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後期クイーン的問題とかってくだらない。
0001名無しのオプ
垢版 |
2010/12/11(土) 09:16:38ID:QQZnlmIK
第一の問題
「作中で探偵が最終的に提示した解決が、本当に真の解決かどうか作中では証明できないこと」

第二の問題
「作中で探偵が神であるかの様に振るまい、登場人物の運命を決定することについての是非」

もっともらしい名前がついてるけど、こんなんの問題でもなんでもないじゃん。

第一の問題は現実でもそうでしょ。作中に限らない。
法廷に出された証拠がすべてで後は存在しないなんて思ってる人いるの?
新情報が出て判決が覆され、冤罪が証明されることもある。

第二問題なんて、問題ですらないじゃん。こんなの問題視するほうがどうかしてるだろ。
ほとんどのミステリーは探偵が指摘した後、ちゃんと司法の裁きを受けてる。
探偵が神だなんて誰も言ってないだろ。
探偵の存在そのものが事件に与える影響というが、そんなの警察でも一緒でしょ。
警察の捜査から逃れるために、証拠を隠滅するために、殺人を起こすことだってある。
0167名無しのオプ
垢版 |
2011/05/03(火) 01:42:53.99ID:MEQfl2jz
>探偵の唯一最終の真実への到達(不)可能性をめぐる問題

これってむしろ、作家ではなくて現実の探偵が考えるべきことなんじゃね?
現実の探偵が間違えたら冤罪となってしまうから深刻だが、
小説内の探偵は、作家がそうしようと思えば絶対に間違えずにいられる

小説には、地の文には嘘が含まれていない、という大前提がある
「探偵Aは憂鬱な思いで新幹線に乗った」と地の文にあるのであれば、これは嘘ではあり得ない
同様に「探偵Aの推理通り、あの日犯人Bは被害者Cを刺したナイフを捨てるために川へ行ったのだ」
という文章も嘘ではあり得ない

よって俺の結論は、ミステリー小説固有の問題なんて別に存在しない、
余詰めの可能性は現実では排除出来ないが小説では出来る、だな
0168名無しのオプ
垢版 |
2011/05/03(火) 08:03:43.51ID:HPbfqngw
書斎の論考に比較すればどれも浅いなあ。
0169名無しのオプ
垢版 |
2011/05/05(木) 20:17:09.82ID:Pu+fAORO
>>167
余詰めのない推理小説自体は確かに作れるけど
名探偵に余詰めのない快刀乱麻な推理をさせるのが困難だっていうのが
推理小説の技術面での後期クイーン的問題なんじゃないかな。

地の文で描写・説明すれば真相は確定するけど
作中の探偵は地の文を読むことができないから、
作者は地の文の正しさに頼らないで探偵に推理をさせないといけない。

特に犯人が偽の手掛かりや偽の犯人を用意してる設定だと
「だったらそれも偽の真相じゃね?」ってツッコミが入りうるわけで。


でもたぶん本当のところは問題でもなんでもなく、
そういう困難さを題材にすること自体がミステリのネタになる
というマッチポンプだったんじゃないかと思う。
真相にたどり着けるも着けないも結局は作者のさじ加減ひとつ。
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