【BUND】共産主義者同盟総合スレ【ブント】 2
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人類は「破壊」でしか平等化できないのか
「戦争・革命・崩壊・疫病」の凄まじい衝撃
ウォルター・シャイデル : スタンフォード大学教授
アメリカで最も裕福な20人は現在、アメリカの下位半分の世帯すべてをまとめたのと同等の資産を保有しているという。
欧州や旧ソ連、中国、インドなどでも所得と富の配分はますます不均衡になっている。
古代史を専門とし『暴力と不平等の人類史』を上梓したスタンフォード大学教授のウォルター・シャイデルは、
今後も格差は拡大していくと指摘している。
また、歴史的に不平等を是正してきたのは、「戦争・革命・崩壊・疫病」という
4つの衝撃だけであることを明らかにし、今後の世界に警鐘を鳴らしている。
20世紀の現象である戦争・革命なしに、平和的に平等化を実現することはできないのか?
今回、『暴力と不平等の人類史』から一部抜粋してお届けする。
https://static.mercdn.net/item/detail/orig/photos/m27865184489_1.jpg
[戦争]第二次大戦後の日本 250万人戦死 トップ1%の富が9割下落
[革命]毛沢東「大躍進」 4000万人以上死亡 ジニ係数の劇的改善
[崩壊]西ローマ帝国の崩壊 あらゆる支配層の消滅 搾取の終焉・生活向上
[疫病]欧州のペスト 2000万人死亡 実質賃金が2倍以上に 新型コロナて反通貨なんじゃね
どっちも人の間で交換されるところは同じ
金は言語によりコロナは身体により価値補償される
金は必要性をコロナは不必要性を強調する
金が神ならコロナは生贄
金が悪魔ならコロナは救世主
資本主義の金を回すという一方向の運動が
コロナによって見事に止まったよね
電子と反電子が出会って対消滅するように
自粛休業倒産で人々がむしろ喜んでるように見える
やっと止まれたってね
このコロナは誰もが欲しかった最高の商品なのかもしれない
ネオ共産主義が始まるかもな(´・ω・`) イナゴ、疫病、天変地異
歴史に従えば易姓革命が起こるな。
天皇に天命が尽きた証 >>249
一般には叛旗情況が右派とされたが、RG建設-Z戦に反対したものの叛旗は戦闘団的団結を維持し早稲田解放闘争では無敗の強さを誇った。
ある意味潔く党派としては自己解体したが刑事被告メンバーのため互助会は残した。
これに比べ日向派の末路を考えれば、最右派の称号は彼らに与えられるのが妥当だろう。 626 名前:名無しさん@恐縮です[] 投稿日:2020/04/16(木) 03:10:58.80 ID:UqgUHw5g0
もう大体のものはネットでパクれるから
特にお金いらんわ
ネットって基本ただの世界じゃん
OSですらタダ
ソフトもタダ
地図もタダ
情報もニュースも動画もタダ
ここには共産主義的な世界が爆誕 怒涛は指導部と現場の乖離が大きかったイメージがあるな
元怒涛の人からの伝聞だが
現場で勝手に方針決めて動いてた感じだ
自分たちがどのような考え方をもち
どのような流れにいるのか
なぜ前衛派と分裂したのかさえわかっていなかった
前衛派に誰がいるのかさえわかっていなかった 怒涛の吉村和江さんが日本赤軍に合流したのは、なんで? >>261
どういう経緯で関東学院に怒涛派
が勢力を占める事ができたのか
知りたい。 >>262
やはり怒涛の如く押し寄せたのではあるまいか? 神奈川左派と名乗っおいて
神奈川に拠点校が無いのは
これいかに 昔、関東学院は怒涛派だけで100名以上の動員力があるって聞いたことがある。 いまさら「右派」だ、「左派」だのと解決のない解釈を繰り広げてもなんの意味もない。
むしろそんな思考形態だから左翼はダメになった 政治組織内に多様性がないほうが異質だぞ
自民党なんて利権で一致してるだけで
考え方は右から左までバラバラだ
左翼がダメの理由をそこに求めることこそナンセンスだ https://sites.google.com/site/nagato0326/bund_home/-marusenha/zeneiha
1970.04.19 安保共斗(旧マル戦前衛派)と共学戦(旧マル戦ドトウ派)との内ゲバによる乱斗
↑この写真興味深い。拡大してみると、大衆集会らしく日大全共闘もこのゲバを遠巻きにしてみてる。 >>269
多様性?
自民党?
論点が、、まぁいいやw リベルシオン社のHPの中に、怒涛が創刊号からUPされている。それを
読んでいると、組織としてのエネルギーの様子がよく分かる。70年前後は
それなりにパワーを感じる。しかし、最後の方は新聞自体が、タイプ活字
の手作りになっている。組織滅亡の様を表しているようで涙を誘う。 分派を繰り返すと組織の体力が落ちるから
機関紙も簡易なものになていくのは仕方ない 若かりし頃、本気で革命を信じたある意味能天気な俺だったが、何かあるとすぐに
内ゲバ分裂というのを身近で経験すると、「こりゃー永遠に無理だ」と思ってしまった。
あの当時、新左翼と呼ばれた勢力がひと固まりになっていれば、まだこんな酷い日本
になっていなかったと思う。BUNDの指導者も本気で日本を変えようと思っていたとは到
底思えない。
「追想にあらず」を購入して熟読はしてみたものの、7.6の総括を読んでみても全く腑に
落ちなかった。「こんな低レベルなことで組織を壊したの?」「こんな事で人の命を奪った
の?」と怒りさえこみ上げてきた。若い人たちが「昔の人の戦争ごっこ」と揶揄していても
反論できない。 60年安保敗北後のブント指導部の分裂は
その中の中核を担った東大細胞の実態からすると
レーニン主義とは程遠いアナキシズムだったと直接聞いている
SectNo6から東京独立社学同へといたる過程は
そのアナキストとしての革命党への距離感ゆえに存在しえたとも言える
ブントの綱領としてはレーニン主義を謳い
実体はアナキストの集合体
革共同と違うのはこの部分
そのアナキストも分派して細分化していくと
逆にレーニン主義に純化していく分派も現れ
図体が大きいほど前衛党足り得ないという矛盾は
二次ブントの結末ではっきりした
ゆえに第三次ブント構想は絵に描いた餅であることはわかりきっていた
戦争ごっこと言われてもその戦争ごっこにさえ真剣に戦えない嘲笑系の揶揄には
重みも説得力も何も無いのは社会に反映されている 昔、バリケード中で「美味しいコーヒーが飲みたい」と言った事で、リーダーから反革命的な
思考と言動だという事で厳しく自己批判を迫られた経験がある。この時、反論して喧嘩にな
ったが本気で組織を抜けようと思った。その時のリーダーは一部上場企業の部長になって
ゴルフ三昧の生活をしていると風の噂で聞いた事がある。もちろん赤ヘルグループの事。 >>278
その穴生静がプンプン匂うブントが好きなんだよね。
頭脳警察の存在を許容すところがいいね。と言って
も彼らは正確には赤軍?怒涛?竹ブン? https://www.youtube.com/watch?v=uDjMjMY-gU8
PANTA オリオン頌歌 第U章
これがオレ達の世界 隠しきれない世界 宿命の三つ星はオリオン またたいていることだろう
アラブ赤軍三戦士を歌ったものと言われている
87年発売PANTA「クリスタルナハト」に所収 >> 282
>九月頃,「総括だ総括だと一年遣ってきたが,「総括組織」も無くなった。もうマル戦の総括なんてセコい話は止めてデカルト辺りから総括し直すより仕様が無いじゃないか」と清井に言ったら
「いや,プラトーンからだ」という答が返ってきた。そんな清井も東大駒場等の運動を抱えており,私もL協傘下にあった高校生活動家達(東京の高校生運動では圧倒的に強力であった)の再結集を目論み走り廻っていて,
実際には其様な暇等何処を探しても無かった。清井が「もう,東京社学同以来の「反スターリン主義・大衆運動主義・急進主義」だけで遣るしかないな」と言い,私も頷いた。
今度は,理窟を殆ど捏ねない単ゲバ肉体派への百パーセント転換であり,鞏固(きょうこ)な党派性の確立志向から大衆運動主義への百八十度転進である。いやはや。
清井は東大駒場と一橋大の旧L協系を足場に全国全共闘行動委員会なるものを“でっちあげ”,六九年十一月,無党派の学生・高校生七百人程で羽田に突っ込んだ
↑この辺りが萌え萌え笑 前衛も怒涛も近しい人がいたけど
対立する要素がどこにもなかったな
ただ場をいっしょにすると化学反応起こしちゃうんだろうな 我が家の近所に結構大きな電気工事会社がある。
毎朝、工事車両が30台くらいが電柱を積んで、それぞれの現場に向かうらしい。
で、出発前に朝礼とラジオ体操をやっているんだが、ちょっとワクワクする光景なんだよね。
100人くらいの作業員が整列しているんだが、全員「赤ヘル」を着用している。
100名以上の「赤ヘル」の集会を見るのは数十年ぶりで、壮観な眺めだ。
きっと、社長は元ブント構成員に違いない。 >>287
http://jump.5ch.net/?https://i.imgur.com/DX2MBQV.jpg
ここもね。 i.imgur.com/DX2MBQV.jpg
失礼! i.imgur.com/fKk177B.jpg
これもね。 マル戦の慶大細胞から栗本が離脱し転向し
坂内一人に責任が圧し掛かった
前衛は性格的に穏やかな坂内が表に立たざるをえないほど
組織的パブリックイメージは実体と違っていた
二次ブントから離脱したマル戦の前衛、怒涛をブントに含めるか異論のある人もいて
その坂内も前衛の実質活動停止と疲弊した実生活も相まって
三次ブント構想の近くにいたのはちょっとした皮肉
坂内の遺体を確認しに行った警察で死に目に会えたのが
せめてもの恩返し http://jump.5ch.net/?https://i.imgur.com/fKk177B.jpg
ごめん、また失敗。これでどうだ! 当時はどこの大学新聞も凄い。
特に明治大学、中央大学、明治学院大学、早稲田大学、関東学院大学、神奈川大学
東京大学、横浜国立大学、東海大学、國學院大學
逆にお花畑は 慶応大学 慶応の塾生新聞は日向が再建したけど
どうなったのかな 新聞って言っても公認新聞から
原理が持ち込んだ学生新聞
拝金学生が広告屋と組んだものまでいろいろあるからな
個々で事情が違う 原理の謀略「学生新聞」は、京大、阪大、あと東大とかにも侵入してきたんだっけ?
なんか歪んだ国立大学「エリート」志向と腐った戦略思考が透けて見えるよなあ。 コロナで6割の学生が学生生活維持できずか
今まで国や大学の言われるがままに奴隷になってきて
やっとわかっただろ >>286
それを言うんだったら、うちの近くの郵便局はもっと凄いぞ。
配達員全員が、配達が赤の鉢巻きラインが入った白ヘルメットを
被っている。多分、そのヘルメットのデザインを決めた人間は全逓
の組合員だと思う。「全逓」の頭文字のアルファベットの「Z」を入れ
れば完璧だな。 >>305
全学連が機能していれば
まだまだ違う状況を作り出せたはずだ
自治会、全学連の解体に賛同してしまったバカ学生のせいで
学生が困窮してしまっている 学生運動の芽を摘んだのは、内ゲバ。内ゲバさえなかったら
未だに大学では、学生自治の火は消えてなかったはず。 左翼勢力の切り崩しなんて反動がよくやる手法だろ
スパイ工作や資金投入して分裂させる 学生運動と学生自治は、時代によって重なるけども、根本的に別個の問題だと思う。
全学連を一党派の私物(私有財産)としようと考え、大学の現場を活動家の草刈り場としてのみ位置づけ、やせ細らせ、ぶち壊し、
とうとう草木も生えぬ廃墟にした総括を69年-ポスト69年世代はすべきだ。
「今どきの学生の多くが政治運動にソッポを向くのは当然だ、我々のやり方が間違っていたからだ」と認めたうえで、我々は大学の門前のビラ配りからやり直すべきだ。 大学と文部省による大学自治の制限と解体が原因だろ
80年代以降だって跳ね返して闘っていたんだから 施設の拡大で市街に立地してるキャンパスでは場所が無く
かつ広げようにも地代がどんどん上昇してて
郊外に教養や一部学部を移転させ
学生分断で一驚両得狙った大学経営も反映されてるな
日芸や明大生田とかも先例としてあったから
中大の八王子移転で当てが外れたのは
法学部の移転で司法試験合格率が下がってしまったことだな
今更都心回帰とか振り回されっぱなし マル戦が岩田世界資本主義論に依拠し
工場占拠から労働者権力樹立への過程を
岩田鈴木二段階論、宇野観念論からの脱却の理論的補強として都合がよかった思われるが
前衛は岩田を理論的に継承し
怒涛は岩田の実践指針を継承したように見える
怒涛が中小工場に入りプロレタリアートとしての実践とオルグを試みたのは
そういうことなのではないか
岩田が反宇野を鮮明にし宇野の後継鈴木鴻一郎に影響を与え
侘美光彦、伊藤誠へと形成した理論系譜は息絶え絶えだ 俺の恩師は宇野派降旗系だったんだが
俺自身は岩田世界資本主義に魅力を感じた
降旗の革マルとも対話する態度に誠実さを感じたりはしたんだが
宇野の革命運動へのアプローチが純粋資本主義の張り型と歴史段階、現状分析への型の嵌め型に
及び腰を感じたのだ
革マルの宇野、梯、対馬の雑炊に利用するだけの
美味しいとこ取りに使われる便利な方程式にすぎなく見えた
だからと言ってマル戦、前衛、怒涛すげえとはならんかった
実践に生きる経済学とは何だったのか
未だに探り続けてる
バラキンやアサボンだって検討するさ 共産主義っての意味がわかると怖い話だよな
頭AIな上級国民にとっての共産主義は国の議会がロビー活動で金を溶かして予算や法律を成立させることらしいし
どの国も最初から共産主義でしたってオチなんじゃないの ブントの経済理論構築の立ち遅れは
一次ブントの生田、青木なんかの安保闘争総括で遠回りして
マルクス経済学の放棄として具現化してしまったことに尽きるだろう
全世界を獲得するために何をしたというのだ 人材不足で党派内に理論家を育てる余裕は無くなってるな
かと言って御用学者なんて水と油だし
在野の学者は限られてるし 「その時、その横で、『共産主義者同盟』の旗の近くにいた生田が、怒ったような顔つきで、腕を振り回しながら
『畜生、畜生、このエネルギーが!このエネルギーが、どうにも出来ない!ブントも駄目だ!』と誰にいうでもなく、吐き出すように叫んでいた。」(島成郎「私の中の生田浩二」) 日共に挑発され、学生党員がかんしゃくを起こして出来た党派。 58年のブント結成で、学生戦線を制するだけでなく、党本体の組織ももう少し切り崩せる見通しはあったんだろうか?
当時、ブントに組織的に合流したのは東京、京都の党組織の一部だったと聞いたけど。 組織的には、ブントは政治的党派としては中央(指導部)の力が弱く、全国各地方の大学の共産党細胞の連合体的な性格の学連新党であり、結局全学連の裏指導部であった。
労働運動への波及を追求したが、共産党の港地区委員会や長崎造船労働者細胞など、先進的、戦闘的な労働者の僅かな結集に未だとどまっていた。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~oyabu/ayumi/anpo.html 港地区委員会は全学連による1959年の11・27国会突入闘争を受けて「プロレタリア革命の勝利のために公然たる党内闘争を展開せよ!!―港地区委員会は声明を発する」を発表して党中央を批判し、1960年3月に共産主義者同盟(第一次ブント)に集団加盟した。
これにより学生中心のブントは労働者の同盟員を獲得した。 大阪中電マッセンストを指導した前田裕吾は超有能だろ
前田も労対選任かといえば
同志社に片足突っ込んでたから
そうとも言い切れんけど 生田も僕も1952年(27年)という年に大学に入った。その“偶然”が、僕らを“血のメーデー”に、そして“火炎瓶時代”にしばりつけた。
(中略)ある朝、信じられないほど早い時間に、僕らは、駒場の裏のグランドの人影のない片隅に立っていた。四〜五人はいたように思う。前夜、寮の一室で“製造”した“火炎瓶”を実験しようというのだった。
痕跡を残さないように僕はアルミの洗面器を用意しいてきていた(数日か数週間ののちその洗面器は底がスッポリ抜けてしまった)。
その日か、少なくとも翌日くらいに、僕らは、駒場から渋谷駅に向かう学生の非合法デモに混じって、初めて“出勤”した。両方のポケットに、ウィスキーの小瓶が入っていた。
デモはすぐに道玄坂の途中から警官に追い散らされ、渋谷の駅前広場に着いた時は、先着の労働者のデモ隊も駅舎の側にぴったり押し付けられていた。
(中略)警官隊は一列になってこちら側を向き、その後ろの方、広場の真ん中には、応援の警官隊が整列し、大きなトラックが並んでいた。
一番手近なトラックの運転台に向かって群衆の中から光りが飛んだ。うまく命中して、運転台にパッと火が燃え上がり、群集と対峙する一列横隊の警官の頭を越えて幾つかの光りが飛ぶ。と、僕のすぐ横で混乱が起こった。
群衆の中に私服が紛れ込んでいて、一人の男が現場を押えられたのだ。僕の内部に恐怖が走った。ポケットの中のびんが空しく汗に濡れる−道玄坂から大映の方へ曲がるところで生田と一緒になった。彼は少し慌て気味に“おめえは大胆だな”と言った」。
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/gakuseiundo/daiithijibundco/ikutaron.htm 島は、生田と共産党の関係について次のように述べている。
「若き日よりともに過してきた日共は、ただ彼をいれた器だけに止らなかったのではないか。常に自分から離れ、逆に自分に立ち向ってくる物神であると同時に、自己の一変身と錯覚される奇妙な存在である」(「生田夫妻追悼記念文集」)。
島は、生田の日米新安保条約自然承認直後の様子について次のように述べている。
「日米新安保条約自然承認の時が刻一刻と近づいていたあの夜、私は国会を取り巻いた数万の学生.市民とともに首相官邸の前にいた。
ジグザグ行進で官邸の周囲を走るデモ隊を前に、そしてまた動かずにただ座っている学生の間で、私は、どうすることも出来ずに、空っぽの胃から絞り出すようにヘドを刷いてずくまっていた。
その時、その横で、『共産主義者同盟』の旗の近くにいた生田が、怒ったような顔つきで、腕を振り回しながら『畜生、畜生、このエネルギーが!このエネルギーが、どうにも出来ない!ブントも駄目だ!』と誰にいうでもなく、吐き出すように叫んでいた。
この怒りとも自嘲ともいえぬつぶやきを口にした生田・・・」 。 広河といえば、布川徹郎。2人で早大にカメラルポルタージュ研究会を作ったのが1964年か。
しかし、広河もとんでもねえ奴だな。被害者の女性たちの手記とか去年追って読んでいたけど。 >同じ報告書は、広河氏が「性交の強要」「性的身体的接触」「裸の写真の撮影」「セクハラ」「パワハラ」を重ねていたと認定した。
>これを踏まえ、複数の被害者は「デイズジャパン」に損害賠償を請求。
>同社は今年3月、「残余財産を上回る金額の損害賠償請求」があったとして裁判所に破産手続きを申請した。
>6月に東京地裁で債権者集会が予定されている。
>こうして広河氏が設立した会社は、被害者に十分な損害賠償をしないまま消滅する見通しだ。
>一方、広河氏本人は、批判を浴びる立場に置かれたことに納得いかないままのようだ。
>検証委の調査には、「魅かれあった男女の自由な関係である」「自分は文春の商業主義的、もしくはMeToo運動にのった時代の犠牲者である」などと主張したという。
岡村の発言なんかよりずっとずっとドン引きな言動と被害でもだんまり。
発覚したときにちょろっと批判的な事を言っても
本人がこれじゃあねぇ・・ >>321
むしろ主体性論争における共産主義者としての自己のあり方問題の齟齬の拡大じゃないかな
季刊理論と民科理論の溝は客観主義と自己確立論の間を行ったり来たりしながらも
正統派と新解釈派の色分けとなって既成左翼と新左翼の指針として定着していったんだから
田中吉六の在野の活動と肉体労働者としての思索が季刊理論派の象徴として受け取られたのも
新左翼との親和性が高かったからではないのか 主体性論争の新左翼側の関与はどうしても革共同系に引っ張られる感は否めないな
梅本克己や三浦つとむ
スターリン批判の強弱は革共同の旗印になってしまったから 主体性論争かあ
確かに今の日本人の依存体質、非自立傾向なんかを考えたら
戦後70年何ら変わらず放置されてきた課題かもねえ 俺の参加してた細胞では
学習会や読みあわせがほとんど行われてなくて
理論学習の欠如を痛感した
ここ最近書き込まれてる内容について
ほとんどついて行けてないのが情けないけど
少しでも深めていけたら
自分とは何だったのかわかるような気がする 大学入学直後、年長党派オルグで、とりあえず梅本克巳「唯物史観と現代」を読めと言われた。
マルクスを一冊も読んでいないのに、いきなり 田中吉六は確かに季刊理論の中でも異色だな
学閥に属していないから業界筋での仕事がなくて
城塚登から経哲草稿の訳出紹介してもらったんだっけか
初期マルクスは新左翼にとって必須文献だからね 俺の学生時代は
疎外論から物象化論、資本論一巻の商品の物神性論が仲間内での議論が盛んで
労働疎外、商品物神、貨幣物神、資本物神から労働の解放を必然の王国、自由の王国から読み解くことに熱しで
初期マルクス理解が絶対だったね
内田弘の中期マルクス理解が登場したことは刺激的だった
だからレーニンには手が回らなかったってのが正直な話 俺もどこにも行けないこの期間に
古い本読み出したよ
さらぎの宇野経済学体系の批判 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています