>>881
攝津照子が最初に考えた教育プランとは、攝津正の芸能人化路線だった。
それで照子のがんばりによって、正は80年代にゴールデンタイムを飾っていた
お笑いバラエティ番組の「加トちゃんケンちゃん」のエンディングで流れていた
こども三味線の一員として、初のテレビデビューをしたのだった。
ところが正の通っていた七林中学校では、この学校に、加トちゃんケンちゃんに出てる奴
がいるぞということで、一躍攝津正の存在は学校中の注目を浴びた。
問題は中学校のヤンキーグループが、攝津正のことを見逃すはずがなかったということだ。
早速ヤンキー達は攝津正を呼び出し、いじくり回し、かわいがりとして蹴りや殴りを入れて
やったら、ただちに攝津正はヤンキー達のいい奴隷状態となった。
授業が終わると、何人ものカバンを持たされ首に巻かれ、ヤンキー達の後を付き従うように
して校門から出てくる攝津正の姿が目撃された。