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赤軍派への解放派の見解。抜粋
 赤軍派が、赤軍派として「発展」してゆく過程は、出てくる問題をすべて軍事問題に一面化してゆく過程であった。方針・路線・組織のあらゆる面にわたって、結局「軍事的に割りきらなかった」点に失敗や敗北の原因を求めていった。

 ここでは「そもそも、一体何のために、誰が革命をやるのか」という出発点の、また原則的問題が消えうせてしまい「プロレタリア」とか「プロレタリア革命」とか言うのは、ほんの申し訳程度の「言葉」の問題になってしまっている。ここでは「そもそも暴力性は、誰の、何のためのものなのか」が全く問われていない。逆に言えば、実は自分自身がブルジョア社会の中で身につけて来たものを無批判的に前提にしており、その中味、内容を背後に陰然ともったまま表面では、軍事問題を語ることになる。

 これは、革命路線上は、次のようなブランキズム的なものとなる。つまり、プロレタリア人民の階級運動及びその組織化を放棄してしまい、一部の決意した少数者が武器をもって決起し、権力を物理的に打倒すれば大衆はついてくるに違いないというものである。更に、それは別の面では「革命の捨石」として自らを位置づけるような傾向をもつ。

 こういう路線を走った赤軍派は、大菩薩峠の敗北の後、赤軍派的に歪曲した「世界革命」路線の上に、「根拠地」を求めて、朝鮮民主主義人民共和国へハイジャックで飛ぶ。実は、この事自体が彼らの「プロレタリアなきプロレタリア革命」路線の必然的帰結としての「根拠地なき革命運動」の破産の証明でもあった。相次ぐ敗北の中で、彼等は、次第にスターリン主義に傾斜していった。赤軍派の指導部は、様々な傾向をもちつつも、中国の毛沢東主義や北ベトナムの路線の賛美に傾斜していった。これは、赤軍派がそのブランキスト的体質の限界を意識化し、何らかの思想性、人民の中味を問題にしはじめ、結局、民族主義に傾斜していったことを意味している。