>>891
こんなことを言うと、「わがままだ」という方もいるかもしれません。「車いすなのに電車に乗せてもらえるだけありがたいと思わないのか」と。

でも、私達は電車に乗れることがありがたくないと思っているわけではありません。駅員さん達には本当に感謝しています。

ただ、私達は好きで障害者になったわけでもないのです。感謝する、しないという「感情」が問題なのではなく、自分で選んだわけでもない「障害者」という立場に自分がたまたまなったというだけで、歩ける人が当然のようにしている「目の前の電車に乗る」という行為が制限されてしまう「事実」が問題なのです。



今から40年ほど前、私達車いすユーザーが公共交通機関に乗ることがわがままだと言われていた時代がありました。障害者は家で大人しく過ごしていれば良い、他人に迷惑をかけるな、と。

そんな社会の風潮に対して、当時の障害者とその仲間の健常者達が声をあげ、駅のバリアフリー化が進み、法制度が整っていったという背景があります。いま、私達が当たり前に公共交通機関を利用できるようになったのは、いつの間にか自然にそうなったのではなく、そうした人達の努力があったからです。

「障害者のわがままだ」と言われていたことが声をあげたことによって変化し、今では当たり前の光景として見られている。それができたなら、きっと次のあるべきステップは、「車いすユーザーでも目の前の電車に乗れる」ということだと私は思っています。