右翼が革労協という文字列を覚えたのが2001年の「つくる会」事務所への攻撃であった。
回し蹴り的に「この革労協め!」「革労協の仲間か!」と、
権力の庇護のもと、教科書問題まっさかりの現場で、まさに暴力的に攻撃してくる連中の中のセリフとして現れた。
赤砦社革命軍の斗いにケチをつけるなんてヤボなことは言わないが、
右翼が出ばるところや、都教委とまsない都庁で対峙する場には決して出てこなかったのは、
今思うとやっぱりどこかおかしくないか?

直接的に右翼と対峙することは避け、革命軍の戦闘を至上のものとし、拍手喝采それで終わり。
しばき隊やSEALsが出張ったのって、いろんな理由があるのだが、左翼青年労働者・学生層の排除攻撃からだった。
もともととはイラク反戦開戦前後からだが、聞き分けがよく聞かん坊を嫌う若い方々と組むことを選択した。
その直接的な先行世代がさらに乗り、その上に一部党派などは若い連中もまるごとになって、具体的にはノンセクトや原則的党派活動家を現場から締め出したのである。

でもそこにも革労協はどちらも現れなかった。しばらくして教育基本法反対集会に来たときは驚いた。
まあ、なんだかんだと安全圏にいた人たちでしょ。それで革命軍が!
とか言われましてもね。