>>888

なるほどな
それも一つあるのかもしれん
なにしろ俺様はライブに参加すらしていないからな
参加した者にしか感じられないことはあるし、そこは大きい

しかし、ここからは俺様の個人的な意見だが、「kalafinaの顏」ってのは
やはり啓子ちゃんとひかるちゃんがあって初めて成り立つものだとも思う

つまり啓子ちゃんはkalafinaの「胴体」(心臓)であり、ひかるちゃんはkalafinaの「手足」のようなもの

啓子ちゃんは最後に「Wakanaの声はkalafinaの顔、そのkalafinaの顔を私とひーで作り上げることができた、ありがとう」と言っていた

やはり、俺様の中で意志を継ぐってのは少し違和感(継ぐフリはできたとしても、理屈の上では無理があるのではないか?)
むしろ元コーラスニットアーティストしてその考えはどうなんだ?という気持ちにもなる
「お客様が求めているから歌う」というのであれば違和感(反感)はないのだが

ここやTwitterで言われている「1人で歌うとあんな感じになるのかあ・・・」は胴体と手足がないからこそだとも思うし

>>Kalafinaの顔たるWakanaさんの焦燥感や使命感があったようにも思える。

今は知らんけど、少なくも活動休止直後は全くその気はなかったようだし、焦燥感や使命感は見受けられないな

一人でKalafinaを歌うことについて

――ライブではKalafinaの楽曲も歌われましたが、お一人で歌おうと思った経緯も聞きたいです。
正直なところ、最初はそのつもりはまったくなかったんです。
でも待ってくれているお客様がいるんだということを人にも言われ、結構早い段階で素直にそれを受け止めましたね。
待っていてくれる方がいるかもしれないんだったら私は歌うよ、という気持ちをちゃんと示したかったんです。

「使命感」というのであれば、それはkalafinaの顔として意志を継ぐ、というものではなく
「お客様の声に可能な限り応える」という、プロとして大事な一つの要素を指しているのだと思う
それこそファンに対するサービス精神の一つに過ぎないように感じる



>>お客様の数のギャップや、ノリの悪さ(地蔵のように座っている)に対する想いは、何かしら考えるところありそうでは?

これも俺様の考えだが、演者にとってお客様の数ってのはそれほど関係ないようにも思う
数のギャップは最初からわかってたことだし、それはそれとして別の意味で良い空気感も生まれると思う(小規模ならでは一体感みたいな?)
ライブハウスとホールの距離感の差みたいな?
kalafina時代にもライブハウスや地方は、また別の良さがあるというような話をしていた

ノリの悪さに関しても、そもそも若菜ちゃんの歌っている曲からして地蔵傾向になるのは当たり前では?
kalafina時代ですら曲次第で余裕で地蔵だった

こればかりは啓子ちゃん若菜ちゃんの問題ではないのでは?
周年ライブですら若菜ちゃんのセトリ曲では地蔵だった
believeやむすんでひらく辺りは地蔵回避できる要素はあるかもだけど、それもやはり1人ってことやアレンジの違いで影響あるのでは?(ライブ行ってないからどんなアレンジか知らんけど)

それに若菜ちゃんが客を乗せる(煽る)のは、一ミリも似合わないと思うし、アッパー曲なんか歌わなくても全く問題ないと思うけどね
歌ってもアコステのようなアレンジの方がいいと思う

つまり、聴かせる系アーに徹する方が若菜ちゃんらしい

それこそ乗らせる系アーでは若菜ちゃんにとって苦しい路線だと思うし、若菜ちゃんらしくないとも思う