ですから稲盛さんはこの点を何度も繰り返し伝えようとしてきましたし、自身でも実践されてきました。

・会社が年間数十億円の利益を出すようになったときも、役員報酬300万円だった。
・京セラ全従業員に持株を配った。
・京セラが上場する際には、自分の持株を一株も売り出さなかった。
・第二電電(現KDDI)の上場前に自分では一株も持たず、上場後に市場から購入した。
・JAL再生時すでに78歳だったが、無報酬で任にあたった。
・盛和塾の活動もすべてボランティア。