宗教を信仰することも大事だけれども、暴露するのも大事な力になるような気がする。
信仰はエネルギーになるけれども、暴露は精神の解放になる。うまく言えないな。
例えばアインシュタイン信仰というのがある。無条件に特別の天才として尊敬している人が多い。しかし実際の
ところマックスウエルの業績などを調べると、偶然というか必然というか相対性理論はアインシュタインが
いなくてもそのうち導きだされていたと思う。そのタイミングでその時代に居合わせて象徴的な存在になった
というに過ぎないと思う。だから無条件に尊敬できるような天才なのかというのは自分は疑問に思う。
暴露というのはこういう感覚ね。だから自分もチャンスがあればアインシュタインの業績に匹敵する発見を
できる可能性はあると思っている。もちろんアインシュタインは信仰対象としては偉大過ぎるのでこういうことを
公に言ったりはしないが、そういうことを思ってる人は沢山いると思う。

では信仰のエネルギーというのはどういうことかというと、神社で手を合わせる。1万円を入れる。
意味がないようだが意味がある。1万円を賽銭箱に入れたことで成功の物語をつくってしまう。
完全なフィクションなのだけれどもこれが象徴的に作用する。軽いトランス状態に入った状態だね。
トランスってのは諸々の感覚を排除して一つに集中させるから恐ろしいほど力を出させる。だからその結果として
成功する。
 教祖は催眠術師で成功するための暗示をかけてもらう為に信者になる。そのためには多少の費用は
必要になる。こういう考え方でいいのではないかな。