すごく好意的な立場から見てやると、せっつはimplicitな表現を好むんだよな。
ただ、その表現が誰にも理解されなければ、それはimplicitどころか、「自己満足」「妄想」でしかない。
そういうところがわかっていないんだろな。
implicitな表現をして、一人笑い、「空笑」しているに過ぎない、と言う状態だ。
まあ「自慰行為」だな。

で、説得することが出来ないと、すぐに「手垢のついた表現」と「激怒」に頼る。

explicitに、ロジックを踏んだ文章を書きなさいよ。

と書いてきて気づいたのだが、せっつは「小難しい表現で、自分に理解できないこと」を「高尚な考察」としてありがたがっているのではないか? たとえその「小難しい表現」が論理で破綻していても、その表層的な、いわば「ハッタリ」をありがたがっている、という症状だ。