>>421
だからそれが一緒だって話だろ。どこまで頭悪いんだろ?
九井諒子は創作活動を白昼夢と捉えて藤原基央は夢遊病と捉えただけの話
「身体は動いてるけど頭(心)は身体に一致してない」という状態は同じ

ちなみにこれが自分の発売直後のスリオケ解釈
>>420に書かれてる事とほぼ一致
つまりスリオケのタイトルがデイドリームオーケストラであったとしても意味は通じるという事
もう少し勉強頑張れ。バカはついて来れないぞ

322:名無しさん@お腹いっぱい。 (オッペケ Sre1-5Q5r [126.194.3.0]):2023/12/14(木) 18:47:04.22 ID:daRTlXyEr
床に落ちた木漏れ日が偶然にもキャラクターに見えた
まるで魔法のように
そのキャラクターがひとりぼっちの僕の最初の友達になった
その友達が容易く空想の宇宙へ連れ出してくれた
その物語の中では勇者の剣も恐ろしいモンスターも可愛いお姫様も自由自在に作り出せる
生きる目的も探し物も明確だった

いまだにそんな世界に憧れ囚われ続けてる現在
しかし現実はそんなに上手くはいかない
生きる目的も守るべき何かも存在しない
そういう世界に憧れるから現実とのギャップに苦しむのだろう
あの最初の友達は今から思えば悪魔だったのかもしれない

籠の中の鳥が鳴いて気付いた、色んなものを無くし、もう引き返せない人生である事を(鳥=現実の自分)

そんな状況でも何故死を選んで無いんだろうか?
心は何を求めてるんだろうか?
呼吸はいまだに続いている

昼夜関係無く音楽活動は続く
メロディーコードリズム歌詞創作、そして人生、どれもが選択の連続
僕の感動や気持ちの全部はどんな言葉や表現でも100%伝えきれないよ

そんな毎日でも瞼を閉じればすぐに空想の宇宙へ
取り戻したいのか憧れたのか、いまだに心の真ん中はあの頃のまま
「そろそろ往こうか、まだここじゃない」
心はずっと叫んでいる

こんな毎日でもまだ明日に期待してる
だったら作ればいいじゃないか「夜明けまで吹き抜けていく風の唄を」

僕が消えたところで日常は続く、世界は廻る、蟻が躓いたところで誰が気にするんだい?
残酷なまでに完璧な世界

それでも僕は起き上がるだろう。例えあんなに憧れた物語の主人公では無かったとしても
僕の足は信じて支えてくれる

曲を作って、リリースして、ライブをして、その繰り返し
たとえ憧れた世界と現実は違っていても僕の紡いだ唄は、足跡は命の証

繰り返しの連続だとしてもきっと続けていれば憧れた場所へ連れて行ってくれる
探し物の方から囁いてくれる

ギターを掲げて見渡せば、ステージには慣れ親しんだ3人の顔、沢山のファン

さあ、今、宝箱の鍵が廻る音