>>321
今日の地点で振り返れば、清水の発想と黒田の理論はやはり
親和性が高かったのだと思うよ。第三次分裂に際して清水が
最後まで黒田側に付いたことは単なるエピソードでは無いし
岡田式党派闘争と呼ばれた、全学連15回大会以降の暴力的
他党派解体路線が無ければ、黒田の向自的党派闘争論なる物
も生まれていなかったんじゃないかな。2.2協定以降のブント
に対する襲撃や10.8前夜の解放派の高橋幸吉全学連書記長に
対するテロ・リンチに示されるように、他党派襲撃を主導した
のは間違いなく中核、就中清水だし、白井 朗が正しくも指摘
しているように、革マルで白色テロル路線を推し進めたのは
清水の薫陶を受けて育った、清水の弟子筋の人間たちなんだから。
無論、時代の気分の中で清水的な発想が党派を越えて広く
受け入れられたのも事実ではあるけれども。