインされている。第4インターのは逆カマトンカチ。 社青同協会派は反独占。メットや旗にも書かれていた他、党派の人間の落書き等に党派の
人間が書いたという証明の為の署名がわりにした。各党派はメットのフロントデザインを
使っていた。 創価板に新学同スレが無いんだな
新学同、民社学同スレが無い中
社青同スレは続いている 新学同は一瞬だけ表に出て、影の存在だったし、民社学同は全然目立たなかった。 ブントは赤軍派から叛旗派やマル戦派まで一堂に会して同窓会をやってるのに社青同や革共同はそういうのは一切ないな
やっぱり出自がブントってのは特別の同郷意識があるのかね? >>413
俺は出自がブントだが
一度もそういう席には行ってないな オレは70年代末に大学に入ったが面白かったのはその頃までだな
80年代には集会参加者は減りメット姿も消えていった 俺は90年代まで被ってた
現地闘争ででは被る
大衆集会では被らない
そういう使い分けをしてた イノケン派は地区で民青と仲良しでメットはかぶらない
鎌倉派は民青大嫌い&中核にシンパシーを持っててデモではいつも白ヘルでジグザグデモってイメージ
明大の解放派が中大向坂協会のSYには手を出さなかったってのはそこらへんを竹内ブントからいろいろと聞いていたんだろうかね 協会って共産主義社会を目指してないよね。
平和革命が成功して社会主義「国家」成立までこぎつければ満足なんでしょ? そこが理論と実践が分かれるところだね
協会派ひと括りにしても
後進国革命のソ連、中国モデルの追認
先進資本主義国革命の移行の仕方
日本の明治維新の革命の位置づけ
資本論における必然の王国、自由の王国の問題
さまざまな解釈、理論化したものを
いかに現実で実践化するのか内部でも分かれるところだ
実践なき理論は果たして意味があるのか >>421
『ゴータ綱領批判』と『国家と革命』ぐらい読んでみたらどうかな、と思う。 中大向坂派はヘルメットに鉄パイプで突然登場して公然化したから誰も手が出せなかった
明大二部向坂派は非公然で黒ヘルのふりをしていたから解放派も協会はいないものとみなし、
気がつかないふりをしていた。明大一部班は中大の影響で後から出来た社青同反主流の
鎌倉派だ。 中大といえば白門祭で民青と中核&黒ヘルが激突したな 都学連を動員した民青の勝ち 中大に中核が公然登場したことなんてあったのか?
どちらかと言えば(公然・非公然を繰り返していたが)マルの拠点のひとつだったような…。
そういえば早稲田から転入した奴が早稲田は党派状況がシンプルでわかり易かったが、中大はよくわからん赤ヘル、黒ヘルもいて理解できんと言ってた。 >>421
国家の死滅という概念を異常に嫌ってたのは確か
だからパリコミューンとかも批判的に捉えていた >>427
えっ、ホントに?
それが本当なら社会主義協会はマルクス・レーニン主義を自称する資格なんてないじゃん
できればその根拠の資料をよろしく頼む っていうか、パリコミューンは一種の地区ソビエトでプロ独じゃないか
「国家の死滅」概念を嫌ったというのとは、どう考えても結び付かないんだが… 基本的に初期マルクス軽視だから
ルイボナパルトのブリュメール18日も無関心だったよね トロツキストからの加入派のI氏などはソ連崩壊後「一国で社会主義は完成しえない」という
当初の見解に戻られていた。 革共同関西派出身で全学連中執をやったことがある人か。 >>415
オレは80年代後半から90年代はじめにメットかぶってた >>425
常に民青同盟が勝つのです
新婦人はだから絵手紙が得意です
わかりましたか?
わかりましたか? >>426
新聞会に赤Cや中野一派とかいたしわからないよ >>428
永遠に続く国家に対する希望と未来を見据えていたのは確かだった
だからこそ国家権力を奪取し、協会派による世界支配を考えていましたね
ああ、なつかしい >>438
適当な事を言うな。当時の西側の批判から社会主義「国家」を擁護する必要上、当時の新左翼の一部が主張したコミューン的な主張に対して否定的だっただけ 協会派で唯一国家を検討してたのは福田豊だったかなあ
『レーニンと帝国主義』で死滅する国家を論じてた
しかしながら田口富久治、ニコス・プーランツァス、ラルフ・、ミリバンドの後追いで
率先して語ったわけじゃない気がする
労働者国家に安住しいつか国家は死滅するだろうと手を合わせてるように見えたものだ 革命後、プロ独国家を「ソビエト社会主義共和国連邦」とレーニン・トロツキーが命名したのは単純に社会主義→共産主義へのプロ独権力としての指向性だったんだよ
それは完全に正しいと思うがな
スターリンがその後「社会主義国家」なんていうおかしな概念をつくりあげたんだろ 第一次共産党(労農派)を正統に継承したのは解放派だったのかもしれない。
ただ今はそういう継承性を言ってもしようもないな 堺枯川、荒畑寒村、大杉栄
みんな向いてる方向が違ったけど
寒村の直接行動主義は解放派(ローザ主義時代)に流れていたかも知れない 社会主義の当初の姿__トクビル
《民主主義は個人が享受できる自由の範囲を拡大させていくのに対し、
社会主義はその範囲を狭めていくものでしかない。
民主主義は一人一人の人たちすべてを、それぞれがかけがいのない存在
であるとしてこれに最高の価値を付与するが、これに反して社会主義は、
各個人を単なる「将棋の駒」、あるいは「数字」としか見なさない。
民主主義と社会主義とがただ1つ共通して持っているのは、「平等」
という「言葉」である。
だが、この同一の言葉を使用するに際して、両者間に歴然として存在する
相違には注意しなければならない。
すなわち、民主主義は自由において平等を求めようとするのに対して、
社会主義は統制と隷属において平等を達成しようとしている、
という相違である》 競争以外の方法がなぜ劣っているといえるのか。__70年以上前の言葉
それは単に、競争はほとんどの状況で、我々が知っている最も効率的な方法であるということだけではない。
より重要なのは、競争こそ、政治権力の恣意的な介入や強制なしに諸個人の活動の相互調整が可能になる唯一の方法だからである。
まったくのところ、競争擁護論の主要点は、競争こそ、
意図的な社会統制を必要としない、ということであり、また競争こそが諸個人に職業選択の機会を与えるということ、つまり、特定の職業の将来性が、それを選ぶことによって起こる不利益や危険を補ってあまりあるかどうか決断できる機会を与える、ということである。 ポパー
社会全体の青写真を用いて理想国家を実現しよとするユートピア的な試みは、
少数者の強度に中央集権的化された支配を要求するものであり、
それゆえ独裁へ導きがちな制度である・
すばらしい世界の夢に酔いしれることから生じるこの非合法な態度を私はロマンティシズムと呼ぶ。
地上に天国を作ろうとする最善の意図をもってしてさえ、それが成功するのは、
この世界を地獄__人間だけが人間仲間に用意するあの地獄__に変えることだけである。 共産党め、パクりやがったな ?!!! __ハイエク「隷属への道」_西欧文明を崩壊させる思想
つい最近まで、社会主義の教義上の発展は、ドイツとオーストリアにおいてほとんど独占的に
なされていたのが実情であって、ロシアで現在なされている議論は、ほとんどドイツ人が議論し終えたところから、
これを引き継いで行っているものでしかない。 つまりは確信犯としての強権的独裁でしかなかったのだった。
中共幹部による私腹を肥やす現状がそれを証明する。
連中は中世から各国王権に融資。それが現在も続き、連合国を後ろで繋げている。
よって中共の帝國主義は彼ら(連合国)からノーを突き付けられた。 ハイエク
私有財産制は、財産を所有する者だけでなく、それを持たぬ者にとっても、
最も重要な自由の保障である。
ポパー
自由は平等より重要であって、平等を実現しようとする企ては自由を危うくし、
自由が失われれば不自由者の間の平等さえないだろうということを、
私がはっきりと認識するまでには、なおしばらく時間がかかった。 >>443
いわゆる労農派のなかでも猪俣津南雄あたりは「日本の労働者党」が基本的にコミンテルンに戻るべきだと考えていたと思うが… 社会主義の当初の姿__トクビル
《民主主義は個人が享受できる自由の範囲を拡大させていくのに対し、
社会主義はその範囲を狭めていくものでしかない。
民主主義は一人一人の人たちすべてを、それぞれがかけがいのない存在
であるとしてこれに最高の価値を付与するが、これに反して社会主義は、
各個人を単なる「将棋の駒」、あるいは「数字」としか見なさない。
民主主義と社会主義とがただ1つ共通して持っているのは、「平等」
という「言葉」である。
だが、この同一の言葉を使用するに際して、両者間に歴然として存在する
相違には注意しなければならない。
すなわち、民主主義は自由において平等を求めようとするのに対して、
社会主義は統制と隷属において平等を達成しようとしている、
という相違である》
しかし憲法中の「主権在民」などは可笑しい
民とは主権を持たせるほどの利口さも崇高もないゆえの民だからだ。
米国が作った理想憲法が間違いの元。
黒人奴隷と西への侵略とインディアンの虐殺ておいう歴史の米国が言う主権在民。 この世には「ユートピア」はないことを知りなさい。
GHQと同様、米国内の共産主義者が作ったのだからこうなってしまったのだろう。
米国が作った理想憲法が間違いの元。 米国共産主義者がつくった憲法というネトウヨ妄言を踏みしだき、自由民主社会と
平和国家を死守せよ!(協会派の見地とは離れるが) 貴乃花部屋の後援会解散式で名前が出た田川って太田派が三池に対抗して田川方式
という形で押し出したものだ。高野実の地域ぐるみ闘争と通じるものがある。 本当の協会派新旧関係者が見てない証拠だな。情報収集目的で見ている奴は、
旧ネタの蒸し返しかなく見ても時間の無駄だと思っている。後はネトウヨが
所かまわずの書き込みをしているから変なレスがある。○い〇さんなんてまだ
かわいいものだ。 >>458
見てるかもしれないが墓場まで持っていく話が大杉なんじゃね?
俺は部外者だけど たぶん ウヨのカン違い唯物論と共産主義は同一ではない。労働価値説も同じ。マルクス主義
確立前からあった。マルクスがパクって利用しただけ。 広松渉が死んだときの黒田寛一の追悼文は
なかなかよかった ネトウヨは関係ない事書きこむな!安田氏拉致事件の話なんて協会派と関係ない。 資本論署名入り初版が樽商、東北、法政、関大に所蔵されてることを確認だと
確認したのが東北大服部文男の弟子で正統派(代々木派)の大村泉だけど
大村は検証に関しては熱心で信用できる
東独のME研究所にも留学してたはずだ
新日本出版社の新訳にも携わっていたな
岩波向坂、大月岡崎、青木長谷部訳の中では長谷部訳が個人的には好きだった
誤訳が目立つのだが
「商品は闘争する」という革命的誤訳は気に入っている
フランス人に向けたフランス語版の簡潔さがオリジナルにもあれば
解釈学も違ったものになっていたかも知れない イノケン派が学習会サークルってのは何をやってたんだろうな。
「賃労働と資本」を読んで賃上げ30万円要求 そもそも向坂派も解放派もインターも社青同に対しては加入派だったんだけどな
元からの社青同ってのは太田協会派と主革派だけじゃね? 協会は加入派というより、社会党青年部の社青同への発展的解消に消極的だった
というだけ。いくら消極派だったとはいえ、社青同に参加せざる得なかったということ。 解放派も加入派いうより、元々の社会党勢力の一員として社青同に加わったということ。
加入派ということになれば福岡の桜木派の方がそれに近い。 福岡の桜木派というのも謎の分派だな
ブント系の加入派なのに71年の社青同大会では解放、インター、主革の第二見解にも反対したんだよな 本人は加入戦術のつもりでも加入した組織に籠絡されるってのはあるみたいだな
第四インターなんてそのまま向坂協会に行った奴もいるらしいし… >>474
I氏のことか。山崎耕ちゃんなんて三多摩社青同にまで自陣営支持を勧誘している。
>>473
桜木派は加入先の協会派になじむために苦労したんだろう。だから中間的な対応になっている。 新宿区長選で立憲民主党、社民党、新社会党が勢揃い。他に共産党、自由党、緑の党、ところが連合が自公候補支持で、おかげで国民民主党は野党共闘に加わらず。 連合は国民民主党を立憲民主党と希望の党に振り分けろ。 >>476
共闘先で、佐藤協会、坂牛協会、旧福田派が鉢合わせで苦笑い。 >>424
1970年の東洋大学での対解放派との内ゲバでは
中大から最大40名のゲバ隊が出た
早稲田の革マル、法政の中核と並ぶゲバ隊の数であった
なお、一般デモでは中大から最大120名程度で、都全体で1000名
程度の規模であった
他に拠点校としては
神戸、淑徳、東洋、東大、早稲田、法政、武蔵野美、拓殖大等
東洋大学では解放派、協会派それぞれ100名前後で、
熾烈な自治会主導権争いが長く続いた >>439
では国家の廃絶も死滅もないのはなんでだ?
お前ら自分たちもレーニンやスターリンにごますって生きてきたんだろうが!
そうでなけりゃ、国家を廃絶するために闘え!
協会系の地方議員は、歳取ると勲章取りに必死で、国家論についてなーんにも考えてないように見えるがどう?
なんで同じ年齢で勲章の話で森ががるの。おじいさまたちさ。
天皇から勲章をもらったことをなぜ自慢しまくるの?
結局は口だけレーニン主義なのよ。
で、実態はブルジョアジーと天皇制に敗北してやんの!
文句があるなら、旭日章もらった連中を全部除名しろ! >>439
コミューン的な主張ってなんだ?
お前らは何を目指してるんだ?
コミューン、レーテ、ソビエト全否定か!
終わってるよ。
口だけ、脳内だけ左派を気取るな!
ブルジョア枠内のリベラルでしかないくせに。
ときには右翼にまでなるくせに! >>440
その手のやり方って「国家と革命」的なご都合主義の丸写しって感じ、 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています