(  ○_ゝ○) 1936年5月18日午前2時、石田が眠っている時、阿部定は二回、腰紐で死ぬまで彼を絞めた。
(  ○_ゝ○) 定は後に警察で「まるで重荷が私の肩から持ち上げられたように、石田を殺したあと、私はとても楽になった」と供述している。
(  ○_ゝ○) 阿部定は包丁で彼の性器を切断した。雑誌の表紙にペニスと睾丸を包み、逮捕されるまでの3日間、彼女はこれを持ち歩いた。そして血で彼女は「定、石田の吉二人キリ」とシーツと石田の左太ももに、石田の左腕に「定」を刻んだ。
(  ○_ゝ○) 石田のステテコとシャツを腰巻の下につけると、定は宿の人間に「(吉蔵は)具合が悪くて寝ているので午後になるまで起こさないで」と言い、午前8時頃に宿を出た。


(  ○_ゝ○)  現象には必ず理由がある。

(  ○_ゝ○)  国枝君、君は立派な変態になったのだよ。