https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1062007930


gra********さん 編集あり2011/5/1220:19:38
日本書紀や三国史記その他の文献は済州島を耽羅(タムラ)といっていて扱いは一貫して独立国です。
ただし風俗の描写などを見るとどうも半島の百済人や新羅人よりは倭人に近いと言う印象ですので
縄文系の人だった可能性はあります。
言語的に日本語と百済語の中間的な言語という説もあるようです。
(この辺は真偽不明ですが多分島に残る石像などの遺跡の研究の延長で出た説だと思います)
補足について、済州島の島民は基本的に朝鮮人ではないので近代に至るまで日本語に近い言語を話していました。
つまり済州島が韓国語化したのは戦後の弾圧の後と考えられます。
何故そう思うかというと千葉とかにも済州島出身の人たちが居ましたが
彼らは朝鮮語はまったく出来なかったそうです。(戦前の話ですが)
耽羅については中世は高麗に滅ぼされたため記録にはあまりでてこ無いですが
例えば対馬や九州北部の地域に残る記録には倭寇の記録の中にそんなようなことも在るようです。

済州島の昔の名称は(耽羅、tamra)、対馬島も現在は馬の字を発音しませんが(tamra)、
淡路島も(tamoro)で利残国の支配が及んでいたと思われます。
ついでに天智のお父さんの舒明の皇子名は田村です、日本書紀の編者も粋な名前を付けたものです、
何か百済との関係を示唆しているように思います。
韓国の金聖昊は著書「沸流百済と日本の国家起源」の中で、高句麗に討伐された利残国の国王が
九州に亡命してきて倭の五王に繋がっているといっています。
これが正しければ、質問者が言われている「日本民族ですか?」もあながち間違いではないように思います。
もう一つ、白村江の敗戦後に耽羅(済州島)から使者や王子や佐平の役職にある者たちが慌ただしく来倭してきます、
これも百済が滅亡したために倭に対しての保護を求めての行動だと思われます、
これを見ると、やはり倭(日本)に近い存在であるように思います。