★★★サザンオールスターズ 602★★★
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>>484
去年のツアー結局は轍、ラブアフェア、マンピーのいつものお約束路線だったやん
牛、おっぱいのようなセトリならまだしも 最初と最後にちょちょとお約束入れたけど中盤はほとんどアルバム曲レア曲でしかも年越しでなく全国40周年ツアーにそれやった意味を考えたまえ だからさあ、一番の問題はサザンとソロの区別がつかなくなってるってこと
実質的にサザンは名ばかりで、やってる事は全部桑田ソロだろ >>491
みんなのうたからその話題やってんの?その辺はいい加減諦めろよ >>478
これはサザンに関してかなり正しい認識だと思う >>492
本当にみんなのうた以降、桑田がサザンの看板を守り続けてきた目的は何だったんだろうね たぶん、そのみんなのうた以降に、サザンファンになった人は、実質桑田ファンだよな >>495
桑田の本心としてはあの時点で無期限休止したかったんだと思う しかし30周年と違って再開の意思はあったと思う
それをアミューズが説得したんだろう まあ当然と言えば当然
桑田も別にメンバーが嫌いになったワケではないだろうが、あのまま続けても上積みがないことも分かっていた
ならばと大胆に外部の力を導入してみたが歪みが出てくるのは当然
一度距離を置こうとしたのに結局同居生活を続けることになったもんだからメンバーへの当たりもキツくなる
結果関口は脱退寸前までいってしまった
桑田にしてみれば看板は守ろうとして守ったわけじゃない、ってのが本心なんじゃないかな ていうかそんな話は萩原健太が会うたびにしてただろ
雑誌にしろラジオにしろ
「もう意味なくない?解散したら?」って
でもなんだかんだ理由を付けてサザンの看板を守ってきた
ソロでサザンの曲をほとんどやらないのはビジネス的意味合いもあるだろうが、最初はファンの気持ちを考えたんだと思うよ
2020年に6人のサザンのファンだ返せ戻せ解散しろなどと言うのは時代に取り残された亡霊だよ
サザンオールスターズは桑田佳祐アンドヒズイエスマンズオールスターズって意味なんだよ
普通はそういうことをしたらバンドは空中分解するが、桑田佳祐の才能がそれを逆に武器に(良い意味でも悪い意味でも)変えてしまった
もはやオリジナルメンバーがまともに演奏してる方がサザンではないんだよ
わかったら悔し涙に枕を濡らして寝ろ爺 メンバーと個別に対面した経験上申し上げますが、最も普通にコミュニケーション取れるのが大森
最も気難しい印象が原
神経質そうなのが関口 >サザンオールスターズ は桑田佳祐アンドヒズイエスマンズオールスターズ って意味なんだよ
お前がそう思うのは、お前がみんなのうた以降にサザンを好きになったファンだからだよな?
俺は、もしサザンが1988年にみんなのうたでデビューしていたら、最初からサザンファンになってなかったと思うよ
俺は桑田ファンじゃなくて、1978年に熱い胸騒ぎでデビューした6人編成のロックバンドのファンなんだよ
お前とは価値観も視点も違う >>502
俺は6人時代の活動や楽曲を尊重しているし、プロ未満の駄曲もないと思っている
だがよりレベルの高い楽曲を手掛けるようになったのはKUWATA BAND以降なのだよ
これは大森がサザン結成に腐心したのと同じく厳然たる事実で曲げようがない
お前は20年くらい成長し続けた(過去形)ミュージシャン桑田にリスペクトはないのか?
どう見ても桑田は飛び抜けた才能じゃん
"6人サザンが至高ではあるが、まず桑田ありき"こんなのは誰でもこう答える簡単サービス問題だよ >>503
俺は今でも1970年に解散したビートルズが好きだ
他にも、そういう好きなバンドは色々ある
それと同じように、今でもサザンが好きなんだよ 次に台風が来たら雷を利用してデロリアンで1985に飛べ
そして関口を説得して未来を変えるんだな、爺 East West77もバンドとしての賞じゃなくてベストボーカル賞だったし
いとしのエリーの頃に桑田佳祐&His Frendsってまがい物グッズが世に出回ってた
つまり桑田のワンマンバンドみたいなサザンはデビュー時期から始まってたって事よな >>504
だから、それはお前の個人的見解であり、客観的、歴史的事実ではないだろ >>508
歴史的事実としては元々高かった桑田への注目度が「サザンの人」から「超天才、いわゆるゴッド」になったのはKUWATA BAND〜稲村ジェーンくらいだろ?
そこはリアルタイムで爺だった爺が正確にジャッジしたまえよ >>507
ボーカルが目立ってたからベストボーカリスト賞だったってだけだろ
確かこの年のグランプリは法政のたぬきブラザーズだったよな
あれー?ダディ竹千代とおとぼけキャッツだったっけ?
みんな今はどうしてることやら >>510
桑田抜きだったらたぬきブラザーズにも負けるけどベストボーカルの桑田のおかけで40周年を迎えられたんだろう デビュー3〜4年の恋人も濡れる街角の頃から天才ソングライターとして認識されてたし
サザンはもうカマクラの時点で大御所だっただろ デビュー3〜4年の恋人も濡れる街角の頃から天才ソングライターとして認識されてたし
サザンはもうカマクラの時点で大御所だっただろ >>511
では爺の歴史観を語りたまえ
南京大虐殺や731の人体実験はなかったとかぬかすタイプなんだろうけど >>512
たぬきブラザーズはかなりテクがあったぞ
カシオペアも同期だっけ? >>513
なんで毎日連投するん?
ていうかさあ
格の話をしてるわけよ
その頃は若き天才でしょ
でも稲村ジェーン前後は神そのものじゃん、実際に作ってる曲も佇まいも
あの数年はほとんどすべての曲が完璧
ほとんどの音楽人が到達できない絶頂状態っていうのはああいうのを言うんだろうね 爺にとっては1985年以前の世界が全てなのよ
90年代に桑田がどんな素晴らしい作品を作ろうと
その世界線に爺はいないw >>518
普通、ロックミュージシャンは20代で天下取るんだよ
稲村ジェーンの頃は神?
それは当時、厨房だった世間知らずのお前の個人的認識だ
お前の思い込みなんてどうでもいいんだよ >>519
デビューしてからは次々と衝撃的なキャリアを積んできた
90年代はもう桑田ならこのぐらい普通というレベル
今さら驚くような事はなかったな 爺はなんで同じレス連投しちゃうか自分では分かってんの? まあ、確かにコバタケと出会ってからだいぶ落ち着いて(大人になって)、曲が洗練されたとは思うが
俺は別に洗練された曲なんて求めてなかったからな 俺は別に洗練された曲なんて求めてなかった?
おまえの思いなんてどうでもいいんだよ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄○ ̄ ̄ ̄ ̄
o
というお話 ゜
だったのサ/⌒\
/ノ\ヾヽ
____ _(('∀'ヽ |
L|_|_|_/ノへ>ノ~ )ヘ
L_|_|_|\'-') / 丿/
L| \_ ̄ ⊂Lノ/
L| 从从 /\__/ ‖
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―――(^(⌒ヽノL/
 ̄  ̄
= 完 = 俺の思いというか、当時のサザンファンの認識を紹介したのだが?
90年代の厨房から見た認識は知らんが、90年代の桑田が神なんて感覚、違和感しかないわ >>527
ちょっと何言ってるかわからないんだけど俺は80年代に取り残された軸ブレ野郎だって言いたいのかな? >>529
お前が90年代に取り残された軸ブレ野郎なんじゃないの?
要するに80年代のサザンを知らないんだろ?
視野が狭く俯瞰して見れてないだけじゃん >視野が狭く俯瞰して見れてないだけじゃん
これよく言えるなあ… 50レスに対する爺の唯一の拠り所は
50レスと違って80年代にリアルタイムで爺が爺だった
ってだけだなあ
あれー?たぬきだっけ?キャッツだっけ?
とかいいのよw >>509
ちょっと確認のために1999年発行のサザンのディスゴグラフィー本見返してみたけど
萩原健太がサザンヒストリーみたいなのを書いてる
中に、こう書いてある
たぶんサザンが日本のポップシーンにとってのデフォルトになったのはこの1982年という年だろう。
彼らを国民的バンドなどと称する記事も多くなってきた。
そしてサザン自身といえば、主にアリーナクラスのライブの場を通じてそうした国民的バンドならではの役割をまっとうしつつ
同時にレコードのほうではけっして人ところに安住しない冒険心を適度にまぶした前向きな音作りを続けていた。
みたいな感じ
この本最近改訂版が出たみたいだけど、そこにどう書いてあるか知らないが、
1982年は匂艶、YAYA、東京シャッフル、ミスブラの頃だろ
アルバムはもちろんシングルもヒット曲も連発し絶好調だ
この頃、世界進出を目指してTARAKO出してる
そうした中で原坊の妊娠休養で、無期限活動休止だから 82年はチャコでテレビに返り咲いた年だよ
ヤヤまでが82年
この80年代の前半は1年毎に目まぐるしく状況が変わる時代だ 音的にもね
国民的バンドって称号は若いバンドからすると必ずしも嬉しい呼ばれ方ではないかもしれない
世間的には広く人気があるけど最先端とは違う
下手すればちょっと芸能人寄りってことだからね >>536
82年、すでにサザンは横綱で、わざわざテレビに出たり、シングルヒット狙ったりしなくてもいい格付けだった
でも桑田はそれじゃあ、つまらないって、敢えてチャコみたいな一般受けする曲作って、世間にアピールしたわけだろ
もうミュージシャンとして、それだけ余裕があったんだよ ちゃう、テレビに出なくなったらさほど音楽マニアではない人から忘れられそうになったから
チャコでもう一度お茶の間に出たい、となったんだよ
割とどこにでも書いてある話だが
あとカマクラの後は無期限休止ではない
クワタバンド開始時はハッキリジャスト1年と明言していた
その間に心変わりしてクワタバンドを少しだけ延長したあとサザンに戻らずソロに突入した
ちなみにTDKのCMはBAN BAN BANリリース前な >>538
カマクラの頃、原坊は産休
最初は一年で復帰の予定
ところが1年後に第二子を妊娠
だから復帰の目処が立たなくなったの
その頃撮られたCMがTDK?富士フィルムのカセットじゃなかったか?
これは契約とかいろいろあったからね
本来、業界の格から言って、今さらさほど音楽マニアでない人にまで受け入れられる必要はないけど
桑田は敢えてお茶の間受けを狙ったってこと
別に危機感はない
そこがサザンらしくもあるが 82年当時はヒット曲狙いでヒット曲作れた
それが桑田のすごいところ
だから天才と呼ばれた
しかしさすがに近年は狙ってヒット曲作れないだろ もうボウリングだけやらせてあげてけろ〜
お代官様ぁ〜 >>537
それは絶対に嘘だな
お前さあ、俺ら若者()が勉強してないと思っててきとーにハッタリかましてないか? タイニイとステレオは1位はとったものの
サザンのアルバムとしては売り上げは低い方
C調を最後にシングルヒットも途絶えた
桑田はテレビをやめて作品に全力投球したものの
アルバムだけのアーティストになるのは嫌だと言ってチャコを作ったんだよ
どこにでも書いてあるよ
富士フィルムは遠い街角でしょ >>538 >>543
これも、全部あたし知っていたなー(クエスパラヤ風)
ていうかさあ
もうTVはごめんだってfive rock showをやってみたけど全然ヒットしなくて、そろそろ当てないとやばいってときにチャコが当たって復活なんてサザン史の最も重要な部分のひとつだろ?
実は当時を見てもいない俺の方が詳しいんじゃないのか?
まじで残りの人生デロリアン作ることに使ったら? TDKのCMはクワタバンドで
スモークオンザウォーター※映像はサザン5人
神様お願い
雨を見たかい
3本もあるよ
80年代には爺はすでに爺だったんじゃないの? >>544
俺はリアルタイムで知ってるんだよ
当時、年初から今年はテレビにいっぱい出ます。ヒット曲出しますって宣言してたの
ムクの本なんかにも書いてある
シングルは売れなくてもアルバムは売れてた
当時はシングルは歌番組出たりプロモーションないとなかなか売れなかった
サザンはしばらくプロモーションとかしてなかった
だから前曲のシャララも売れなかった、チャコより良い曲なのに
チャコは積極的にキャンペーンやって話題作りなんかもしたからファン以外にもー売れたんだよ 後付けで意味づけされた歴史を勉強しても、リアルタイムを知っている者の感じ方では真実とは限らない
本は事実を都合よく盛ってる、美化してところあるからね >>542
ウソじゃないよ
お前、当時の日本の音楽状況わかってないだろ >>547
ということはサザン結成はほとんど大森のお陰というのも相当盛ってるかもな >>548
当時、たとえばユーミンとかRCとかオフコースとか井上陽水とか松山千春とか山下達郎とか、どんな人が売れてて
サザンがどんな位置づけだったか、分かってないだろ >>550
じゃあさ、すでに国民的バンドだったなら
その辺の爺が挙げてる先達より格上になってたってこと? >>550
だいたいはわかるよ
そいつらはTVに出ないから別格で、サザンはTVでわーわーやる人気者(ただし当時TVで洋楽っぽい曲や洋楽そのものをやる連中はほとんどいないためなんかすげー奴ら)こんな感じだろ?
明らかにビッグバンドの王様ではないだろ
だいたい記憶があやふやな爺の私見があてになるのかよ リアルを体験してる割には史実の思い違いをベースとした私見が多いんだよな…
35年の時を遡れ、爺の思い!
でもひょっとして爺は当時のなにかしら関係者では?
契約がどうとか
だったら逆に大森に対する思い入れもありえるだろうなとは思う
まあその割には思いこみ激しいけどw >>553
それは音楽を知らないお茶の間の感覚
そう言う区別が言いたかったわけじゃない
業界的評価は、サザンは先にあげたような当時のいわゆるニューミュージック界の大物ミュージシャンと同ランク
80年代から当時の日本のトップクラスの一角だったんだよ
だからって先輩は先輩だから、天狗になっていたわけじゃないが
レコードの売り上げでもライブの動員数でも負けてなかった
本来、アルバムアーティストだからシングルヒットなんてどうでもいいんだよ 絶対認めないよなあw
たしかにチャコ〜ヌードマンはブレイクしたけど
綺麗はまたちょっと落ち着いて
ミスブラ〜人気者でまたドカンときて
カマクラで国民的バンドwを確立だよ
82年はまだブレイクのスタートだっつの
アルバムはもちろんだけどシングルも売れなきゃ地味だから嫌だと発言している
第一インビテーションを離れる時に出たバラッドカセットが サザンてシングルは派手だけどアルバム曲滲みるなあって地味に評判になったくらいなんだから それって国民的バンドに対する評価じゃないでしょうよ 当時、桑田が「最近刺激が足りない」「今年はテレビにも出てヒット曲出そう」とか言って
チャコを出したというエピソードは、後年、間違ったイメージで伝説化されてると思う
それまで、しばらくシングルヒットがなかったのはプロモーションが足りないから当然のことだし
アルバムは売れてたし、別にサザンの人気が落ちてたわけじゃない
そんな深刻に考える状況じゃなかった
ただ、桑田自身は前年もいい曲をたくさん作って、シングルカットしてるのにヒットしないのことには不満だったのだろう
逆にいえば、桑田は相当自信があったと言うことだ
サザンが新曲出して、ちゃんとプロモーションして、世間に曲を認知させれば、必ずヒットすると確信していたわけで
それで、チャコを作り、言葉どおり大ヒットさせた
これはすごいことだ
当時の桑田は自分の曲作りにそれだけ自信を持っていたし、有言実行で、久々のシングルヒットを出した
そう言う意味で桑田はすごい、天才だと言う文脈でチャコのエピソードがあるのに
ヒット曲が出ず悲愴感漂う落ち目のサザンが、起死回生を狙い、一念発起してチャコを出し、
念願の紅白にも復帰したみたいな捉え方は間違った解釈なんだよ
まあその方が後付けでは一般に受けるだろうが >>557
バカか?
ブレイクは勝手にシンドバッドだろ
サザンはずっと安定的に順調に売れていたんだよ
深刻に落ち込んだことなどない だいたい、ステレオ太陽族なんて、その年のベストアルバム的な評価だったぞ
本当、おまえらって分かってないよな >>558
長いなあ
だから落ち目まで言ってないっての
爺は解釈が極端だし客観的事実がなくてこうあってほしいという推測が強過ぎる
それから根拠のない自信ね 俺は絶対間違えてないという 実際記憶はどれもこれもあやふやなくせに
むしろこの人そんな話も知らないのか?と思うくらい
ブレイクは82年の話をずっとしてきたんだからC調以降の話に決まってるだろ 「ベストアルバム賞」あって
セールス的に他に比べて群を抜いているワケではない
なんか時間の浪費を実感し始めてきた >>561
萩原健太はブレイクが82年とは言っていない
サザンが国民的バンドになったのが82年と言っている
無知な50レスは、それは90年代のコバタケ期だと思い込んでたんだろ? >>564
答えられないレスってなんだ?
相手にされなかったからって言いがかりつけるな >>561
こうあって欲しいの推測はお前の専売特許だろ、タコ >>562
売り上げなら、泳げたい焼き君とかだんご三兄弟が群を抜いてるだろうが? 80年代のことをリアルに話せるということは50代以上ヘタすりゃ60歳越えってことだよな
いい大人が何やってんだかって感じ
もう墓は買ったのか? >>570
その指摘は必要ない
お前のような論点ずらしは邪魔だ
今爺の歪曲された記憶と認識を徹底的に追い詰める遊びしてるんだから邪魔をするな サザンが国民的バンド()になったのって、2000年だろ?
自称し始めたのは2008年(本人は否定していたが提灯記事なんてあのくらいから事務所が書かせている)だが、2003からその流れは作られていた
でもベースにあるのは2000年の活動だよ で、だ
萩原がその本で言ってる"国民的"の意味だが、当時は本格的な音楽をやっているバンド自体が少ないわけだよ
そうなると80年代序盤ですら日本で一番有名なバンド=サザンになるわけ
そういうことなんじゃないの?
爺さ、もし言葉のフォーカスを意図的じゃなくずらしてるとしたらそれ悪い癖だから改めた方がいいと思うぞ あとさー
地球音楽ライブラリーの萩原の当該部分前後ざっと読んだけども
タイニィ〜ステレオの部分で
桑田佳祐&サザンオールスターズから何の注釈もいらないサザンオールスターズへ
って書いてあるんだけど
これはどうなんだ?
これが事実であればサザンが"サザンだった"のは81〜85年のたった4年ということになるけどそれはOK?
異論反論爺は上気してget downしなくていいの? あと爺が持ち出した部分の後ろのとこ読んでいくと、サザン解散主義の萩原がサザンという名義でなければできない音楽があると認めているじゃん
俺が言いたいのはこういうことなんだよ
楽曲が素晴らしければサザンオールスターズアンドオールスターズで一切問題がないわけ
今はもうサザンとソロの区別が完全になくなったから↑みたいなことも萩原は言わないだろうけどね
まあ敢えてサザンでしかできない曲って言ったら壮年ジャンプみたいな安易な曲かな
あれを桑田佳祐のソロで出すのは本人も辛いだろうし サザンを誰よりも知る男萩原健太
「サザンがバンドであるべきなのかどうかについても、この時点に至ってしまうとあまり意味のある論議ではない気がしてきた。」(1999年時点の発言)
これもな
結局俺が爺に対し相手にすることが馬鹿らしい不毛で女々しいメンヘラと感じるのも、こういうこと
サザンスレ筆頭として、35年以前のものしか認めないとか言ってる超老害は除名でいいと言っている
わかったかな? 爺は石橋貴明とか好きなの?
なんか興奮した時の口調がそんな感じ >>572
長すぎて論点がよく分からん
これが50レス、お前の主張だろ?
↓
>だがよりレベルの高い楽曲を手掛けるようになったのはKUWATA BAND以降なのだよ
>稲村ジェーン前後は神そのものじゃん、実際に作ってる曲も佇まいも
>あの数年はほとんどすべての曲が完璧
>ほとんどの音楽人が到達できない絶頂状態っていうのはああいうのを言うんだろうね
>歴史的事実としては元々高かった桑田への注目度が「サザンの人」から「超天才、いわゆるゴッド」になったのはKUWATA BAND〜稲村ジェーンくらいだろ?
それに対して俺は、既にこう答えている
それは違う
デビュー3〜4年の恋人も濡れる街角の頃から天才ソングライターとして認識されてたし
サザンはもうカマクラの時点で大御所だっただろ
90年代はもう桑田ならこのぐらい普通というレベル
今さら驚くような事はなかったな
90年代の厨房から見た認識は知らんが、90年代の桑田が神なんて感覚、違和感しかないわ >>579
お前が普段だらっだらだらっだら普書いてる長文よりはまとまっているはずだ
一つ一つ読んで回答せよ
逃げるな >>580
自分で論点をる整理しろ
長すぎて俺に聞いてるのか、萩原健太に聞いてるのか分からん
萩原健太の以下の文意には概ね同意している
まあ、俺は別にサザンを国民的バンドとは思ってないがな
それは世間が言ってることだ
>たぶんサザンが日本のポップ・シーンにとってのデフォルトになったのはこの1982年という年だろう。
彼らを国民的バンドなどと称する記事も多くなってきた。
そしてサザン自身といえば、主にアリーナクラスのライブの場を通じてそうした国民的バンドかっこならではの役割をまっとうしつつ
同時にレコードのほうではけっしてひとところに安住しない冒険心を適度にまぶした前向きな音作りを続けていた。
後は>>579の通りだ >>572
kamakuraのキャッチコピー知ってるか?
国民待望の二枚組だぞ >>538
チャコははっきり言ってコミックソングだからな
桑田もそこまで好きじゃない的なことを言ってる
でもあの曲を作ったおかげでサザンは再びお茶の間に戻ってこれたわけだからな
で、はっきりさせておきたいのが、サザンの潮目が変わったのは間違いなく82年。
売れなかったと思われがちな綺麗も実は年間チャートに入ってるんだよ。
78年〜79年までのサザンが「一発屋的」売れ方だとしたら、82年のサザンは再ブレイク。
それ以降サザンは国民的存在になった 自分は読む気がなくなるような長文を投稿しまくる癖に
相手から的確に痛いところを突かれまくったら一切答えないで逃げまくる
こ れ が 鎌 倉 爺 だ 国民待望の2枚組、ってさんまに言われても、
(俺の好きなサザンはいつから国民云々レベルになったんだぁ笑)
って感じだったな、当時 >>585
どこが痛いところだ、キチガイ
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