フラレおばさんのネバーエンディングストーリー
みい
私たちは終わらない旅の途中にいるのです
振られた?
それも通過点にすぎません 参考資料
決して消えない光がある
決して消えない光がある……
https://youtu.be/s4Wa75ZiemE?si=4jVqcyvgc-gKHzW4
みい不朽の名曲There is a darkbusu that never goes out
二重アゴが激突して、トンカツが崩れたとしても
そばにカレーソースがかかっていたら
こんな素敵なカツカレーはないさ
10人なりすましがバレて滑落したとしても
君に匿名で絡んでいけるなら、こんな幸せな5ちゃんはない、私の特権
決して消えないフラレがある
決して諦めないネットストーキングがある…… 「オー・チン・チン」は、1969年6月に発売されたハニー・ナイツの楽曲。里吉しげみ作詞、小林亜星作曲。フール・サンズ演奏。
https://youtu.be/-mn-xCy1Q8U?si=4punggPXftiw6PPU
少年時代への憧憬がテーマだが、男児の陰茎を扱った歌詞が問題視され、日本民間放送連盟による要注意歌謡曲指定制度にて「3番と(オリジナルの)4番は放送しない」という扱いとされる[3]など、ナンセンス・ソング扱いされることが多い。アストロミュージック盤のみに存在する4番は白石冬美が歌唱した。
6週連続オリコンチャート20位以内を記録し、最高位は15位であった[4]。1969年9月時点で35万枚のヒットを記録している[2]。 今剛のフレーズは地味に難しいな
でもコピーすれば間違いなく腕が上がる 弦をアップダウンでヒットするときにシンコペーション入ってたり
1音分チョーキングしながら何度も音を止めたり 一緒にいただけで何よりのプレゼントだとか、松本人志が妻より大事な存在であると崇拝していた芸人はなぜ黙ってるんだろうな
例え事実がどうあれ、松本さんが大事な存在であることに変わりはありませんくらいのことは言えるだろうに
存在が大事なら行為で見限ったりしないだろ というのはただの嫌味で
コメントしないのが得策なんだろう なんか最近のたけしの映画みたいな展開になってるよな 小児性愛で誰かが逮捕された時だけ偉そうにコメントする性教育漫画家とかクソだよな
松本人志が小児性愛してたのは発言から明らかだし有名な話なのに意図的にスルーしている
検索したら露骨に松本に媚びていた 炎上するだいぶ前から批判していたけど、今同じことすると炎上に乗って「うぇーい」してる風になるな 芸人はカースト社会なのが改めてよくわかる
松本が誰かに入れ替わるだけじゃなあ 欲望だけなら自由だよロリコンでも
日本の文化なんてロリコンはたくさんある
宮崎駿を筆頭に 心を理解するとかしなくても諦めないとかいう話してるのが謎
精神医学とか心理学が爆発的に普及したのが20世紀
精神科医でも患者の理解に最低数年はかける
今さらすれ違いを描く意味がわからない それに言葉というものは独立したメディアなので心を透明に表現することはできない
これは日本では柄谷行人『近代日本文学の起源』で「内面の発見」で論じられたことで
そのような内面は教会の告白という形式が作り出すもの
単純に勉強が足りないと思う
俺はそういう話を知ったのが中学生
ちゃんと読んだのが高1 言語の物質性というんだけどね
精神とはまっすぐつながってないので、精神や心や感情をそのまま表現することはできないんですよね なぜ内面を表現できるかのような錯覚が広まったかというと言文一致運動があったからです 言文一致というのは国家権力が統治のためにやったことです だから内面を描けると思い込んで日本語の力を信じたりしてる人は洗脳完了してるんですね 相手がこれを理解してないと思い込んで啓蒙してるのはさらに謎
俺は中学1年でそういう文学のパターンがあるの知って
そのからくりの分析を知り始めたのが中2から中3くらいだからね
思春期でその程度の知識はクリアしといてほしいんですよ
本音を言うとね だから子供の時は吉本隆明とか小林秀雄読んで
近代的な内面や自意識の葛藤があってこれが世界にとって重要なんだなあとか信じてたw
浅田彰みたいな頭脳持ってないんでね でも現代アートとか30代以上の人たちが部屋に集団閉じ込めてすれ違いが生じるとか真面目に映像作品作って、
しかもキュレーターが感心して展示したりしてるから、こいつら馬鹿なんだなあと思ってw
すごい流行ってたよ、そういう主題
もうさすがに下火だと思うけど このような作品の一番駄目なところは
人間は相手の考えてることが理解できないと作品の内容で表現しているにも関わらず
作品の伝達形式においては、観客が人間の理解不可能性を理解してないことを勝手に前提して
人間は相互に理解できない、でもコミュニケーションすべきだと啓蒙メッセージを込めている点ですね
なぜ理解できないはずの観客の考えや内面の内容を想定しているのか
形式と内容が完全に矛盾をきたしており、作品として破綻している
これは完全に作者側の力量不足です それに理解できないからといって、コミュニケーションをとらなければならないということもないんですね
極端な例で言うと
痴漢してきた男の内面が理解できないからといって、諦めずにコミュニケーションとる必要ないんです
コミュニケーションとるかどうか自体は本人が気が向くかどうかで決めていいんです
内面関係ありません
理由を説明する必要もない だから関係ないんですよね
内面の理解なんか
相手がこっちに興味なければ内面を知りたいとも思わないですよ
あなたが相手の内面に興味抱いたのもそもそも気に入ったからでしょう
理由や義務なんかないわけだよ 突然全く好みでないキモい男があなたの前に現れてストーキングしたからと言って、いちいち理解するために付き合う?
付き合わないでしょ
単なる自由なのに
なんで道徳的義務の話にすり替えてるの? こういう馬鹿なことを言われたら、俺は気が向いていてもやる気なくしますよ
だから本当にアピールが下手だなあと思います
根拠の全くない道徳的義務を掲げられても恋愛感情高まらないからね
そんなことより美容でも頑張った方がいいですよ
会話する前に相手の恋愛についての考え想定して
メッセージするとか悪手でしかないよ
想定内容全部間違えてるし というわけで
余計なことすんなと思う
顔が似てると同じことするのかな
そんなことないと思うけどね
同い年の歌手も勝手な妄想で説教ソング作り続けて、会話がめちゃくちゃしにくくなったんだけど 真面目なんだろうね
真面目な人って、相手が無知だと思って頑張るよね あなたの内面は知らないですよ
でも言葉は物質なんで、いったん表現したら感想は言えます 恋愛感情なんて偶然起こったり高まったりするんだよ
考えすぎ 意見が合わないからって大して気にしないんだよ俺は
あんまり馬鹿だと面倒になってくるけど 【芸能】みい、衝撃カミングアウト「お風呂に入る習慣がない」「お父さんは一生入らない」 [おっさん友の会★] みい
(男性グループをちら見しながら)私思うんだけどさ、宗教って続けるのにお金かかるじゃない。だから施設での出会いって婚活に向くと思うんだよね。施設で出会う男性には、それなりに安定したカルマの人が多い気がする。 のぶこ
ああ、わかる! このあいだ第一サティアンで知り合った人がね、趣味が手かざしっていうから意気投合したんだけど、名刺見たら◯◯の人だった(○○ム省庁の名前)。 みい
そう~。お互い酔ってたし、ノリでLINE交換したの。でもね、第一印象が修行後のくたびれた行者だったせいか、早朝の上九一色村で手をふって待っていてくれた彼のさわやかさがもう素敵で、一気に好感度上がった。夜の施設での彼と、朝の村での彼って、かなりの振れ幅だよね。土曜日に信者同士で行く登山だと、メンバーのうち一人は二日酔いだったり、寝不足だったりしない? そんななか朝からビシッとしている人を見ると、ああ、いいな~って思うの。 のぶこ
まあ、私は遅刻しなけりゃなんでも許せるからいいよ。それより、早朝の登山口でさ、ちらちら早川グループが準備体操とかしている中で、ひとり黙々と登っていく上祐に私はぐっときちゃうんだよね。休日のああいえば上祐野郎は私の胸をざわつかせる。 のぶこ
ええ~全然、年齢上限なし。フリップのひとつひとつも年季入ってて、マイクも古い型なんだけど手入れしてあって、もう上祐ガールなんて言葉がないころから教団にずっといるような上祐。そういう上祐を見ると、私なんて軽率な感じに見えたりするのかなあってちょっと肩身せまくなっちゃう時もあるんだけど、こういう人がたまたま目の前を歩いていたりすると、なぜかほっとするんだよね。もの言わぬ上祐の背中ってかっこよくない? とし
う~ん。私は結構、黙々としている村井でも(あの人、見られてること意識してるなあ)とか自意識を感じちゃうとダメなので、同意しかねるんだけど。背中で語るというより、右翼が襲ってきても服の汚れ落としてる村井。
ええ~ ポコ
ええ~私鈍感だからそんなの全然わかんない。っていうか、オウ○より人民共和国のリーダーをやってくれる人のほうが好き。そういう正日って、面倒見のいい性格してそう。複数人で社会主義国するってだけで大変なのに、まとめてくれるなんて神だよ~。こないだ一緒に登ったときは、タクシーまで手配してくれてて本当にありがたかったな。○○ムの人って、その点はわがままそうな性格の人が多そうじゃない? のぶこ
ポコはわかってないね。たまたまその日見かけた彼はああいえば上祐野郎だったけど、もしかしたら前週はひかりの輪を引き連れて登山しててさ、『リーダーも悪くないし、みんな楽しんでくれたけど、あ~やっぱり一人はいいなあ…』とか考えて山頂でコーヒー飲むことを楽しみにやってきた、いつもはリーダーだけど今日はたまたまJAXA野郎かもしれないじゃん! 小沢健二は「企業的な社会、セラピー的な社会」で平田オリザ的なアート政策によるネオリベ統治を批判している
退屈な優等生タイプで大して優秀でもない平田オリザよりはちゃんとしている
平田オリザに対してどう言ってるかは別にして(知らない) なんりべ的な奇麗事見本市みたいな人だよね平田オリザは 高橋源一郎 平田オリザ 辻信一 あたりのラインはどうしようもなく退屈ななんりべの代表 なんりべの命名者である小谷野敦のツイートみたら案の定平田オリザをかなり嫌っていた 「何かの加減で大物になってしまうと実はつまらなくても生き延びるということがまああって、三谷幸喜とか平田オリザとか島田雅彦とか、そんな感じか。」 「岸田戯曲賞の受賞者が平田オリザの息のかかった者だらけになりつつある」 日本では演劇が不人気だとか嘆く人いるけど健全なことじゃん
魂の叫びや叫ばなくても道徳の授業みたいな演劇作品が人気出ないのは 啓発のポスターみたいなメッセージを聞くために高い演劇のチケットとるわけじゃないんでね
そういう人はそれこそ道徳の授業としてやればいいじゃん
政治的正しさと作品の優劣は関係ないよ 人の心はわからないとか夏目漱石の頃から延々やってるわけじゃん
逆にパーフェクトなテレパシー社会が実現してると思ってる人がいたら病気だよ あとはコミュニケーション諦めたように見える人が問題視されるのも
延々続いてるから
スチューデントアパシーに始まって
いじめ被害者の不登校とか
クズだの何だの言ってたくさんの自殺者まで出してさ
コミュニケーションやめた俺はイケてるぜなんて思ってる人はいないんだよ コミュニケーション諦めないことが大事ですなんて誰に言ってんだという話だよな
引きこもり?
引きこもりはコミュニケーションしてない自分を非常に責めてるので
説教すると逆効果「しか」ないことが多数の臨床で確認されてるんですね
そういう考えは作者が思いつくずっと前から知ってるわけです
特に不登校を問題行動とすることは有害なので
文科省も問題行動とみなしてません
当事者や元当事者とコミュニケーションとってたら当然知ってること
ろくにコミュニケーションとらずに最近思いついたことを垂れ流して
コミュニケーションの可能性を潰さないでほしい
その前に届かないと思うけどね なぜか困ってる人がいると無知だと思い込むという官僚的な思い込みが広がってるんですね でも、メッセージが正しいかどうかって作品の面白さを全くな保証しない
差別主義者の作品でも面白いものはあるわけね
セリーヌとか 野田秀樹の演劇も最後みんなに道徳的メッセージを訴えていた
どうなってるんでしょうね その前に政治的に正しいかというと昨今のコミュニケーション偏重教育はネオリベ政策なんだから
オザケンの批判が正しいですよ 公教育にまで平田オリザみたいなネオリベ演劇(偽)官僚が手を伸ばしていると 平田オリザが「家族いるなら月に60~70万の収入必要」って言ってるのに劇団員は時給500円って話、この7年前のツイートが本当なら、月手取り10万でサービス残業ありなのに稽古休んで他の仕事入れようとするとオリザに説教されるって様子がドキュメンタリー映画になってるってことだよな。異常すぎる。
Xより 「わかりあえなくても諦めてはならない」というのは論理の利点は
どんなに発話者のコミュニケーションが稚拙でも
常に上から目線で相手に説教できるということ
わかりあえないこと、相手が何があろうと我慢することを前提にしているので
自分のコミュニケーションに対する反省的視点が働きようがない
それは平田オリザ自身の炎上事件が証明している だいたいコミュニケーション教育にやたら税金をつぎ込むのはネオリベがコミュニケーション偏重だからである
ネオリベ道徳演劇が反発を生むのは当たり前
自己啓発本で言われていることと何も違いがない
つまり資本主義の現実を周回遅れで追いかけているだけ つまり第三次産業の割合が世界的に伸びており
どんな目に遭おうと我慢するサービス業の奴隷労働者を育成するため
確かに
わかりあえないのは当たり前なので、それを理由に望む相手との人間関係を諦める必要はないが
「どんなに話が通じなくても望まない相手とのコミュニケーションを継続しなければならない」という義務に変換すると地獄が訪れる
そして、それは資本主義におけるサービス業の現実である 俺が演劇作家で「わかりあえなくても」というタイトルで何か書くとしたら
ディスコミュニケーションを乗り越える都合の良い美談だけではなくて
例えばカスタマーセンターで白痴のモンスターカスタマーと電話を切ることができない状況や
ストーカー事件や
飲み会の監禁性被害なども描くだろう 平田オリザ的な演劇は想像力も分析力も知識も全て欠けていると思う 俺は分析はできてもお話を考えるのは非常に苦手なタイプなのだが
こんな人間から見ても話が画一的で本当に単調 >>77
そうそうSNSの炎上や誹謗中傷もね
執拗な誹謗中傷を受ける有名人に対して「わかりあえなくてもコミュニケーションを諦めてはならない!」
いじめで不登校になった子に対して「わかりあえなくてもコミュニケーションを諦めてはならない!」
平田オリザが炎上したときは批判者をすぐ切ったわけですが 振られたおばさんの恋愛は永遠に続きます
わかりあえなくても諦めてはいけません フラレおばさん
ネーバーエンディングストーリー♪
あああ~ あああ~ あああ~ ねばねばおばさんストーリー♪
あああ~あああ~あああ~ 文句ばかり言って悪いんだけど
「わかりあえない」という言い方はちょっと脚色しすぎで
ズレは生じるにしてもある程度はわかり合ってるんですよ
同質性が全くなかったら国民国家とか民主主義とかいう集団性は成立しないし
内面が成立するのも近代の集団が成立するのも言語の教育によるものだから 本を黙読するというのが内面を成立させたという話がよく出るわけだけど
そもそも教育がなければ本は読めない あの時こうしたかったとか
誤解されたと言うだけなら、後で訂正すれば済む話でしょ
その程度の話だから、コミュニケーション教育しましょうとか演劇で自己啓発セミナーしましょうという結論になり
自ら国家や資本主義にとりこまれていくわけねw儲かるからね 詳しくはないけどデリダや東浩紀はもっと複雑な議論してるはず 誤解の創造性とか誤解の権利とかいう話が出てくるわけだから 日本の演劇はヨーロッパでは演劇が大切にされてるのにというコンプレックスが強くて、どんどん権力に自分を売り込んでいく
岸田國士がそうじゃん
まるで枕営業だよ 誤解とか誤配の創造性の話でも基本的にはまず正しく伝えようという意志が前提だし
何もわかりあえないと言ったら、コミュニケーション教育というか教育自体が不可能だよね
すごく大げさ デリダ『散種』という本を昔読んで
翻訳者に教えてもらったりもしたけど
あれは種や精子をまき散らして
誤配の可能性を増やすだけじゃなくて
意味やコミュニケーションの場そのものを破壊するという話だった
デリダは世界のあちこちに子どもがいると聞いたけど
「俺の子供産めや!」と言ったのかどうか WBCとかディズニーとか応援上映でよく共感してるじゃん
ディズニー従業員は共感を生むのもするのも労働の一部らしいよ デリダはちょっとイケメンで俳優みたいな顔してるんだよね
だから散種できたんだろう デリダの愛人にアガサンスキーという学者がいて2回デリダとの子供を妊娠している
1度目は中絶、2度目は出産
後にフランス元首相ジョスパンと結婚した デリダは二人の関係が家族にばれないように気を使っていたようだが、浮気というものが往々にしてそうであるようにバレバレで、シルヴィアヌと一緒にいるところを家族と出くわしてしまったことすらあった。
なんだかなw 94年、シルヴィアヌとの関係は壊れたままだったが、彼女も出席していたある口頭試問に立ち会った際突然、ダニエルは元気か、あの子の幸せを毎日祈っているよ、と声をかけ、シルヴィアヌとその友人を仰天させた。シルヴィアヌはその六ヶ月前に、以前から同棲していたジョスパンと結婚していた。 デリダは社会党に投票し続け、95年には投票を呼びかけたことすらあったにも関わらず、ジョスパンが立候補した2002年の大統領選挙の際には「候補者全員に対する気分の悪さ」から、生まれて初めて第一回の投票に行かなかったことを明らかにした。 デリダも長生きしたらmetooされる可能性あったのかね >>91
結局東浩紀の場合訂正可能性という話になっているからね
誤配に対して厳しい時代にはなってるんだろうな まだ読んでないから何も言わない方がいいんだろうけど
でも、多分訂正できる社会の方が誤配可能性も高まるということなのかなあという
一度ミスしたら終わりだと誤配可能性も潰されちゃうもんね 俺はデリダのことはあんまりわからないから、翻訳した人にデリダ自身があちこちに愛人いるのは散種の実践ですかと聞いたら吹き出していた デリダに関しては晩年の偽善的な社民的リベラルに対する応援が賛否を産んでた印象があるけど
柄谷は私的な飲みでは、デリダは後期になってあえてそういう役割を引き受けたというより
元々そういうところがあるんだと言っていたらしい
浅田彰はデリダ死去のニュースが出た数日後の講義では「あれは仕方なくそうなっていたんだ」と擁護的だった
でも死んだばかりだったからかもしれない 浅田彰自身が本当はリベラル批判的な面もあるが、リベラルを応援しているような印象があるけどね 浅田彰はリベラルに批判的なマルクス主義的批評家の本もチェックしていて、新刊が出ると感想のメールを送ってきたりという話も聞いているので
田中康夫との対談ではリベラルに肯定的な発言をしていても、それだけではないのだろうと推測するが
俺には結局わからない ただその文脈を離れると
何らかの形で差別される人ってリベラルに批判的だとしても
リベラル全否定はしづらいんだよね
差別されてる人がいて実際支援するのはリベラル系だったりするので デリダ派の噂話は以前聞いたことあるけど
早稲田だとか都立大の
でも、ただの噂なんで何とも言えない
郷原佳以ちゃんの名前がよく出てくる いとうせいこうなんかも吉増剛造の神話化に積極的に加担してるんだね ヒップホップの人って妙にリスペクトが好きだけど
単に媚びているだけにしか見えないことも多い >>110
紛らわしい書き方したけど郷原さんは東大ですね 要約するとデリダ派の歓待には気をつけろという話で
実際問題として俺には関係ないからふーんと思いながら聞いていた >>85
絶対に理解できない他者性というのも想定は可能だけど
それってレヴィナスの大文字の他者みたいになっちゃうと思うんだけどね
神学的議論になる 平田オリザの場合は結局「話せばわかる他者」を想定していて
でも最初はわからないから俺の演劇コミュニケーション講座を受けろという話なんだけど 紛争の問題なんか見ると
どうしても相互理解できない事例はあるのかなと思うけど
普段から絶対に理解できない他者を想定するというのもキリスト教的な神学化に見える そもそも人の内面を理解するという問題設定をもたらしたのがキリスト教だから ヴィトゲンシュタインも神学的なところがあるとは思うけどね でも紛争だって、近代以後に起きた政治的問題を遠い過去に投影して絶対化しているわけで
あまり絶対的な他者として設定しない方がいいとは思う
どこまで理解可能かどうかはともかく 日本で対人恐怖症が増えてるのは
いじめ問題、ブラック労働問題が大きいのはわかっていて
理解できるかどうかより固着した記憶の問題ですね
本人の意志に関係なくフラッシュバックは起こるわけで トラウマというのは生きるための防御反応なので
諦めているわけじゃないと思うね わかりあえない他者とどう生きるかって「公共性の哲学」として人気みたいだな
こういう議論は資本主義問題から目を逸らさせる役割を持ってるんじゃないか 平田オリザも公共性連呼しているし
元はハーバーマス わかりあえない他者との対話で公共性のある市民社会を形成すれば良い社会になるって
資本主義と国家の問題を見ないようにしてるだけじゃないですか 平田オリザが高校演劇流行らせて、若い演劇家たちが公共哲学のイデオロギーを無自覚に拡散してるとか気持ち悪い現象だな
「わかりあえない 演劇」で検索するといろいろ出てくるよ おじさんの作った枠組みを何も疑わずそのまま踏襲するリスペクト若者の害が最近やばい気がする 何でも通過させちゃう大きな穴の開いた濾過器だな
自称フィルターだが能力ゼロ 権力者にバンザイするだけの有象無象
観察力のかけらもない 最近デリダ流行ってるのか
知らなかった
誰を担ごうと
資本主義や天皇制(戦後民主主義)の問題から逃げてるサヨクハ駄目だろうな まじで変換エンジンに振り回されてる
推測変換切った 平田オリザは公共性がどうのこうの言う前に時給500円をやめるべきだなw 平田オリザは若い頃から狭い演劇界では権力者だから
権力持つ前もくそもない ハーバーマスは、『コミュニケーション的行為の理論』(1981年)では、20世紀において再封建化が進み衰退した公共圏の理想的な姿を取り戻すためには、人と人が相互の了解を追求・達成するコミュニケーション行為によって人を理解し、普遍的な社会批判の根拠を成し、より民主的な社会伝達や交流を可能にする、と主張した。
平田オリザはこれの口真似 正確にいうとハーバーマスに英米をはじめとする市民主義リベラルが飛びついて真似したのをさらに真似したというか
コピーのコピーのコピーみたいなw
2chMate 0.8.10.182/Sony/SOG10/13/LR 公共哲学入門―自由と複数性のある社会のために
齋藤純一 / 谷澤正嗣【著】
わかりあえない他者と生きる思考法
多様性よりも「複数性」を、そして何よりも人間の「平等な自由」を実現するために――。カントに始まり、功利主義、ロールズ、リバタリアニズムなど定番の要点をしっかり押さえたうえで、デモクラシーの価値を根底から問い直す。「今だけ・自分だけ」の発想を乗り越えて、政治的意思の違いを互いに解消することなく、共に生きていく視点を身につける「新しい教科書」! わかりあえない他者と生きる 差異と分断を乗り越える哲学(「世界の知性」シリーズ) (PHP新書) 新書 – 2022/3/16
マルクス・ガブリエル (著) 記事の概要
抄録
社会の中で「コミュニケーション能力」という言葉が多様化し、強い力を持つようになった。社会学の視点から「コミュニケーション能力」について考えると、コミュニケーションの高度化と個人化という状況が見えてくる。同様の問題は国語科教育でも起きており、過剰な「メタ認知」への注目によって求められる知識や技能が高度化していく事態を招いている。従来の国語科教育の理論的基盤はハーバーマスの理論であったが、これまでもその理論の不十分さが指摘されてきた。そこで、本論ではハーバーマスと論争を繰り広げていたN.ルーマンに注目する。高度化していく「コミュニケーション能力」とは別の視座を得るため、ルーマンのコミュニケーション理論に注目し、「コミュニケーション・システム」という新たな捉え方を提案する。 ルーマンのコミュニケーション理論の特徴として注目した点は①「移転」というメタファーからの脱却、②「三重の選択」、③「二重の偶発性」の3点である。まだ課題は山積しているが、わかりあえないことを前提とした新たなコミュニケーション観には可能性があるように考えられる。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kaichi/21/1/21_15/_article/-char/ja/ すでに国語教育研究においては,ハーバーマスのコミュニケーション論の国語教育学的意義が検討されている1)。なかでも,森(2012)は,学会誌『国語科教育』に掲載された論文「国語科の「話し合い」活動を支える理論の検討―ハーバーマスのコミュニケーション論を中心として」において,村松(2001)などがハーバーマスのコミュニケーション論を取り上げてきた それはボリス・グロイスの論考『生政治時代の芸術——芸術作品からアート・ドキュメンテーションへ』を読んでも、そもそも既に非物質的な芸術実践が多くある現在、作品と呼べそうなものはほとんどアート・ドキュメンテーションになり(中略)
アーレントによると、「自分のものではないものが自分の前に現れるということが私たちの生にとっての基本的なニーズである」という前提で公共性について考えるんですが、多様な社会で自分とは違う他者=わかりあえない他者と出会うことの価値だと私は思っています。 グローバルな社会を生きる市民として「他者への寛容さ」「他者と共に生きていく」姿勢が求められている.「対話」を通してお互いが時にはわかりあい,時にはこれ以上はわかりあえないということをわかりあう,そのような調整や妥協を平和的な方法で行いながら他者と協働して融和で寛容な社会を作り動かしていく実践が私たち市民には求められている. こんなのが山ほどあるんだよ
気持ち悪くなってきたw わかりあえないことが理解につながる
「トランスレーションズ展−『わかりあえなさ』をわかりあおう」レポート
https://mediag.bunka.go.jp/article/article-17795/ 他者との「わかりあえなさ」に、現代アーティストはどう向き合う?若手作家3人が「対話」について思うこと
https://www.cinra.net/article/202310-pond_gtmnmclsp 流行の口真似してるだけじゃん
恥ずかしくないのかこいつら みんなで同じこと言ってるじゃん
共感の共同体だなw 「互いに”わかりあえていないこと”を認めることが、ビジネスでもアートでも大切だ」
経営学者・宇田川元一さんの著書『他者と働く──「わかりあえなさ」から始める組織論』(NewsPicksパブリッシング)が刊行されました。 こういうのは社会包摂論とも言われていて
こういう形の統治をどう批判するかは考える必要がある
オザケンはすでに批判するエッセイ書いてるぞ tattva Vol.9
特集:それでも他人と生きていく、には。
言葉はわかるが話が通じない。どうやったって人はわかりあえない。たとえそうであったとしても、私生活でも仕事でも誰の手も借りず生きてなどいけないから、どうする!?
9号の特集テーマは「それでも他人と生きていく、には。」です。 [作品上映+トークセッション]つなぐを考える 百瀬文『聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと』を手がかりに
この作品について百瀬さんは、「相手を同じ地平に立たせることではなく、異なる他者、わかりあえない他者と、それでも隣にいることは可能なのか?」ということを扱った作品であると話します。 この中の女性アーティストに何年も前だがエアリプでめっちゃ絡まれた時期がある
俺のことが気になって仕方なかったんだろうなw MOTアニュアル2022 私の正しさは誰かの悲しみあるいは憎しみ
わかり合えない他者を受け止め、許すことはできるのでしょうか。言葉は、文化を共有するための手段であると同時に、その差異が対立の要因となることがあります。言葉による記述の外で、忘れられる存在もあります。本展では、語ることや記述の困難さに向き合い、別の語りを模索するアーティストたちの試みを取り上げます。 わかりあえない他者とかコピペするだけで
アートの助成で東京都からお金が出るんだもん
コピペしまくろうぜw わかり合えない人といると戦いを生むのでわかり合えない人同士一緒にいるのは無駄だと思います芸術家の端くれより 東日本大震災の時からずっとこの調子だからな
いかにアート界にアホが多いかわかる >>159
みんな同じこと言ってるから大丈夫
AI以下 芸術家は特権的な存在ではなくなり、19世紀半ば以降誰もが知っている物語を摸倣する時代になった
今も19世紀は終わってないと
38年前の『物語批判序説』で喝破した蓮實重彦はやはりなかなかのもんだな >>109
「ひきこもり支援」をうたう悪質施設および結託した精神科病院に対する告訴状況についての記者会見
http://utsunomiyakenji.com/4595
ひきこもりに対する暴力事件関連の裁判は宇都宮けんじが代理人を務めることが多い 市民主義とマルクス主義って批判し合うこともあるが、もちろん平田清明なんかはマルクス主義で市民主義だし
俺は不勉強でよく整理できてない 平田清明の弟子である植村邦彦は師の市民社会論を批判的に検証している >>138
ハーバーマスや「第三の道」のギデンスはハンナ・アーレントにならって(ギリシャ)演劇をコミュニケーションのモデルにした
それに飛びついたのが平田オリザ
そして民主党のブレーンになったわけだ
ネオリベ+福祉
こうした中道路線が世界的に失敗して
安倍晋三やトランプやルペンが台頭してからだいぶ経っているのだが 演劇によるコミュニケーション教育が特に盛んなイギリスでは、人種差別的ないじめが急増しているそうです 「引用ばかりでオリジナリティがゼロだな」は人類で最初に俺が言いだした
パクリ乙 「わかりあえない他者と共生する」という教育の結果起きていることが
排外主義的な右翼の台頭
つまり他者の排除 振られたあああああああ、と叫びながら滑落していくおばさん 【音楽】パール・ジャム 新アルバム『Dark Matter』発売 タイトル曲公開 [湛然★]
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1707860144/
これタイトルからして、みいたんがテーマだよね? 亡くなった二人の代わりにさだまさしと南こうせつがYMOに加入すると予想しているトシオ トシオが長年の幽閉の末に家から出てきました。
涙なしには見られないシーンです。。。
『ランボー 尊師の逆襲』より
https://youtu.be/upRUlTrbM7M?si=7fqUfHzj1fEyDJai シュン一とノブ子の悲恋。。。
最後の「今のぼくはまるで尊師のように金玉がシワシワだ」が胸を打ちます。。。
フランソワ・トシオー『ケンタッキー魂』より
https://youtu.be/QHqRGG9ZhSk?si=F_jBa7kyrmcUUzCM >>184
これは小津安二郎「浮草」の名シーン
男は二代目中村鴈治郎 中村玉緒のお父さん
歌舞伎だけではなく映画でも活躍した
女は京マチ子 往年の大女優で、最近まで生きていました
溝口健二や成瀬巳喜男の名作に出ている印象が強いです
結局シュン一とノブ子はすったもんだあって旅の一座解散までいくのだが、最後は仲直りして再起を期して旅立ちます
https://youtu.be/Y9SeE-oEoK8?si=KTa3ohML8-JV84qI ノブ子「お前どこ行くの?ねえどこ?
答えろよボケィ」
シュン市「麻原の旦那にでも泣きついてみよう思って」 最後はネバーエンディングストーリーのテーマがかかります みいニュース
【ドラマ】DOSUKAI NO OWARI 新曲「Romantic Poo」が金曜ドラマ『おばさんボーダー』主題歌に 主演・川口浩「最高にすてきな曲」 [湛然★]
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1713473294/ 【芸能】マツコ「神童って言われてる子って、絶対に大物になってないよね」と断言も例外的存在の2人の名前明かす★2 [冬月記者★]
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1713886136/
神童と呼ばれた大物一覧
フォン・ノイマン
モーツァルト
リオネル・メッシ
グレン・グールド
アルチュール・ランボー
ウィリアム・バックハウス
ロバート・オッペンハイマー
狩野探幽
森鴎外
マックス・ヴェーバー
シェリング
レイモン・ラディゲ
藤井聡太
羽生善治
加藤一二三
レフ・ランダウ
グロティウス