大量懲戒請求やら公金チューチューやら、人権派(笑)や共産党が大衆を相手に裁判をしたところで、
大衆の反感と手続きコスト、非合法な嫌がらせに手間を割かれるだけで、ほとんどなにも得るものはなかったな。

得たものがあるとすれば、事件を運動化することによる党員・シンパからのカンパ金、
相手方の個人情報を取得し、提訴前に任意交渉で30万円前後の和解金を得るという収益化スキームくらいか?

あとは、構成員(従業員)が生計を得るために経済活動をする企業などと違い、結びつきの弱い政治結社や社会運動体は、
定期的にテーゼやテーマ、参加できる活動がないと、離れて行ってしまい、未結集党員が増えるため、
人や金が集まらなくなるので、参加できる運動の一つとしての役割か。

辺野古の座ってない座り込みも本土での集金カンパのためのハリボテだし、
1970年代以降に、極左が強大な公権力からボコられて懲りてしまい、公権力を相手にしなくても、
暴力的テーゼと組織を維持するために、同列同士の内ゲバに走ったのと同じ。
これは堀某を相手にし始めた暇空も同じだろうが。

失ったものは、矢面に立たせた活動家の人生。
一部はSNS削除や活動から撤退をしたものの、有名人化は不可逆なので、生涯に渡って指をさされる。
特にインターネットの普及以降は、デジタルタトゥーとして半永久的に残るが、爺は若者を表に立たせて生贄にする。