>>554
反論ありがとう
ここで貴方の疑問を説明しよう

(1) 魂=脳=更に知能に発展している
脳が機能を停止すれば魂の活動も停止する
これは魂は脳の活動によってなされるためである
そしてここではアバターの容姿やファッションという議論がなされていた文脈から、その美的感覚は知覚から認知として取得された情報を脳の知能が情報処理して感じるものであるから知能へと話題を展開させてもらった
知能が存在しなければ美的感覚は存在しない
美的感覚はおかめ顔のように時代や文化により変遷・相違しておりそれは知能により判断されるものである
孔雀の美的感覚に関する研究も存在するがここでは省略する

(2) 自分が流動性知能に関して知識が乏しいか
まず接触頻度と流動性知能に相関がないかどうかについて”ある”のが大前提である
知能は学習によってなされ、学習とは”経験を通して行動が変容する事”と定義されている
従って素質があっても経験なくして知能は発達しないのである
例えば”数学を全く学習しないで素質があるから自動的に取得する事”は不可能である
プロスケート選手の素質が遺伝的に優れている者がいたとして、何もしないでプロスケート選手のようになれるだろうか?
当然、答えは”No”である
従って、素質より先にある大前提が学習機会と学習内容、経験時間に比例するものとなる
流動性知能の内因的な要因については当然ながらIQ同然に存在する
しかしなから我々はヒトをそのような視点で観察する立場を否定している
IQという書籍がアメリカで出版され、その内容としてアメリカは社会保障、社会福祉を削減すべきだと帰結していた
なぜなら、IQが遺伝的に規定されるのであれば、IQの低い者は低所得階級に所属するから、社会保障、社会福祉を削減すれば自然の摂理で、IQの低い者はいなくなり国家が潤うという帰結であった
この思想は古くはゴールトンの時代からある優生学的観点からヒトの存在を捉える視点であり、多くの国家が採用している民主主義の思想に反するからだ
優生学はIQテストを標準化し我々を差別しようとした時代もあった
現代では優生保護法にその形跡を見る事ができるが、ここでは論点がブレるため触れない
このIQという書籍に対するアンチテーゼとしてEIという書籍が出版されている
一読をお勧めする

(3) 中年の流動性知能開発について
研究途中で臨床の現場に触れない程度の研究内容はここでは触れるべきではない
大きな意味として”流動性知能”と”結晶性知能”をまず理解すべきだ
繰り返すが、科学的に根拠に乏しい段階の研究や一般的でない、または実用化されていない事項については何々大辞典のようなテレビ番組で面白おかしく紹介してもらえばと思う
よってここで触れる必要はない
貴方が試してもし若返る事ができたら是非ここで報告していただきたい