また、妙な事を言いだしたな。
一般に宗教は神さん、それに類する人間、自然を超えた存在への信仰だろう。
だが、マルクス主義は、そうした存在の科学的否定から出発している。
と云うか、マルクス以前にブルジョア革命の過程でカントなどが神の否定を試みているが、結局、革命的ブルジョアも神から完全には解放されず、マルクスが思想的哲学的決着をつけたってことかな。
詳しくは中原一「神の産出の構造」を参照。
http://zengakuren.info/temporary_use/reification_and_god.html#o
例えば、法的にも共産党が宗教法人格を取得しようとしても、要件を満たさず不可能だろう。
まぁ、そこは常識論だが、君らが言いたいのはマルクス主義の宗教的側面、乃至類似点かな。

まぁ、典型的にはスターリニズムの問題であり、我がマルクス主義も困難局面で、再び神を地上に作りだし、これの奴隷となる痛苦な歴史を持つ。
このスタの克服こそが新左翼の出発点なのだよ。

まぁ、ハッキリ言って成功したモデルなどない。
俺はキューバなんか好例だと思うが、国の規模が小さすぎるしな。

とにかく、我がマルクス主義は信仰ではないと云う意味で宗教ではないが、少しの油断がスタの罠にはまる可能性を十二分に認識しているし、常に自己を検証しながら前進してゆきたい。

私は自分自身に対するものを含めて、学生運動出身の「左翼」が本当にスターリニズムとトロツキズムをこえているのだろうか、という疑問をもつ。

中原一「学生戦線からのアプローチ」より