脳機能上、珍犯爺だった汚猿の生涯は、悲劇である。
汚猿は汚猿なりに感じたままに、マジキチの自転運動しか出来ない足りないバカであって…

汚猿が汚猿らしく自慰に浸っていたら、足りないオツムの汚言症の中傷魔になっていた。

自己愛のヴァカは、この低スペックサイコを何故か本質を見抜かぬまま、はやし立て、最下層の犯罪者脳に同調する。

こういう脳機能障害のバカに同調する様な猿並みに多く見られるのは、己がどんな行動原理で生きているのか?

己の主観を腐らせる歪みっぷりも全く理解していない、己の主観の歪みっぷりにも気付けていない池沼である。という事である。

コレを日和見の自己愛というのである。