革労協スレッド35(別名・山田らの集団)
2なら革労協は平成中に消滅
革マル中核が革労協に大勝利 (別名・山田らの集団)ってネーミング
なかなかよいですね!(^^)v
なぜかワクワクしてきちゃいます!((o(^-^)o))
ただ、オウムの後継団体の「山田らの集団」にも少しがんばってもらわないと、
せっかくその名前にした意味が無くなってしまうというか…
まあ、そんなの別に関係ありませんけどね!(笑) 山田茂樹
山田 茂樹(やまだ しげき、1949年[1] - )は、日本の新左翼活動家。
組織名は木元。革労協木元派(赤砦社派)の指導者。
1999年5月、狭間派こと現代社派から追われる形で木元派を結成。
直後の6月に現代社派により襲撃される。これにより、山田は瀕死の重傷を負い、一命こそ取り留めたものの、単独での歩行に支障をきたすほどの後遺症を負った。
また、この事件がきっかけとなって木元派と現代社派との抗争が勃発する。
2013年11月28日、偽名でホテルに宿泊したとして部下の女性とともに逮捕された
余談だが
シルクドソレイユのメンバーで、ラスベガスに出演していた
コンテンポラリーダンサー山田茂樹(やまだ しげき)とは同姓同名の別人。 どうせだから
革労協スレッド(別名・狭間らの集団)も立てるか。 >>8
ではそのスレが見事埋まった暁には
もう一つの革労協PART3(今でも健在!狭間らの集団)とでもいたしませう!! 三つに分裂した革労協スレは
どこも機能していないみたいだな!
もうすでに社会的使命は果たし終わったということかな?!
その青き炎も
もはや風前の灯火 革労協(別名・山田らの集団)とはどのような団体なのか。
簡単に説明しよう。
革命的労働者協会(山田らの集団)とは早い話が過激派だ。
かつては明治大学を「不抜の拠点」として自治会費名目で多くの
資金を獲得、テロ資金として流用してきた。 その明治大学である事件がおきる。これがいわゆる「明大ゴスペル事件」である。
明大に結成された「ゴスペルソング愛好会」は革労協にとっては明治大学利権を維持するうえで邪魔な存在だった。
そこで革労協は「ゴスペルソング愛好会」は反共サークルであると
事実無根の言いがかりをつけ、彼らを襲撃した。
ところが革労協にとって結果は散々なものに。
返り討ちにあっただけでなく自分たちのほうが警察に突き出されて
しまったのでR。 この事態を収拾するために革労協では対立が発生。のちの初代赤砦社社長に
就任する木元こと山田茂樹(やまだしゃちょー)は革労協の象徴的な存在である現代社ののっとりを策動する。
「革労協の象徴的な存在」というとなにか巨大なものを連想してしまうが、
その実態たるや廃屋同然のボロクソなビルである。東京都杉並区にあるのだが、
近所の住民からは幽霊屋敷として気味悪がられていた。
不意打ちをかけて乗っ取るつもりが計画が漏れて大失敗。
なんと自分たちが退去させられる羽目に。
こうして組織は分裂した。
しかし組織が分裂して終わりではない。これが過激派の恐ろしいところだ。
以降、血で血を洗う熾烈な内ゲバ殺人合戦が展開されていくことになる。 先制攻撃をかけたのは現代社側。
1999年6月4日、現代社側の先制攻撃がおこなわれる。
やまだしゃちょーは後遺症が残るほどの重傷を負う。
それでも赤砦代表取締役社長・やまだしゃちょーはこんなことではくじけなかった。
これこそ内ゲバ殺人を正当化させる口実と考え「全面戦争」突入を宣言した。
翌7月、山田らの集団は元明大生協理事の現代社派の荻野佳比古をターゲットとし
これを殺害した。彼は明大利権を確保するためには邪魔な存在だったのだ。
荻野は松戸市で出勤中のバイクを倒され、側頭部のみにハンマーの
連打を浴びせられ、その場で死亡した。これこそ殺害のみを目的と
した襲撃だった。 現代社も過激派らしくこれに報復を宣言し、実際に報復攻撃をおこなった。
同7月21日、上記の報復として神奈川大出身であり、明治大学生協職員の赤砦派メンバー相川一郎を襲撃し殺害した。
なぜか赤砦社派の反応はこの人物に対しては冷淡だった。
よほど人望がなかったのだろう。かわいそうな男であった。
翌日現代社派は波状攻撃を図り、7月22日に明大生田キャンパスに再度、全国動員公然部隊(計37名)を差し向ける。
情宣を行うという名目ではあったがその目的は学内の赤砦派拠点自治会ボックスなどを狙って入構してきたのは明白だった。
山田らの集団はこれに直対応せず、学生部の出した「退去命令」にしたがい構外に出る。
ところが現代派はそれに従わず、突入してきた機動隊によって37名全員が、
まんまと凶器準備集合罪と建造物侵入で逮捕・起訴されてしまい壊滅的打撃を受ける。
彼らは警察が逮捕しようとしていることに気がつかなかったのだろうか。
だとすればお花畑としかいいようがない。
彼らはこのお花畑的思考を「革命的楽観主義」と呼んでいる。
頭のなかで咲いている花の色も真っ赤であると思われる。 これをいいことに山田らの集団は現代社の勢力圏であった福岡、九州大などへも進出していく。
また11月には、佐賀大出身で全学連書記長を務めた現代社の森田・福岡県委員会議長を襲撃・殺害した。
これを契機に九州大や福岡の寄せ場に登場、革労協の拠点は三里塚現闘以外、山田らの集団一色に塗り替えられてしまう。
これで内ゲバは山田らの集団の完全勝利であるかに思えた。しかしそうはならない。
現代社も過激派としての意地を見せる。
血で血を洗う報復合戦はエスカレートしていく一方であった。 翌2000年にはいると、2月8日現代社のゲバ部隊が、福岡で常駐していた活動家・片岡利和を殺害した。
そしてその翌朝、1000キロも離れた神奈川県真鶴町でこの襲撃を実行した2名が山田らの集団の追っ手によって、殺害・重傷を負った。
出刃包丁で武装した赤砦社派による襲撃が衆人環視のなかはじまった。
これによりこの二人はメッタ刺しにされ、キャップの柿沼忠はその場で死亡、もうひとりの女性活動家も重体となった。
過激派の内ゲバではこれまで出刃包丁が凶器として用いられたことは一度もなかった。
山田らの集団がこのような武器のレベルアップに踏み切ったことは、直ちに現代社も採用することになった。
2000年8月30日 朝の通勤ラッシュで混み合う鶯谷駅東口を降り立った山田らの集団の女性メンバーである
明大生協従業員組合書記長・片山美恵子が、マスク姿の現代社部隊に襲われ、
衆人環視の中で全身をメッタ刺しにされ殺害された。
このとき襲撃者らが採用したのは小型出刃包丁やクリ小刀だった。
致命傷は出刃包丁を肋骨に逆らわないよう刃を横にして心臓に達するように突き立てたものであった。
相手を殺すためには手段を選ばないこの犯行。血の海となった犯行現場のむごたらしさに、駆けつけた警察官も言葉を失ったという。 しかしこれでも終わらない。殺されたら殺し返せとばかりに殺人合戦は続けられる。
同年12月10日には現代社派古参現役労組構成員が殺害される。これにたいして現代社が
殺されたら殺し返せとばかりに報復攻撃を準備していることは明白だった。
そしてこの推測は正しかった。相模原で山田らの集団のメンバー宅への襲撃が準備されていたのだ。
2001年2月16日朝の出勤時間、徹夜で監視していた公安私服部隊の目の前に、
現代社派の襲撃部隊を載せた車両が現れる。そして乗っていた4名全員が一網打尽に遭ってしまう。 この逮捕により赤砦社派優勢が決定的となった。以降、しばらくは内ゲバ殺人はおきなくなった。
内ゲバ戦争は終結したのだろうか?
ところがそうではなかった。
2004年6月2日、東京三ノ輪のマンションにある赤砦社派アジトを出てきた3名のメンバーが
現代社派テロ部隊の待ち伏せ攻撃を受ける。
早朝の時間帯であり、当時は通学していた小学生もいた。こともあろうにその前で襲撃はおこなわれた。
出刃包丁やハンマーなどが凶器としてもちいられ、逃げ遅れた千葉大生の五十嵐全学連委員長、
駒澤大生の小山元全学連書記長の2名が殺害された。
山田らの集団内の学生運動中枢メンバーの殺害であり同組織は混乱に陥った。 両派の内ゲバは99年5月両派の分裂以降、これまでに14件発生し、
山田らの集団側が5人、現代社側が5人、合計10人が死亡した。
これらに特徴的なのは小型の出刃包丁が主要な凶器として使用され
ていることである。出刃は小型であるうえに必殺の攻撃力も望める
らしく、警察が職務質問をかけたら、両派とも「防衛用」に携帯し
ていたというカドでの「未然の逮捕例」が複数ある。
もし警察官に声をかけられたら不快に思わず協力してほしい。
職務質問は警察が犯罪を防ぐために必要なものだからだ。
どこへいくのか?
身分証明書をみせろ。
所持品を見せろ。
たしかにうっとうしいものだ。しかしみんなでこれに応じることで
過激派の居場所を奪い犯罪者集団をおいつめることにつながる。 山田らの集団は新しい活動家を獲得するため、大学でもみずからの正体をかくし、
ビラまきなどの活動をおこなっている。
将来のある若者たちにこのようなテロ集団にはいって人殺しをしたり、
わが身を滅ぼすようなことはしてほしくはない。
大学の内外を問わず、怪しい団体を見つけたら警察に通報しましょう。 山田らの集団は内ゲバだけでなくゲリラ活動もおこなっている。
分裂以降も2000年7月に引き起こした米軍横田基地への飛翔弾発射
事件をはじめゲリラ事件を組織の士気高揚のためだけに繰り返し
ている。
これは「俺たちは革命的反戦闘争をやっているんだ。俺たちこそ唯
一の武闘派なのだ」ということを組織内部にアピールすることを目
的とした自己満足のための行為にすぎない。
幸いこれによって誰かが犠牲になったわけではないが、実害がなか
ったからといって許されるはずはない。
ひとつ間違えば無関係の人間が巻き込まれ犠牲になる可能性もある。 これまでにも活動拠点・赤砦社や活動家の自宅が警察により家宅捜
索され、多くの証拠品は押収され、逮捕者も出ている。
それなのに性懲りもなくゲリラを繰り返している。なにかやれば取り締まりをうけることくらい
アホでも想像できるはずななのだが、懲りない連中である。
彼らは「警察は自分たちを恐れている、自分たちには影響力がある、だから弾圧している」と考えている。
そうではない。違法行為・犯罪行為に手を染めれば取り締まりの対象になるのは当たり前だ。
勘違いも甚だしい。これは「左翼性認知症」と呼ぶべき症状だ。 彼らは自分こそ正義と考え、人を殺すことはなんとも思っていない。
組織内の人間でも平気で殺す。
2006年3月28日、赤砦社の岸本修が死亡した。同派は死因は心臓麻痺と発表したが明らかにおかしい。
山田らの集団は機関紙上において、
死因について「入浴中に突然、心臓麻痺におちいり、死亡が確認された」
「肉体的精神的疲労が蓄積し、突然、肉体的変調をきたした」と公表している。
しかし全身には鈍器や素手などで殴られたような跡や皮下出血があったという。
また肋骨が肺に突き刺さっていたとの情報もあり、相当長時間にわたって継続的に暴行を加えられたのは明らかだった。
岸本は抗争中の現代社との手打ち工作でだまされ、6・2三ノ輪事件
(>>23 を参照)につながったのではないかと一部では言われている。
そのためこれを理由として粛清されたのではないかと指摘されている。
だまされて内ゲバで犠牲者が出たことへの怒り、無能な部下に対する怒りはわからなくはない。
しかし殺害することを正当化する理由にはならない。
救急車を呼んだのは山田らの集団であるからリンチすることが目的で殺害することまでは目的にしていなかったのかもしれない。
しかしやまだしゃちょーは手加減というものができない大馬鹿野郎であることは間違いない。 極左暴力集団やカルト宗教にはくれぐれも気をつけてほしい。
彼らは自分が過激派であることと隠し、あたかも戦争や差別に反対しているかのように装ってあなたに近づこうとする。
「戦争に反対するための署名をお願いします」といわれても絶対に応じてはならない。
「お前は戦争で人が殺されているのに自分が良ければそれでいいのか」
「自衛隊も海外に派兵され戦争に加担して人殺しをするかもしれないのだぞ」
「それでもお前はだんまりを決め込むのか」
「この卑怯者!」
いろいろ言われるかもしれないが、ここは無視してほしい。
あと彼らに論争を挑んではならない。思う壺となる。
とくに親元を離れ、独り暮らしをしている人は狙われやすい。過激派やその疑いがある組織には
いっさいの個人情報を渡さないようにしてほしい。