駄文デブ
@chiba_ pig
神学的でわかりにくいが、中共の暴政と少数民族の抵抗という背景を忖度すると社会生物学的なリアリズム?以上の地雷かもしれない。
個別的/集団的は自衛権/安全保障というまさに90年代PKO以来の小沢イズムとも絡み、そちらは個別的に限定しようと努める左派やリベラルとはここでも逆接している。
トイレ休憩
自立派吉本主義者型左派文藝政治オタククラスタである私は、アイルランド独立派に絡まれる『若き日の芸術家の肖像』のジョイスその人と観てよろしかろう主人公や、
江藤淳の中野重治理解に友情的に訂正を加える吉本を思い出す。後者においては、古典的な左翼なりソーシャリズムで問題となるのは
類的本質としてのヒューマニティーの普遍性だけで、この人は日本人であるとか朝鮮人であるとか、ないということはもんだいとならない、
ということが江藤にはわかりづらかったのだろう、と指摘されている。
集合的と集団的で一文字違うだけじゃないかというハナシだが、
中国情勢を背景に観るとそれはツイフェミにとっての女性性とは異なると考えたい表現にして自由の戦士的な食い下がりと読んだが、
どう返答しようとそれなりの問題が出てこよう
まだ会社
普遍性に立脚して個別的な属性を捨象するというのは時に残酷な峻厳さである。単にヲタ的や個人性に立つだけならそうではないでしょうが
ネオリブはヘーゲル一人に留まらず、彼のようなホーリズムや国家主義傾向が全盛だった19世紀に一人18世紀流の(ヴォルテールのごとき)夜警国家観を堅持したショーペンハウアーにも似ている。
ショーペンハウアーもたんなるミソジニーを超越化したウルトラ反動思想家ではなかった
ウンコ食べてる

19/02/27 18:28